第3話 模範両親
書斎を出てから神無月さんは父さんたちに話を聞きたいと言い出した。明日には二人とも家に帰るので確かに今しか機会はない。でも二人は繁伯父がなくなったときは一緒にいたわけではないし、直接関係することは聞けないだろう。神無月さんはただの参考程度のつもりなのかな。
僕たちは一階に降りてLの字廊下を曲がり奥の座敷へ向かった。
台所の横を通るとトマトを煮込んだ匂いが漂ってくる。神無月さんはちらりと中を覗き、「ロールキャベツでしょうか」と呟いた。
ひとみさんの料理を一度口にすると、外でお金を払って食事をするのが馬鹿らしくなってくる。多分数時間後には神無月さんもそれを味わえるだろう。これもまた僕が実家に戻りたくない理由の一つ。
屋敷の西の端、二間続きの座敷に到着した。薄暗くて子どもの頃から苦手な場所。今は両親がいることで僕は余計にここを避けている。
襖越しに父さんを呼ぶと、入るようすぐに返事がくる。僕はやや乱暴な勢いで襖を開けた。
仏壇のある十畳間。真ん中に置かれた座卓は赤茶色に光る一枚板。それを挟み、父さんと母さんはお茶を飲んでいたようだった。
鼻にツンとくる線香の匂い。僕の祖父母と繁伯父の遺影がそこにある。リュウのはない。
僕は神無月さんに先に入るよう促した。神無月さんは入る前にちょこんと廊下に座り中の二人に頭を下げる。
母さんは「夏生の母です」とだけ言ってまた前を向いた。視線の先には仏壇。昔からこの人が何を考えているのか僕にはさっぱりだ。
父さんは神無月さんへ入って座るよう勧め、母さんが上座に座布団を用意した。
僕はやっぱりここにいなきゃいけないんだろうなあ。繁伯父の書斎よりはるかに居心地の悪い、この二人のいる部屋に。
僕は座卓に近寄らず、部屋の隅に腰を下ろした。母さんが非難するような目を向けてきたけど気づかないふりをする。
「書斎では何か手掛かりになる物はありましたか」
父の口調からほとんど答えを期待していないのがわかった。案の定、神無月さんが「まだなんとも」と答えても落胆する様子はない。
父が書斎の調査はもう終わりですかと訊くと、神無月さんはちょこんと頷いた。
「土谷」
はい、と返事が聞こえ障子が開いて秘書さんが現れる。廊下でずっと待っていたのかな。
「書斎は終わったそうだから整理をよろしく頼む」
「はい」
土谷さんは恭しく頭を下げてまた障子を閉めていった。ちらりと神無月さんに目を向けたように見えたのは気のせいだったろうか。
それよりも母さんが僕の方をちらちらと横目で見るのが気になって仕方がない。
「あのう……」
母さんは父さんの顔を窺いながら恐る恐る口にする。
「はい?」
「夏生はどうしてもその……探偵さんに付き添わなくてはいけないのでしょうか」
やっぱり来た。
高校生の息子が探偵ごっこに介入するなんて、優しくて子ども思いの母親が見逃すことじゃない。
そんな公式が母さんの中にはあるに違いないんだ。ただし、それはあくまでもスタイルの一つに過ぎない。
理想的な母親としてのスタイル。
「それはさっきも話した通りだろう。神無月さんには彼女のやり方があるんだ」
「そうですけど……」
母さんは眉間に軽く皺を寄せた。その仕草さえも僕には計算された動きに見える。
「お母様の心配はごもっともです」
神無月さんがいたわるように言う。
「夏生さんが立ち会うといっても、ご家族の皆さんにお話を聞くときだけですから、外まで連れ回したりはいたしません。どうかご容赦ください」
神無月さんは深々と頭を下げた。父さんはあわてて顔を上げるように言う。
自分のことなのに現実感がなくて、ただ早く本題に入らないかなあなんて僕は考えた。
そのとき意図しないで神無月さんと目が合った。彼女はにっこりと微笑む。僕も笑顔を返すけど、甘やかされて育った坊やなんて思われているかもしれないな。……否定できないけど。
「さて」こほんと咳払いして神無月さんは言った。「わたしが聞きたいのは繁さんと龍ノ介さんのことです。亡くなられたこのお二人は親子同然の深い繋がりがあったと考えてもよろしいでしょうか?」
おや、神無月さんってばダイレクトにそこから入るんだ。僕はぽかんとする両親がおかしくて、心の底でくすくすと笑ってしまう。
「確かに義兄(あに)は龍ノ介くんの親代わりでしたから、彼のことを気にかけてはいるようでしたよ」
神無月さんはすっと人差し指を立て顎に当てた。
「龍ノ介さんの将来について、繁さんはどうお考えだったのでしょう。……実は繁さんは彼と養子縁組する準備をしていたらしいのです」
「そんな証拠があったのですか?」
突然声を張り上げたのは母さんだった。神無月さんは巣から出てきたばかりのリスみたいに目を丸くする。
父さんがたしなめるように睨みつけると、母さんは手で口元を覆い目を伏せた。
「見つかった物についてはまだ申し上げられません。わたしはお二人の意見が聞きたいのです」
土谷さんからの情報ってことは内緒らしい。へえ、神無月さんてけっこう狸なんだなあと僕は感心した。
「龍ノ介くんが真面目で優秀なのをいつも褒めてはいました。大学では社会学部でしたが、義兄は商学部に進んでほしかったようでしたね」
父さんはあくまで淡々と話す。さすがは近い将来の代表取締役。多少のことで動じやしない。神無月さんはふむふむというように頷いた。
「奥様からはどう映りました?」
神無月さんが話を振ると、母さんは大袈裟に首を傾げる。まるで舞台の上で演技をする役者みたいに僕には見えた。
――龍ノ介くん? あの子は兄さんたちの言うことをよくきくし礼儀正しいみたいだけど、年頃の男の子だもの、夏生に悪い影響を与えてしまうかもしれないわ。
――リュウが? 例えば伯父さんに隠れて夜遊びしてるとか? アハハ、絶対あり得ない。
――ふざけないの、夏生。両親のいない子よ、いつ豹変したっておかしくないわ。
――……ふうん。母さんはリュウをそんな風に思ってるんだね。
「あの子はとても良い子だったと思いますわ。……わたしはお正月やお盆のときくらいしかここには来ていなかったので、兄とどうだったかはよくわかりませんが」
会社が安泰で家庭が平和、それ以外のことには母さんはとんと興味がないもんね。僕が高校に入る前にこの家に住みたいって言ったら、息子が不良グループに入っちゃったみたいに大騒ぎして面白かったよ。
――どうして夏生はあの家に住みたいなんて言い出すの? まだたった十五歳なんだから親と一緒にいるのが当たり前でしょう。
――父さんはいいって言ってたよ。もちろん繁伯父さんも。
――あの人たちは男だからわからないの。夏生のことを一番大事に思ってるのはお母さんなんだから。わかるでしょ?
「そうですか。――それからさっきちらりと話に出た脅迫の件についてなのですが、詳しくお聞かせいただけますか?」
「ええ」
父さんは神妙な顔で居住まいを正した。
「正確には会社ではなくこの家にでした。……社長の繁が直接の標的だったのでしょうか。脅すような電話が来たり、胸に釘を刺した人形が宅配便で送られてきたりしたらしいです」
「それは気味悪いですねえ。繁さんも気にしていらっしゃったでしょうね」
言葉とは裏腹に神無月さんは気味悪いという表情じゃない。座卓の上に身を乗り出して、どちらかというと楽しんでいるみたいに見える。
「いえ」と父さんは軽く首を横に振る。「わたしがそれを聞いたのは充やひとみさんからで。その話をすると義兄は腹を立てるだけで、馬鹿馬鹿しいといつも言っておりました」
「あら、剛毅な方だったんですね」
「そうですね。何事に関しても恐れるとか心配するとか、そういう素振りを見せることはなかったと思います」
二人の話が聞こえてるはずなのに母さんは知らんぷりだった。自分の実の兄のことなのに全然関係ないって顔をしている。
「夏生さんも電話を受け取ったりとかありました?」
急に名指しされて僕はぎょっとした。一瞬口ごもり、それから首を振る。
「いえ、電話も宅配便も僕がいないときばかりだったので。変な物が送られてきたら伯父はすぐ捨てるよう言っていましたし」
「そうですか」
お役に立てずすみませんと僕は心の中で神無月さんに頭を下げた。
うーん、有益な情報は全然出てこないなあ。神無月さんもがっかりだろうなと思ったけど、見ると口元にうっすらと笑みが浮かんでる。
……元々そういうお顔なのかもしれないけど。
「失礼します」
襖の向こうから声が聞こえた。ひとみさんだ。
「お客さんにお茶の用意ができましたが、こちらにお持ちいたしますか? それとも応接間に?」
見事なくらいにタイミングがばっちりだ。
神無月さんは「ではあちらで」と僕の両親に一礼して立ち上がった。二人も軽く会釈する。父さんはともかく、母さんは厄介ごとが終わってほっとしてるに違いないな。
部屋から出るとき視線を感じてちょっと振り返ると、母さんがすごい目で僕を睨んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます