午前0時30分 NG本社屋上に出来た王樹の天辺

 ゲイリー大佐の触手が本物のタコ以上の滑らかな動きでヴェラに襲い掛かり、彼女は自分に向かってくる触手の一つ一つに嫌悪の眼差しを飛ばしながら冷静に切り落とす。一本、二本、三本……そして四本目を切ろうかと言うところで触手はゲイリーの元へと巻き戻される。

 ヴェラは触手が引き下がった頃合いを見て距離を詰めようとしたが、直ぐに別の触手が眼前に立ちはだかり、彼女の行く手を阻んだ。

「厭らしい上に厄介ね、この触手……! 本人の捻くれた精神が宿っているんじゃない!?」

「まもりびとの特性は人それぞれだ。私に言われても、こればかりはどうしようも出来んよ」

「別にアンタに言っている訳じゃないわ……よ!」

 そう言い放つのと同時に四本目と五本目の触手を切り落とし、残る触手は半分のみとなった。このまま全ての触手を切り落としてゲイリー大佐を仕留めよう、勢い付いたヴェラは一気に攻め込もうとするも、そこで耳障りな甲高い声が鼓膜を震わせた。

「っ、まもりびと!」

 まもりびとが数匹ばかし王樹の天辺へと登り詰めると、ヴェラに向かって駆け寄って来た。そこでヴェラはゲイリーから一旦距離を置き、向かってくるまもりびとの相手をするべく斧を構えた。

 ところが、ここでヴェラも予想だにしていなかった思わぬ事態が起こる。横合いから割って入るように伸びて来た触手が、ヴェラに襲い掛からんとしていたまもりびとを掻っ攫ったのだ。

「何……!?」

 掻っ攫われたまもりびとを目で追うと、蛇が獲物を絞め殺すように、ゲイリー大佐の触手がまもりびとをギリギリと締め付けていた。何の意味があるのか分からなかったが、よくよく見ると締め付けられているまもりびとの肉体から急速に水分が抜けていくかのように萎び始め、それに合わせて切り落とされた触手がみるみると再生されていく。

 最終的に触手が一つ再生し切った頃には、触手に巻かれていたまもりびとは全水分を奪われて、カラカラの干物みたいな状態に変わり果てていた。そして干乾びたまもりびとはゲイリーの手によって、王樹の外へと投げ捨てられた。

「利用するだけ利用して、用無しになったら即捨てる……。本当はゲイリー大佐の意思が残っているんじゃないの?」

「仮にそうだとしたら、どうする? 『止めて下さい、大佐!』とでも言って、微かに残っているかもしれない彼の人情に訴えるのかな?」

 アキラがジョークを込めて嫌味を告げると、ヴェラはハッと鼻で笑い「まさか!」と強い口調で否定した。

「あのクソ野郎相手に、人情で訴えるような真似は勿体無いわよ」

「ふふふ、キミならそういうと思ったよ。しかし、どうやってゲイリー大佐を仕留める気かな?」

 その言葉にヴェラは意見を返さず、思考の中で「さぁ、どうしようかね」とだけ告げた。

 アキラの言う通りだ。ゲイリー大佐を仕留めるのは、他のまもりびとと違って少々難関だ。特にあの触手が厄介だ。切り落とすまでは良いとして、まもりびとさえ居れば直ぐに再生してしまうという特性が、この上なく腹立たしくもあり厭らしい。

(恐らくまもりびとの体液を吸収し、触手を再生しているのだろうけど、腕を切り落とす作業に専念すればまもりびとに襲われる。まもりびとを駆逐しようにも、その数は余りにも膨大過ぎる。せめて、どちらかを肩代わりしてくれる仲間が一人でも居てくれれば――)

 そう考えている最中にも、再び触手がうねるようにヴェラに向かって伸ばされて来た。最初の一本目を難無く避け、続いてやって来る二本目と三本目を掻い潜るように躱すと共に一気に距離を詰める。

(触手を切っても無意味ならば、直接本体を仕留めるしかない!)

 触手を無視して本体一点に攻撃を当てる、その戦法に切り替えたヴェラの斧は遂にゲイリーを捉えた―――かに見えた。しかし、そこでヴェラはゲイリーの背後から伸びた7本目と8本目の触手が、絡まり合った王樹の隙間に忍び込んでいるのを見て咄嗟に身を引こうとした。

 しかし、あと一歩間に合わず真下を突き破って現れた触手に掴まり、先程のまもりびと同様にヴェラの身体を締め上げるのと同時に宙に持ち上げた。他の触手もウネウネとくねらせながら天へと上り、杭のように鋭い矛先の狙いを宙に持ち上げたヴェラに定めた。

「くそ、こんな事で……!」

 頑丈なアーマーが耐えられるかは分からないが、ヴェラの想像を超える威力であれば一発で御陀仏なのは間違いない。そして触手がうねるのをピタッと止まり、次の瞬間には獲物に襲い掛かる蛇のような俊敏な速さでヴェラに襲い掛かる。

 万事休す……ヴェラも思わず矛先から目を反らす様にギュッと瞼を閉じた時だ。突然ガクンッと身体が揺れ、次いで浮遊感が襲い掛かり、自分を締め上げていた触手と共に王樹の上に落下した。そして彼女が目を開くと、目の前を突き出された触手が空を切ったので、辛うじてながらも九死に一生を得たことを知った。

「一体、何が……?」

 辺りを見回せば自分を締め上げていた7本目と8本目の触手が切り倒されており、そのすぐ傍には自分と同じアーマーを着た男が立っていた。味方だ。しかし、一瞬だけ沸き上がった喜びはディスプレイに表示された認識番号を見た瞬間に、驚愕に追い抜かれた。

「トシ!? 何で、貴方が此処に!?」

 自分を救った男―――トシヤに抱いたのは感謝の念ではなく、疑念だった。仲間だと思い込ませておきながら、実は自分達を裏切って海軍に情報を流し続けていたCIAのスパイなのだ。ヴェラが警戒するのも無理ない話だ。

 また自分に与えられた任務を全うする事しか頭になさそうな男が、今更になって彼女のピンチを救ったのには理由がある。少なくとも温情や私的な理由ではないだろう。そんな彼女の思考を読み取ったのか、トシヤは冷めた口調で本音を呟いた。

「別に大した理由じゃありませんよ、ヴェラさん。私はゲイリー大佐が持っているNG社のデータを回収したいだけですよ」

 データと聞いて、ヴェラは思い出した。確か自分達が手に入れたデータは彼の手に渡り、そのままポケットのズボンに入ったままだ。

「成程、そう言えばゲイリーはアレを持ったままだったわね。でも、アタシを助ける必要はあったの?」

「ヴェラさんは赤ん坊を取り返したいのでしょう? 私はデータを取り返したい。互いに利害は一致していると思いますが?」

「つまりは、少し前まではいがみ合っていたけど今は協力し合い、ゲイリーを倒すのと同時にアキラの目的を阻止する事で一致団結しましょうって事かしら?」

「そういう事です。私としてはデータを手に入れたいですし、アキラの言うユグドラシルが世界を覆うというのは何としてでも避けたい最悪の事態ですので」

 トシヤは任務に忠実――良い意味も悪い意味も含めて――ではあるが、それに集中し過ぎる余り視野を狭めるような愚かな人間ではないようだ。彼の真面目な人間性に感謝しながらも、ヴェラは確認の意味を込めて意地の悪い質問を投げ掛けた。

「まさか全てが終わった後、私とミドリを消そうなんて考えちゃいないでしょうね?」

「ヴェラさんが私の邪魔をすれば、当然対処はしますよ。ですが、ミドリに関しては任務の管轄外です。彼女を貴女が助けようが、それは別に問題ではありません。但し、私は手を貸しませんよ」

「そう、なら決まりね。でも、例のデータをアメリカに渡すのは反対という立場は変えないわよ」

「御言葉ですが、貴女の考えを私に訴えても無意味ですよ。この任務に拒否権なんて有りはしないのですから」

 私情を挟まずに任務のみを優先させるというのならば、今はややこしいしがらみも後回しにしよう。ヴェラはトシヤと手を組むという選択肢を選ぶと、ゲイリーの方へと向いた。向こうは相変わらず触手をくねらせており、今すぐにも獲物を掴まえたいという意思を体現しているかのようだ。

「見ての通り元ゲイリーの攻撃手段は触手よ。切り落としても、まもりびとを吸収して再生してしまう。中々に厄介よ」

「なら、私達のどちらかがそれぞれに専念すれば良い訳ですね。……まもりびとが現れたら、私がそっちに行きます」

 トシヤからの申し出に、ヴェラは意外そうなものを見るかのような目を彼に向けた。

「意外ね。てっきりデータの回収が主目的なら、貴方がゲイリーの相手をするのかと思った」

「自分は生きてデータを向こうへ持ち帰らないといけませんからね。得体の知れない化物の相手をして、死ぬ訳にはいきません」

「……要するに私に危険な橋を渡れって言う訳ね。皆と一緒に行動した時とは大違い、酷い男だこと。良いわ、やってあげる。その代わりまもりびとが現れたら、そいつ等をちゃんと抑え込みなさい!」

「ええ、分かりました!」

 互いに承諾を得合うと、二人はゲイリーに向かって駆け出した。二人が動き出すとゲイリーも瞬時に反応し、身体中に生えた触手を一斉に繰り出した。

 うねるように空を走る触手が明確な殺意を持って二人に襲い掛かる。それを巧みに躱すのと同時に素早く斧を振るい、触手を一本、また一本と手慣れた様子で切り落とす。流石にまもりびと相手に戦い続けてきただけの事はある。

 やがて触手の数が残り僅かになると、動体探知機が4時方向から近付く物体をキャッチした。肩越しに振り返れば、ディスプレーの端に王樹の端から顔を覗かせるまもりびと達の姿が映った。どうやら先程と同じように触手の再生役として呼び出されたようだ。

「トシ! 他のまもりびとが来たわよ! ちゃんと足止めしてよね!」

「ええ、ヴェラさんこそ仕留めて下さいよ!」

「触手さえ再生しなくなれば、こっちのものよ!」

 そこでトシヤはまもりびとへと体の向きを変え、ヴェラはそのままゲイリーに向かって行った。無傷の4本と切断された6本の触手でヴェラを掴まえようとするが、アーマーの力を借りて俊敏に動く彼女を掴まえるのは容易ではなく、逆に無傷の触手が更に2本切り落とされて、ゲイリーの口から短くも痛々しい悲鳴が飛び出す。

 いい気味だと内心で嘲笑い、遂にヴェラは相手の懐に飛び込んだ。斧を逆袈裟切りで振り切り、ゲイリーの胸元に鉄の焼けるような発光した赤を刻み付ける。が、まだ浅い。ゲイリーは覚束ない足取りながらも数歩後退し、ヴェラと距離を置こうとするも彼女がそれを許さなかった。

「逃がしはしないわよ!」

 切り落とされた短くなった触手も総動員させて攻撃に回すが、勢いに乗ったヴェラの前では防戦に回るのでやっとだ。肝心の回復薬として呼んだまもりびともトシヤに足止めされており、ゲイリーの触手も思う様に再生出来ず、今では根元から短く切られた枝みたいな無様な状態だ。

 ヴェラも一気に畳み掛けようとした矢先、再び動体探知機に反応が現れた。9時方向だ。瞳だけを其方に向けると、一体のまもりびとが映った。増援だ。

「トシ! こっちからも来たわよ!」

「こっちも今、目の前のまもりびとを片付けるので手一杯です! 再生される前に仕留めて下さい!!」

 トシヤに応援を求めたが、トシヤもまた次から次へと押し寄せるまもりびとの相手で手一杯で、とてもヴェラの要請を聞き入れられるような状態ではなかった。ヴェラもトシヤの手を借りるのを諦め、ゲイリーが再生を図る前に決着を付けようと、槍のように逆手に持ち替えた斧を突き出した。

 一方のゲイリーも新たに現れたまもりびとを発見するや、無傷だった触手を素早く伸ばして捕獲し、体液を吸収し始めた。流石に切り落とされた数が多い為か、完全に再生出来たのは一本だけだ。しかし、相手の攻撃が届く前に再生出来たのは幸いだった。すぐさま再生した触手を、突撃してくるヴェラ目掛けて突き出した。

 ヴェラの斧とゲイリーの触手が槍先を交え合うかのように一瞬だけ交差し合い、そのまま互いの一撃が相手の顔へ吸い込まれる。まもりびとを片付け終え、二人の戦いに決着が着いた瞬間を遠目から見ていたトシヤは一瞬相打ちかと思ったが、勝負の軍配はヴェラに挙がっていた。

 ヴェラは触手が眼前に迫った時、咄嗟に首を横へ傾げる事で触手の通る軌道から逃れていた。そして彼女が突き出した斧は見事にゲイリーの喉元に深く食い込むように突き刺さり、赤く焼けた亀裂から黄緑色の輝きを発するGエナジーがボタボタと零れ落ちる。

「グゥ……オォォ……」

「悪いけど、これで御終いよ」

 そう言ってヴェラが斧の柄を下から突き上げるように掌底で叩き上げ、喉元に刺さった斧刃が頭頂部を突き破り、ゲイリーの顔を二つに割った。二つに割られたゲイリーは立つ事もままならず、遂にその場に倒れ込んだ。

「ふぅ、これで終わりね……」

 ゲイリーを始末して疲れの籠った溜息を吐き出したヴェラの横を、トシヤが素早く駆け抜けた。そして息絶えたばかりのゲイリーのズボンに躊躇なく手を忍ばせ、目的のものを探り始めた。

 それを見て「よくやるわね……」とヴェラが呆れたように感心したが、本人は彼女の呟きに特に目ぼしい反応も見せず、やがて目的の物――ユグドラシルのデータが入ったクリスタルスティック――を見付けると黙々と自身のポーチに仕舞い込んだ。

 本当ならばトシヤの行為を阻止したいのは山々だが、彼と協力し合う約束を交わした以上、裏切る訳にはいかない。そして約束を守っている以上、彼もまた自分の力になってくれるのも事実だ。

「さて、トシヤも目的の品物を手に入れたから……後は貴方だけよ、アキラ」

 二人の鋭い視線がアキラを突き刺すが、向こうは巌のように動じなかった。寧ろ唇の片端をクッと持ち上げ、意味深な笑みすら浮かべている。

「何が可笑しいの? 偉そうに余裕ぶろうと態度を取り繕っているだけなら、無駄な抵抗はせずに大人しくミドリを返す事を推奨するわよ」

「はははは、面白いジョークだ。仮にミドリを返したところで、其方のトシヤくんは私を生かさないのだろう?」

「当然です。貴方の思考はアメリカにとって害悪だ。此処で排除する必要がある」

 二人は一歩、また一歩と距離を詰めるが、アキラは笑みを崩さないし逃げようともしない。まるで突き崩せない牙城のような強い自信に不穏なものを感じ、二人とも内心で警戒心を極限一杯にまで強めた。

 そして二人とアキラの距離が5mを切った時、地震にも似た強い揺れが王樹に襲い掛かった。その揺れにヴェラは咄嗟に王樹の木に斧を突き刺し、トシヤも片膝を着いて揺れに耐えようとする。

「何!?」

「この揺れは……まさか!?」

 ヴェラが揺れの原因に思い当たったのと同時にトシヤの方を見遣れば、彼は満面の笑みを浮かべていた。そして彼は待ちに待っていた時が来たと言わんばかりに、興奮した口調で宣言した。

「はははは! そのまさかさ! 遂にその時が来たのだ! 王樹の開花だ!!」

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