午前9時06分 T-02(旧中央区)にある総合病院前

 クラブマンがユグドラシルの森の中を進む姿は森を掻き分けると言うよりも、森を薙倒すという表現がピッタリと来る。硬い幹を根元から掘り起こすように押し倒し、強引に前へと進む。クラブマンが通った後は、大量のユグドラシルの大木が転がる道が出来上がっていた。

 時々倒れた木々の合間からまもりびとが姿を現す所が見受けられるが、前にも言ったように向こうは機械に何ら興味も抱いておらず、遠巻きにクラブマンを眺めては何処かへ去ってしまう。まるで野生動物が見慣れぬ機会を目の当たりにして、臆して逃げ去るかのようだ。

 それをモニター越しに見たオリヴァーは「不思議な気分だ」と感想を述べながらも、優越感に浸っているのか口角が上機嫌に釣り上がっていた。


 そして一時間以上掛けて森の中を強引に進み続けると、目的地だったT-04の総合病院が見えてきた。

 病院らしい清楚さを連想させる白い外壁にはユグドラシルの蔦が血脈のように走り、一部は窓を突き破って中に侵入している。赤十字の看板は建物を見下ろす屋上に付いていたのだろうが、今は地面に落下して残骸と化しており、代わりに複数絡まり合ったユグドラシルの大木が看板のあった位置を占領している。

 嘗ての見栄えある姿は面影も無く、長い年月の経過と共に風化して無残な格好だけが取り残されてしまっているようだ。そんな廃墟と化した病院の正面にクラブマンを停め、ヴェラ達は出発前の最終確認とも言える打ち合わせを行った。

「良いわね。目的は病院にある五芒星のDNAデータ。病院内部に侵入したら、先ずはフロアにあるコンピュータからDNAデータが保管されてある場所を探し出す。そしてデータを発見したら、この階の何処かにあるバイオ医療室に向かい、眼球と手のクローンを作る。そして撤収する、以上よ。他に質問は?」

「二人を残して大丈夫なのか?」

 オリヴァーが真面目な声色で疑問を呈した先には、空になった缶詰を転がして遊ぶミドリと、彼女を見守るリュウヤの姿があった。今はミドリの傍に居るが、彼の視線と耳はヴェラ達の方に向いていた。

「それに関しては、正直仕方がないと割り切るしかないわ。私達と一緒に行動すれば彼等を守る必要性が生じる。その分、此方の動きが制限されてしまうからね」

 ヴェラも二人をクラブマンに置いて出発する事に申し訳なさと不安を覚えているらしいが、自分が今言ったように状況に応じて割り切る他無かった。戦力が限られている中で無力な二人を連れて行くのは、正直足手纏いにしかならない。そうなるぐらいなら、身動きは取れないが安全なクラブマンの中に居て貰う方が遥かにマシだ。

「何、心配すんな。幸いにもクラブマンの中には自衛隊が積んでくれた武器弾薬も多少はある。これで可能な限り自衛するさ。勿論、相手が普通の人間であればの話だがな」

 当の本人は別に心配でもしていないかのように呆気らかんとした物言いで言ってのけるが、その表情金は微かに引き攣っていた。何せ彼等を狙うのは、乗り物自体に興味を示さないまもりびとだけじゃない。大魔縁の連中が来る可能性だってあるのだ。

「兎に角、成るべく早く戻る様に努めるわ。……ミドリ、パパと一緒に留守番頼むわよ」

 赤ん坊の頭の上にヴェラの手が優しく置いて撫でると、ミドリは頭を撫でられた事に喜んでか嬉しそうにキャッキャッと声を上げた。それを見てヴェラも嬉しそうに笑うと、同じコングを纏った仲間達にアイコンタクトを送ってクラブマンの扉へと向かった。


 クラブマンを降りて病院の敷地内に向かう三人は、音響センサーで辺りを確認した。時折、物音がする事から間違いなく何かがいるのは確実だが……今更になって後戻りは出来ない。

「オリヴァー、私と一緒に入り口に張り付いた蔦を切り落として。二人は他に敵が来ないか監視していて」

 ディスプレーに表示された各々のコードが一回点滅し、YESという反応が返って来た。蔦が絡まり開く気配のない扉に灼熱の斧を突き刺して扉を開ける背後で、スーンとトシヤが周囲を見回す。

 太い蔦と一緒に人一人通れる程度の切り口を扉に刻むと、オリヴァーがその中心目掛けてアーマーに包み込んだ足で蹴り込んだ。パカンッという耳障りの良い音と共に自動扉のガラスが切り込みに沿って外れ、向こう側に倒れた。

「開いたわ。二人とも続いて来て」

 オリヴァーが最初に、次いでヴェラとスーンが、そして最後にトシヤという順で病院へと潜り込む。吹き抜けの広いフロアロビーにも複数のユグドラシルの樹木が大理石の床を突き破って樹勢しており、外と何ら変わらない状態だった。

「こりゃ酷いな。病院の中までこうだと、他がどうなのかが不安に思えてくるぜ」

「DNAデータが無事だと良いのですが……。フロアロビーのコンピュータは大丈夫でしょうか?」

 ユグドラシルの間を潜り抜けながら歩き出すと、バシャリッという水を踏む音が響き渡る。ふと足元を見遣れば床は水浸しになっており、その原因を探して周囲を見回すとロビーの中央に半壊した噴水を発見した。

 噴水の上に立つ左半身を失った女神像の右肩に担いだ瓶(かめ)からは未だに水が流れていたが、水を貯める壁の四分の一が失われていた為に水は溜まるどころか全部垂れ流しにされている。

「水が流れている……という事は、ここの電力は未だに生きているって意味かしら?」

「だとしたら幸いですね。前みたいな永久機関の実験体が無い事を祈りますが……」

「ええ、そうね」

 そう言って踵を返そうとして、ふと水溜まりに映った自分――SF戦争に登場しそうなパワードスーツを身に纏った姿に目を遣った。

 日本に上陸する前は美しい玉虫色をした装甲も、今ではまもりびとと大魔縁の攻撃を凌ぎ続けたせいで塗装は剥げ落ち、くすんだ緑色となってしまっている。所々に凹みや傷も目立つようになっており、まるで戦場を一年以上渡り歩いたかのような猛者の風格を醸し出しているかのようだ。

 この過酷な日本で生き延びられたのも、全ては自分が身に纏っているコングのおかげだ。改めて心の中に感謝して視線を上げようとした時、水面にきらりと輝く双眼を見付けた。勿論、この直ぐ下は床で何かが潜んでいるなんて有り得ない。となれば、真下の反対―――自分の真上にあるユグドラシルの木だ。

「皆! まもりびとが木の上に居るよ!」

 そう叫んだのと同時に全員が武器を構え、そして木の上から奇声が響き渡った。何体にも及ぶまもりびとが猿のように木の上から飛び掛かり、その内の一体が鋭い爪をヴェラに振り翳す。彼女は攻撃を躱し、まもりびとが水浸しの床に着地した瞬間を狙って斧を振った。

 舞い上がる水飛沫が斧の刃に触れ、ジュッと蒸発する音を奏でて水蒸気へと変質する。水しぶきを水蒸気を発生させながら灼熱の斧を振り抜く光景は、まるで薄い霧を自由自在に生み出しているかのようだ。

 振り抜いた斧はまもりびとの身体を真横に寸断し、切り裂かれた体が煙を上げながら濡れた床の上に落下した。

 一体倒して振り返ると、次のまもりびとが襲い掛かろうとしてきた。ヴェラは振り向き様に斧を叩き付けるように振るい、相手の頭を真っ二つにした。これで二体目だ。

「皆! 大丈夫かい!?」

 そう叫んで周りを見ると、彼女が思っていた以上に戦いは有利だった。オリヴァーは向けに倒れ込んだまもりびとを踏み付けたまま斧を振り下ろし、トシヤは動きの素早いまもりびとの足を切り落として、機動力を奪ってから確実に相手を仕留めていた。スーンは頑丈なアーマーでまもりびとにぶつかり、一瞬だけ相手の動きが緩んだ隙を突いて斧を横一閃に振るった。

 各々が得意とする方法で確実にまもりびとを仕留める姿を見て、ヴェラは意外さ以上に仲間に対する頼もしさを改めて実感したのであった。

「その調子だよ! 皆!」

「ああ、やってやるぜ! この程度の敵が何だって言うんだ!!」

「こんな所で死にたくありませんからね!」

「右に同じく!」

 仲間達に檄を飛ばし、ヴェラは次のまもりびと目掛けて斧を振るい上げた。既に勢い付いた彼等を止める事はまもりびとですら出来ず、僅か数分後には戦いは終息した。結果は言わずもがなである。

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