午前9時55分 T-02にある総合病院 西棟の四階にある産婦人科エリア

 四人がGPSの後を追って辿り着いた西棟の四階は、分娩室や帝王切開用の手術室、更には新生児特定集中治療室NICU等が置かれた産婦人科エリアだった。

 赤ん坊や幼児を意識してか通路の壁には可愛らしいファンシーなイラストが描かれており、人の居ない受付のテーブルには愛着を覚え易いぬいぐるみが何体か置かれている。しかし、明かりは点いておらず、壁に走った蔦や床に散らばった天井の残骸等のホラーテイストが圧倒的に勝っており、とても嘗ては産婦人科だったとは思えぬ程遠い異質な空気が充満していた。

 そんな空気に嫌気が刺したのか、妊婦が入院する部屋が両手に並ぶ通路を歩いているとオリヴァーがボヤきを零した。

「やれやれ、ここに御婦人の一人や二人が生きていてくれたら感謝のハグやキスもくれただろうによ……」

「居たとしても、全員旦那持ちだけどね」

「スーン君、未亡人の魅力というものが分かってないねぇ~。キミは」

「仮に分かっていたとしても、今の状況で未亡人の魅力に興奮なんて出来やしないよ」

 オリヴァーの会話に呆れた口調で言葉を返しつつパッドの画面に視線を落とすと、チカチカと輝いていたGPSが四階の最奥にある、分娩室で止まった。

「ヴェラさん、GPSの動きが止まりました。この階の最奥にある分娩室です」

「今度は逃げ出す前に仕留めないとね。外に居る二人が心配だわ」

 今更ながらにクラブマンに残してきたリュウヤとミドリの安否が気に掛かり、ヴェラの頭の片隅にチラチラと二人の顔が浮かび上がっていた。クラブマンが頑強だからと言って、必ず破壊されないとは限らない。向こうが以前みたいに戦車を投入して来たら、それこそアウトだ。

 一刻も早く終わらせて、向こうに戻らないと……そういう思いが無意識に体に伝わったのか、斧を握り締める手に力が籠っていた。程無くして手に力が籠っている事に気付き、ヴェラは自分自身の行いに内心で驚きながら、斧を握る手を緩めようとした。

 その時だ、左右に並んでいた扉の一つがガラリと音を立てて開いたのは。最早ここまで来れば生存者が居るなんて甘い理想を抱いている者など居らず、全員が斧を構えて開いた扉に意識を向けた。

 そして中から現れたのは、やはり全員が想像していた通りまもりびとだった。だが、他のまもりびととは異なり、その腹部は巨大なボールを詰め込んだかのように大きく膨らんでいた。

 全員の視線が膨らんだ腹部に釘付けとなり、やがてスーンが口にするのでさえも恐ろしいと言わんばかりにドン引きした低い声で呟いた。

「何ですか、アレ?」

「もしかして……妊婦が変異体になったとか?」

「おいおい、まさか腹の中にまもりびとの赤ちゃんが居るなんて言わないよな? いくら何でも、まもりびととは言え妊婦と赤ん坊相手に斧を向けるのは心が――――」

 オリヴァーが彼の良心に基づいて持論を展開しようとした矢先、まもりびとが甲高い奇声を上げた。すると膨らんだ腹部の樹皮に大きい罅が入り、卵の殻を破るように中から黄緑色の体液に塗れた赤ん坊が現れた。

 その赤ん坊の姿はオリヴァーが危惧した通り、樹皮に覆われたまもりびとになっていた。赤子の手は人間のような五本指ではなく、獲物を捕食するカマキリのような巨大な爪に変貌しており、下半身は母体に埋まったままだ。

 やがて赤ん坊に纏わりついていた体液が渇くと、赤ん坊と母体の肉体が融合するかのように一体化した。まるで人馬一体となったかのようだ。但し、見た目が今まで見たまもりびとの中で最も異色な上に、元が妊婦と赤子というだけあって四人が受けた嫌悪感は今までの中で最大であった。

「どうする、オリヴァー? 彼等を攻撃するのは心が痛む?」

 先程オリヴァーが言い掛けた台詞を、彼を試すような口調と共にヴェラが拾い上げて投げ返した。しかし、流石の彼もこんなものを見せ付けられては、考えを改めざるを得なかったようだ。

「……いいや、前言撤回。これなら思い切りブチ殺せる」

 先程抱き掛けた哀れみや良心の呵責は綺麗さっぱりと消えており、180度異なる発言をして斧を握り締めた。彼がやる気になったのを見て、ヴェラが頼もし気に微笑むと妊婦型のまもりびとと向き合った。

「気を付けな、来るよ!」

 先に動いたのは妊婦型だった。赤ん坊の両腕が前足となり、妊婦の足が後足となり、まるで馬脚のように息の合った走りで四人との距離をあっという間に詰める。これにはスーンも目を皿のように開いて驚くばかりだ。

「は、早っ!?」

 母体は鋭い爪を生やした手を徐に持ち上げ、通り過ぎ様にスーンの頭目掛けて腕を振り抜く。だが、スーンは咄嗟に頭を下げて爪を回避し、他の三人も妊婦型に道を譲る形で攻撃を遣り過ごす事に成功した。

 妊婦型は攻撃を躱されると、すぐさま赤子が巨大な爪を床に引っ掻けて制動を掛け、動きを止めるのと同時に方向転換した。その際の痕跡がハッキリと床に刻まれる形で残る。

 そして先程と同じ要領で再び駆け出すが、今度はヴェラ達の横を通り過ぎるのではなく、近代馬術のようにジャンプしてトシヤに躍り掛かった。

「トシ!」

 完全に攻撃パターンを読み違えていたトシヤは身動きが取れず、妊婦型に押し倒される形で転倒する。そしてトシヤの目の前に現れたのは、カマキリのような爪を生やした赤ん坊だった。

 赤子は自慢の爪を持ち上げると、彼の頭目掛けて鋭い鎌先を突き出した。それを体を捩る事で躱し、後頭部にある硬い床に突き刺さる。直ぐに反対側の鎌も同じ要領で振り下ろし、それも躱そうとするも若干間に合わず、彼のヘルメットに掠って地面に突き刺さった。

 そして三度目の爪を振り落とそうとした時、ヴェラが赤子の爪を切り落として攻撃を防いだ。赤子がそれに驚き視線を彼女の方に背けた隙に、トシヤが赤子と母体を繋ぐ中間点を思い切り足裏で持ち上げるように蹴り上げて、相手のバランスを崩して横転させた。

 横転した妊婦型は何とか立ち上がろうともがくも、立ち上がる前にスーンとオリヴァーの斧が振り下ろされた。スーンの斧は母体の頭を叩き切り、オリヴァーの斧は馬の胴体を彷彿とさせる母体と赤子を繋ぐ中間を切り裂いた。

 母体の方は頭を潰されたせいか数度痙攣した後に動かなくなったが、赤子の方は母体を失いながらも必死に残った片腕を動かして、その場を離れようとしていた。いや、もしくは他の仲間の所へ向かおうとしていただけかもしれない。

 だが、戦うどころか抗う術すら取り残されていないまもりびとの赤子の前に、一人の人間が立ちはだかった。ヴェラだ。彼女は赤子を見下ろしながら、持っていた斧を高々と持ち上げた。

「ごめんね」

 その謝罪の言葉を相手が理解したのかは定かではない。だが、彼女は斧を振り下ろし、幼きまもりびとの命を絶ったのは確かである。

「全く、嫌になるわね……」

 ずるりと斧を赤子から引き抜くと、彼女は嫌悪に満ちた言葉を吐き捨てた。まもりびとになっていたとは言え、元を質せば普通の赤ん坊だったのだ。あれが普通に人間という種族で誕生していれば、あれが出産を経て人間の親子として育っていれば……。

 そんな輝かしい未来が一瞬にして失われた挙句、何年も化物――母体も犠牲者だが――の腹の中に閉じ込め続けられるなんて。想像しただけで恐怖や悍ましさから来る鳥肌が背筋に走る。

「ヴェラさん、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ。……行きましょう。」

 暫しの沈黙にスーンが不安そうに声を掛けるも、彼女は何事も無かったかのように再び歩みを再開させ、三人もそれに続いた。

 途中で新生児と顔合わせする新生児室を通過したが、そこに赤ん坊の姿は見当たらず、空っぽのケースばかりが並んでいた。しかも、奥の方に見える保育器は内部から破壊されたような痕跡があり、ここで何が起こったのかは想像するに難しくないが、今は意識を前に向ける事のみに専念した。

 そして通路の最奥にあたる分娩室に辿り着くと、ヴェラは再度確認の意味を込めてスーンの方を見遣った。スーンも先程みたいな失敗はしないと念入りに確認し、パッドに移るGPSの反応を拡大させた。

「間違いありません、院長はこの奥です」

「私とオリヴァーが突入するから、スーンとトシヤはフォローに入って」

「分かりました」

「了解」

 両開きの分娩室の扉にスーンとトシヤがそれぞれ位置に付き、互いの顔を見合わせながらタイミングを合わせる。そして両者が一斉に頷くのと同時に扉を開けて身構えていたヴェラとオリヴァーが室内へと突入する。

 分娩台と手術台が並ぶ清潔な空間に、その男は居た。やはりヴェラ達が想像したとおりにまもりびとと成り果てており、嘗て人であった頃の面影はない。そして男の両隣には妊婦型が親衛隊のように寄り添っていた。

 ヴェラとオリヴァーが駆け出し、狙いを妊婦型に定めた。人馬形態は厄介だが、あの赤ん坊が腹を突き破って変形を終えるまでには時間が掛かる。なので、その前に仕留めて無力化すると考えるのは必然であったと言えよう。

 進入してきた二人の人間を目にした妊婦型は、出っ張った腹部に収まっている赤子を呼び出そうと奇声を上げた。が、その前にオリヴァーは膨れていた腹にヒートホークを捻じ込むように突き刺し、ヴェラは振り落とした斧の刃を頭から腹へと減り込ませる。

 あっというまに護衛を失い、残るは院長のみとなった。彼は黄ばんだ歯を剥き出しにし、野生の肉食動物さながらの唸り声を上げながら二人を睨み付けた。そしてけたたましい奇声を上げて、ヴェラに襲い掛かった。

「ヴェラ!」

 斧の柄で攻撃を受け止め、そのままガッチリと取っ組み合う。互いの力が均衡し合って動きを止めた隙に、院長の背後に回ったオリヴァーが斧を振り上げるも下ろす寸前でヴェラの言葉がマイク越しに鼓膜を刺した。

「なるべく彼を傷付けずに仕留めて!」

「なるべく傷付けずに仕留めろって……矛盾してるぞ!」

 無茶な注文にオリヴァーも思わず顔を顰めるが、兎に角最善を尽くそうと一先ず彼の足を切断した。突然脚部を失った院長の体は土台を失った建物のように崩れ落ち、その場に尻餅を着いた。

 機動力を奪われた院長は残った両腕をヴェラに伸ばそうとするも、すかさずヴェラが彼を踏み倒して床に縫い付けてしまう。そして身動きの取れなくなった彼の心臓目掛けて、赤熱する斧の刃をナイフのように突き刺した。

 焼ける音と共に斧の刃が彼の肉体に沈んでいき、院長の口から激しい断末魔が上がる。だが、それも一頻りすると声は弱まっていき、最後は煌々と輝いていた目から輝きが失われる、ヴェラに伸ばしていた両腕が力無く落ちた。

「これで院長は確保ね」

「死体相手に確保と言うのは正しいのか?」

「細かい事は良いのよ」ヴェラの視線がオリヴァーからスーンへ滑っていく。「スーン、これで許可証は発行出来るのよね?」

「ええ、院長の指紋さえあれば大丈夫です」

「指紋って……これで判別出来るのかぁ?」

 オリヴァーが樹皮に覆われた院長の手を持ち上げて怪訝そうに呟くが、それは彼だけでなくこの場に居る全員が共有している疑問でもあった。

「その手が使えるか使えないかは、神のみぞ知るってところかしらね。さぁ、両手を持って戻りましょう」

 院長の両腕を切断し、片腕はヴェラが、もう一つの腕はトシヤが持つ事となった。死体を損壊するのは道徳に反すると言われるが、今は此方の生死が掛かっているので止む無しだ。

 そして来た道を戻ろうと踵を返したとき、扉の向こうからガチャンッというガラスを踏み割るにも似た音が聞こえてきた。

「おい、今の音って……」

「ええ、考えたくないけど……」

 恐らく全員が同じ事を考えているだろう。緊張した面持ちに、緊張から来る冷や汗がツゥ…と流れ落ちていく感触すら忘れて分娩室の扉を睨み付ける。そして数秒後、バンッとけたたましく扉が開かれ、人馬体型に変形し終えた妊婦型のまもりびとが雪崩れ込んできた。

「皆! 離れないで! 突っ切るわよ!!」

 ヴェラの掛け声と共に四人は一斉に駆け出し、迫って来るまもりびとの群れの中を突っ切った。

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