午前9時24分 T-02にある総合病院のフロアロビーの一角

「どうだい、スーン。何か分かりそうかい?」

「ちょっと待ってて下さい。今、情報を確かめますので」

 ヴェラ達に見守られる中、スーンはフロアロビーの病院受付に置かれてあった薄型パソコンの前に腰掛けながら、パソコンに残っていたデータを精査していた。幸いにも電源が付いた事から、ヴェラの言う様に病院の補助電源が細々とだが息を続けていたらしい。

 埃の被った画面をさっと掌で拭うと、その画面上に幾つかの窓が出現し、その中を複数の文字が競り上がっていく。やがて目的の場所を示す箇所が赤く点滅し、その階が画面の中でズームアップされた。

「見付けました。フラッシュクローンによる臓器の複製を作る場所は中央棟の三階です。DNAデータが保管されている場所は、東棟の四階です」

「中央棟の三階と東棟の四階ね。他に何か分かった事はある?」

「それがですね……」歯切れ悪い台詞と共にスーンが振り返る。「三階は兎も角、四階の方は一般人は進入不可らしく、仮に入る為には許可証が必要らしいんです」

「許可証? 何でまたそんな面倒な物が必要なんだ?」

「オリヴァーさん、知らないんですか?」

 オリヴァーが怪訝そうに首を傾げると、隣に居たトシヤが意外そうな声を上げつつも、その理由を答えてくれた。

「フラッシュクローンを用いる国々では、患者から預かったDNAデータは厳重に管理されるのが基本なんです。過去にDNAデータを違法入手し、それで様々なフラッシュクローンの臓器を生み出しては売り捌くという、違法な臓器売買ビジネス事件が起こりましたからね」

「成程、それで制限が掛けられているのか。……で、もし許可証もなく強引にデータを手に入れようと試みたら、どうなるんだ?」

「データを守る為の防衛プロテクトが自動的に発動し、データに手出し出来なくなります。そうなってしまったら、流石の僕でもお手上げです」

「それだけは避けないといけないわね。スーン、許可証はどうやったら手に入るの?」

「本来の流れとしてはデータ室への侵入許可に必要な諸々の書類を病院に提出し、怪しい点が無いか精査した上で最終的には院長が許可証のカードを発行するみたいです。つまり許可証の発行には院長の存在が必要不可欠という訳です」

 パソコンのキーボードを叩くと、病院の責任者である老人――キョウヘイ・ハザマダの顔写真が現れた。尖り気味の目付きと睨み付けるような目力は他人に神経質な印象を与え、実際にそれを見たオリヴァーは「如何にも偏屈そうだ」と院長の第一印象を決め付けた。

「幸いにも病院関係者は病院内でも直ぐに場所を把握出来るよう、GPSの装着が義務付けられていたみたいです。院長も例に漏れず、装着していますね」

「それで居場所は?」

「現在は中央棟の五階にある院長室に……あれ?」

「どうしたんだ?」

「いや、GPSの位置が……動いているんです」

 スーンがパソコンの画面を指差すと、院長の名前が記されたGPSが僅かにだが右や左へとブレるように動いていた。死体ならば動かない筈なのだが、かと言って実は生き続けていたのだと楽観的に捉えるには、この絶望的な状況を背景に考えるとかなり無理がある。

「これって……もしかして、そういう事ですかね?」

「なーに、ホラーならではのセオリーだと思えば良いじゃないか」

「そんなセオリー要りたくありません!」

 オリヴァーのジョークを真面目な台詞でスーンが突っ込むと、ヴェラは苦笑しながら顎をしゃくり移動を促した。



 中央棟の五階へ向かう方法は二つある。エレベーターか、階段だ。流石に何年も放置された上に故障している可能性もあるエレベーターを選ぶ程に四人の肝は据わっておらず、多少肉体労働をしても比較的に安全性の高い階段を選んだ。

 だが、実際に階段を登り始めると、そこもまたユグドラシルの猛威で埋め尽くされていた。樹木が踊り場や階段の一部を貫きながら天に向かってうねるように伸びており、無数の蔦が壁一面を埋め尽くしていた。

 ユグドラシルの繁殖性の高さを物語るような光景に誰もが言葉を失い、そして樹木のせいで所々に罅割れた床や壁に息を飲んだ。此方も相当にダメージを負っており、下手をしたら崩落しかねない。四人の歩みは慎重にならざるを得なかった。

 そして三階まで上がったが、そこから先にある階段と踊り場は完全に崩落しており、代わりに緑豊かなユグドラシルの葉が眼前を占領していた。

「スーン、他に階段はある?」

「残念ながら階段は各棟に一つずつしかありません。別の棟の階段から五階に上がって、こっちの中央棟に回るという手もありますけど……」

「時間が惜しいわ。仕方ないけど、アレに乗るわよ」

 ヴェラがハッキリと断言して指差した先には、敬遠されていたエレベーターの扉があった。その瞬間、何とも言い難い不安の重石が三人の男の肩に圧し掛かったが、ヴェラの言う様に時間が大して残されていないのもまた事実だ。

「落ちない事を祈るしかないか」

「不吉な事を言わないで下さいよ」

 ヴェラがエレベーターのボタンを押す姿を後ろから眺めながら、オリヴァーが苦い顔で呟くのをスーンは聞き逃さず、即座に肘で小突いて抗議の声を上げた。

 幸い電源と装置は生きていたらしく、ヴェラがボタンを押しと五階を意味する数字が点灯し、徐々に此方の階へ向かって降りてくる。そして長年放置されていたにしてはスムーズに扉が開いた。

 向かい側の壁一面に貼られた鏡が割れている事以外、何の異常は無さそうに見える。ヴェラは慎重にエレベーターの中へ踏み込み、自分の身を以てエレベーターそのものの脆弱さを確かめた。暫くすると彼女は仲間達に向かって頷いた。

「……大丈夫みたいね。皆、乗って良いわよ」

 ヴェラが安全性を確認したのを見て、他の隊員達も恐る恐るエレベーターに乗り込んだ。全員が乗り込むのを確認したところで扉は自動的に閉まり、順調にワイヤーを巻き上げる音と共に上の階へと上がり始めた。たかが数階上がるだけだと言うのに、息が詰まるような緊張と不安が込み上がり、只管に早く五階へ到達する事を祈る様にしながら待ち続けた。

 そして四階が過ぎて五階に辿り着き、扉が開いたのと同時に安堵感が彼等の心を―――包み込まなかった。開いた扉の先に二体のまもりびとが居り、爛々と輝く化物の眼光から放たれた視線の矢がディスプレー越しに突き刺さったからだ。

 片やまもりびとが扉の先に居るとは思っておらず、片や扉から突然人間が現れるとは思わず、どちらも一瞬だけ金縛りにあったかのように身動きが取れなかった。しかし、まもりびとが威嚇を意味する金切り声を出した途端に金縛りは解け、ヴェラ達はエレベータから飛び出す様にまもりびとに向かっていった。

 スーンが果敢に斧を振り下ろし、それをまもりびとが受け止めた隙にヴェラが背後に回り込み、無防備な背中に袈裟切りを食らわせた。裂傷越し――殆ど切断されていたが――からスーンの姿を捉えた時には、まもりびとの体はズレ落ちるように崩れ落ちていた。

 もう一体はオリヴァーがまもりびとの攻撃を受け止めた隙に、トシヤが下顎から上を切り飛ばして仕留めた。上顎を含めた頭は鋭い弧を描くように飛び、べしゃりと音を立てて通路に落下するのを見届けたオリヴァーの口から「うへぇ」とドン引きしたかのような呻きが漏れ出た。

「周囲に敵は……居ないみたいね。スーン、病院長の部屋は何処かしら?」

「こっちです」

 スーンが率先して案内役を買って出ると、三人は彼の後を追う様に付いて行った。

 窓のない通路には歴代の病院長の額縁の写真が備え付けられており、十五代辺りまでは日本人の院長だったが、それ以降はアフリカ系や中東系の顔立ちをした人間の写真が多くなっている事から、この頃から日本人と移民の人口比率が本格的に逆転し始めたのだろうという事が窺える。

 そして彼等の額縁写真に見守られながら通路を進むと、院長室と書かれた金メッキのプレートを発見した。

「此処です、ヴェラさん」

「院長のGPSは、まだこの中から?」

「ええ、動いています」

「そう、分かったわ。……準備は良いわね?」

 全員が斧を手に持ち準備は出来ている旨を無言で伝えると、彼女は院長室のドアノブに手を掛けた。そしてもう片方の指で三秒数えて、最後の指が折り曲げられた瞬間に扉を開け放った。

 男性三人が意を決して部屋に飛び込む。が、そこに彼等が探していた目当ての人間の姿は無かった。

「おい、スーン! 居ないぞ!」

「どうなってるんですか!?」

「そんな! 間違いなく部屋の中に―――」

 スーンがパッドに視線を落とそうとした矢先、ガンッとダクトを中から叩く音が聞こえてきた。全員が思わず天井を見上げると、升目上に走った天井パネルの一枚が破られて、ポッカリと穴が開いていた。そして音は激しい騒音のように鳴り響いていたが、やがて遠ざかっていき遂には聞こえなくなった。

「GPSが急速に此処から離れている……! 間違いない! 今のが院長ですよ!」

「くそっ! 逃げやがった!」

「スーン、GPSで居場所は分かる?」

 逃げられた事に焦りや怒りを抱いている中で、ヴェラだけが冷静さを保った声色でスーンに話し掛けた。それに驚きを覚えながらも、スーンはパッドを操作して院長のGPSを追跡した。

「ええっと、今は……西棟に進んでいます」

「西棟? そこは主に何の治療や医療を専門としているの?」

「主なのは……小児科と小児外科、そして産婦人科ですね」

 パッドに競り上がった情報をスーンが読み上げると、オリヴァーが怪訝そうに反応した。

「はぁ? そんな所に行って何するんだ? まもりびとになっても院長の責務は忘れてなかったのか?」

「さぁね、尤もまもりびとになった人間が昔の習慣に捉われるなんて先ず有り得ないでしょうけど。でも、まもりびとだけにしか感じ取れない何かがあったとしたら?」

 その言葉に一同は並々ならぬ不吉なものを感じ取ったが、敢えてスーンはヴェラに答えを促した。

「例えば……何です?」

「そう、例えば……仲間の居場所を正確に感じ取れるのかもしれない」

 仲間の居場所を感じ取れる機能なんて厄介どころか恐ろしいものでしかない。もしも向こうが仲間達と合流してしまえば、目的を果たすのは何時になるのか分からない。

「兎に角、追い掛けましょう。西棟は此処からでも行けるのかしら?」

「問題ありません」

 スーンが断言したのを皮切りに、四人は院長室を後にして西棟へ続く通路を駆け出した。

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