午前10時27分 T-02にある総合病院 西棟の四階にある産婦人科エリア
けたたましい声と共に妊婦型が駆ける馬の如く四人に肉薄し、鋭い爪を先頭を走るヴェラ目掛けて振り下ろす。ヴェラは斧を振るって迫る腕を弾き飛ばし、その隙にスーンが母体の横へと回り上半身に斧を滑らせた。
しかし、母体が事切れても赤子の方で制御出来るのか、赤子だけとなった体は倒れずに踏み止まり、そのまま体勢を立て直すや最後尾に居たオリヴァーの方へと突進をし掛けた。
「くそっ! 良い子だから大人しくしろっての!!」
そう毒づきながらオリヴァーはマタドールさながらにサッと避け、相手への突進に失敗した赤子はそのまま分娩台へ頭から激突した。まもりびとになっても痛みがあるのか、赤子は呻き声を上げながら数歩後ろへよろめき、千鳥足のように覚束ない四足をゆっくりと動かして反転しようと試みる。
だが、反転を終える前にオリヴァーの斧が振るい落とされ、赤子の首を刎ね飛ばした。そこで漸く妊婦型は動きを止め、奇形の馬を彷彿とさせる体がどすんっと音を立てて床に沈んだ。
これで終わりならば良かったのだが、扉を抜けて妊婦専用の入院部屋が並ぶ通路へと出ると、まるで見計らっていたかのように、それまで閉ざされていた部屋が幾つか開き、中から妊婦型が続々と姿を現した。その数は七体。
「変形する前に数を減らして! 急いで!」
ヴェラが指示出して走り出す前にオリヴァーとトシヤは駆け出しており、指示が出終わった後でスーンがこれに続く。ヴェラとオリヴァーがそれぞれ一体ずつ仕留め、出遅れたスーンもトシヤの手伝いをする形で攻撃に加わり計三体を仕留めた。だが、残り四体の変形を止める事は叶わず、遂に変形を完了させた妊婦型は四人に襲い掛かろうと駆け出した。
「部屋の中に隠れて!」
ヴェラが指摘したのは、妊婦型が潜んでいた入院部屋だ。ヴェラとオリヴァーは右手の部屋に、トシヤとスーンは左手の部屋に飛び込むことで四体の突撃を辛うじて遣り過ごした。
部屋に飛び込んだヴェラは素早く立ち上がり、扉の脇の壁に背を当てた。身構えるように両手で持ち構えたヒートホークを強く握り締め、先程の妊婦型が侵入してくるのを待った。
そして数秒も経たずして母体と一体化した赤子が姿を覗かせた瞬間、その赤子の上半身を斧で叩き切った。前足の役割を果たしていた赤子を失い、バランスを大きく崩した母体が前のめりとなって部屋の中へと倒れ込む。その好機を待ち望んでいたヴェラは再度斧を持ち上げ、母体の上半身に分厚い刃を叩き落とす。
相手が母子共々息絶えたのを確認し、ヴェラはすぐさま部屋を飛び出した。他の仲間は無事だろうかと考えていると、隣の部屋に飛び込んだオリヴァーが頭を叩き割った母体を蹴り飛ばして現れた。
「オリヴァー、無事かい!?」
「ああ、何とかな。先程の分娩台でヒントを得られたのが生き延びた秘訣さ」
草臥れた笑い声と共に、親指を自分の入った部屋へと指す。それに釣られてヴェラが部屋を覗き込むと、横倒しになったベッドに上半身を埋めたまま、体を切断された幼いまもりびとの死体があった。どうやら突進の勢いでベッドに激突し、クッションに埋もれてしまったようだ。
「あとはスーンとトシヤだけだね。二人の安否を―――」
「た、助けて下さい!! 誰か!!」
突如二人の通信にスーンからのSOSが飛び込み、余裕を持ち始めた気持ちが一転して緊張の糸で縛られる。二人は急いでスーンのビーコンが発せられる部屋へと駆け寄ると、母体がスーンに跨り、首元にあるアーマーの繋ぎ目から鋭い爪を食い込ませんとしていた。その傍には両腕を切り落とされた挙句、母体から切り離された赤子の死骸がある。
スーンは辛うじて鋭い爪を掴み止めていたが、これによって両手が塞がれてしまっている為に反撃のチャンスを手に入れられず、手の打ち様がない状況に追い込まれていた。
咄嗟にオリヴァーが駆け出し、背を向けている母体の背中に一撃を食らわす。甲高い悲鳴を上げてスーンに伸ばしていた爪を引っ込めるのと同時に、背中の傷の痛みにもがくように上体を仰け反らせた隙にヴェラが母体の首を跳ね飛ばした。
首を失った母体は立位を保てずに、足元から崩れ落ちる様に倒れ込んだ。ヴェラは未だに仰向けで倒れているスーンに手を差し伸ばし、スーンも息も絶え絶えながらもこれを握り返して起き上がった。
「た、助かりました。有難うございます……」
「生きてて何よりだよ。まだアンタには頑張って貰わなくちゃならない事が山のようにからね」
「ははは……」
乾いた笑い声を上げながら、スーンは足元に落ちた斧を拾い上げて背中に懸けた。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
丁度タイミングよくトシヤが顔を覗かせ、一同は彼の方へ顔を向ける。身体中には真新しい体液が付着しており、それが彼と妊婦型の戦いが如何に苛烈なものであったのかを物語っていた。
何はともあれ全員が無事である事を再度確認したヴェラはホッと胸を撫で下ろした。途端、院長室へ戻る事という目的と、この場を後にしたいという思いが歯車のように上手く噛み合い、彼女は仲間達にこの場から離れる指示を出したのであった。
☆
中央棟五階の院長室に戻り、ヴェラ達は早速通行証の発行を開始した。歴代の院長が愛用していた執務机の中に几帳面に仕舞い込まれていた通行証発行機は驚くほど綺麗で、これだけを見たら災厄の被害を受けた歴史なんて嘘だったかのようだ。
当初は樹皮で覆われた手は使えるのかと心配だったが、それは杞憂に終わった。まもりびとになっても指紋は変わらないらしく、機械はちゃんと院長の指紋を読み取ってくれた。そして通行証のカードが一枚ずつ発行されていくが、最後の一枚を発行しようとした時に問題が起こった。
「ヴェラさん、最後の一枚が発行出来ません」
「どうして?」
「単純に紙が足りないんです」
三枚発行し終えた所で紙切れを意味するマークが機械に表示されたのだ。これでは四人全員で東棟にあるデータ室へ渡れない。
「念の為に予備の紙を探してみます。もしかしたらあるかもしれませんが、無かったら……」
「誰か一人、留守番をするしかないって訳か」
途切れたスーンの言葉をオリヴァーが補足すると、四人はそれぞれ散らばって通行証の発行に必要となる紙を探し始めた。
オリヴァーとスーンは右手の壁に置かれた木製の引き出しの中を一番上から一番下まで泥棒のように引っ繰り返しては手当たり次第に探してみるが、目当ての物を見付け出せず力無く首を横に振った。
「こっちはダメだ、そっちはどうだ?」
「こっちは目下探索中よ」
そっちと言ってオリヴァーが視線を寄越すと、ヴェラとトシヤが院長が使っていた執務机を探っている最中だった。こちらもメモ用紙等の単純な紙ならばあるが、やはり発行用の紙が見当たらない。やはり使い切ったのか、もしくは別の場所にあるのか。
そしてヴェラが最後の引き出しを開けると、そこにはシンプルな便箋に収まった手紙が幾つか入っていた。今の時代に手紙とは珍しい、そんな事を思いながら便箋の表面を見遣る。
「ヴェラさん、それは?」
「見たところ、手紙のようね。宛名はキョウヘイ・ハザマダ――ここの院長ね。いや、院長だった人と言うべきかしら」そこで言葉を区切り、便箋を裏面に引っ繰り返す。「差出人は……カツキ・セラ?」
「カツキ・セラ? もしかして、この人ですか?」
一緒に探していたトシヤが差し出したのは、反対側の引き出しから見付けた一枚の写真だった。そこには目付きの鋭いハザマダと、綺麗に切り揃えられた顎鬚を蓄えたスーツ姿の紳士の二人が写っており、写真を裏へと引っ繰り返すと写真を撮った日付と場所、そして『我が友人、カツキ・セラと共に―――』という言葉が添えられていた。
「カツキ・セラ……何処かで聞いた名前ね」
「確かリュウさんが僕達に教えてくれた、五芒星と呼ばれる人達の中にカツキ・セラという名前がありませんでしたか?」
頭の奥底で引っ掛かっていた疑問が、トシヤの一言が鍵となって一気に鮮明な記憶が噴き出した。ヴェラが病院に乗り込む前、リュウヤから聞かされていた五芒星の名前の中にカツキ・セラという名前があった。
「もしかしたら、五芒星の人間が直接的にこの病院と何らかの関係を持っていたのかもね」
ヴェラは徐に便箋から手紙を抜き取り、その中身に目を通した。やがて中盤から後半へと文字が進むにつれて、彼女の表情も険しいものへと変化していく。しかし、フルフェイス故に彼女の顔色なんて分かる筈がなく、誰もがヴェラの言葉を待っている。やがて手紙を読み終えると、彼女の口から重々しい呟きが思わず零れた。
「何てこと……」
「どうかしたんですか、ヴェラさん?」
「この病院も何かキナ臭い事が行われていたみたいよ」
そう言ってヴェラはトシヤに手紙を手渡した。その内容は以下の通りだ。
最近この病院で妊婦の失踪が相次いでいるという怪しげな文章から始まり、更に読み進めると失踪した女性の大半は生活保護を受けている人間や、訳あって妊娠してしまった未成年と言った社会的立場の弱い女性が中心であり、彼等が居なくなるのは決まって出産する直前だという事が書き記されていた。
そして事件に関わっているのは院長の息子――シンヤ・ハザマダの可能性があるという文言で締め括られていた。
「シンヤ・ハザマダ……確か、彼も五芒星の一人でしたよ!?」
「父親が都内に構えた大病院の院長、その息子は五芒星の一角に名を連ねる超エリート。やれやれ、御立派な家系なこって」
「ですが、もしこれが事実なら何を企んでいたんでしょうか? もしかして、彼方の研究所同様に変異体の研究を別角度から進めてたのでしょうか?」
「さぁ、それは分からないけど……少なくともキョウヘイ・ハザマダとカツキ・セラは良心を持って行動していたみたいね」
既にヴェラは次の手紙を読み始めており、その文字に視線を滑らせた。キョウヘイとカツキは行方不明になった妊婦の行方や、彼女達が行方不明になる理由に付いては最後まで分からなかったが、今まで掻き集めた情報を全て警察に渡す気だったらしい。
果たして情報を警察に渡したのか否かまでは書かれていないが、この手紙の遣り取りが行われたのは災厄が起こる二日前だ。遅かれ早かれ、彼等の努力が無意に帰すのは目に見えている。
「手紙はこれだけね。他には不審な点に関する遣り取りと応答が行われているだけで、目ぼしい物は見当たらないわ。恐らくメールではなく敢えて手書きの紙にしたのも、他人にこの遣り取りがバレないようにする為でしょうね」
この場合、他人と言うよりも実の息子と言うべきかもしれないが、どちらにせよ二人がが暴こうとしている秘密は誰にも知られなかったのは事実だ。結局、災厄によって二人が暴こうとした秘密も闇に葬られてしまったが……。
しかし、ヴェラ達に二人が暴こうとした秘密を知る気なんて更々ない。それよりも今は五芒星のDNAデータを手に入れて、フラッシュ・クローンを作り出す方が先決だ。
「結局、紙が見当たらなかったから……誰か一人は残って貰う事になりそうね。スーンはデータの入手と装置の操作に必要だから、付いて来てもらう必要があるわね」
ヴェラの言葉にスーンの口から「ええ?」と苦々しい驚きに満ちた声が飛び出した。
「DNAデータの件は兎も角、フラッシュクローンの装置に関しては医療分野であって、流石の僕も自信はありませんよ?」
「それでも機械を使うのでしょ? だったら、少しでも機械に明るい人間に来て貰った方が良いわ」
要するにスーンが行くのは確定しているのだとヴェラが遠回しに断言すると、スーンは「分かりました」と告げて肩を落とした。やはり何が待ち受けているのか分からない場所に、足を踏み入れるのは相当堪えるようだ。それを見て見ぬ振りをしたヴェラは、残りの二人へ視線を定める。
「――となると、後は私達三人の中から誰か二人を選出するという形になるけど、どうする?」
その質問にトシヤは真っ先に手を上げて答えた。
「なら、私は皆さんが帰って来るまでクラブマンに待っています。そうすればミドリにトシさんを守れますからね」
ヴェラもクラブマンに残っているミドリとリュウヤを気に掛けていただけに、トシヤの尤もな意見に心の中で深く頷いた。そしてヴェラの視線は自然とオリヴァーに向けられた。
「オリヴァー、アンタは?」
「俺は赤ん坊の子守はコリゴリだ。今回は一緒に同行して肉体労働に勤しむよ」
「なら、決まりだね」
全員――約一名を除く――の意見を聞き終え、ヴェラは問題解決と言わんばかりの明るい口調で断言した。そしてトシヤを除く三名は通行許可証をポーチに仕舞い込むと、四人は院長室を後にした。
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