午後15時57分 T-10にある三本目の超巨大ユグドラシルに向かう道中

 右を見ても左を見ても、目に飛び込むのはユグドラシルと破壊され尽くしたT-10旧目黒区の街並みが広がるばかり。果たして本当に自分達が進んでいる道は正しいのだろうかと、ふとヴェラは不安に駆られてしまう。

「トシ、この道で間違っていないでしょうね?」

「ええ、間違っていません。この調子で行けば数分で辿り着きますよ」

「そう。……だけど、向こうは私達を素直に行かせる気は無さそうね」

 ヴェラの音響センサーが、後ろから近付いてくるエンジン音を捉えた。振り返れば、一台の車が此方に向かってきており、砂色のボンネットには大魔縁のマークが記されている。

 まさか護衛部隊は全滅したのだろうか。そんな不吉な考えが頭を過ったが、直ぐにヴェラは自分達が生き残る術を考える事のみに専念した。

「トシ! もっと飛ばして!!」

「了解!」

 アクセルをギリギリ一杯にまで強く踏み込み、速度メーターがグンッと跳ね上がる。エンジンを盛大に吹かす音が響き渡り、四輪の回転速度が皿に上がって加速した。

 しかし、後ろから追い駆けてくる大魔縁の車も同様に速度を上げて、追撃の手を緩める気配を見せなかった。遂には助手席や後部座席から身を乗り出し、前を走るヴェラ達に向かってライフル銃を撃ち始めた。

 幸いにしてヴェラ達が乗っている車は過酷な戦場でも使われる特注品であり、ライフル銃の弾丸程度じゃビクともしない装甲を持っている。だが、流れ弾が運悪く自分達の急所――アーマーの隙間――に飛び込む可能性も無きに非ずだ。

 追っ手を排除する方法は無いかとヴェラが考えていると、数百m先に生えたばかりなのか他のよりも細い幹をしたユグドラシルが目に入った。

「トシ! あの細い幹のユグドラシルの左脇を通って!」

「わ、分かりました!」

 ヴェラの発言の意味を理解していないが、トシヤは彼女の言われた通りに細いユグドラシルの脇を通るコースを取った。ヴェラは背中の斧を手に取ると、素早く助手席から立ち上がりドアのフレームに足を掛ける。そして指定されたユグドラシルの横を通り過ぎる間際に斧を振るい、ユグドラシルを易々と切断した。

 切断されたユグドラシルはあっさりと倒れ、後ろを追い駆けて来ていた大魔縁の車に直撃した。車を止める程ではないにせよ、フロントガラス全体に罅を入れるには充分であった。

 フロントガラスの罅で正面が見えなくなった車は走行が覚束なくなり、フラフラと狭い森路を蛇行した挙句に別のユグドラシルに激突、大破・炎上した。それをバックミラー越しで確認したトシヤは「フゥッ」と安堵感に満ちた溜息を吐き出した。

「何とかなりましたね」

「ええ、でも私達の仕事はまだ残っているわ」

 ヴェラの真面目な言葉にトシヤも弛み掛けた気持ちを引き締め、スピードを落とさず維持したまま三本目のユグドラシルに向かってハンドルを切った。


 三本目のユグドラシルに到着するや、二人はすぐさま準備に取り掛かった。今の二人を守ってくれる護衛部隊は居ない上に、依然としてまもりびとが襲い掛かって来る可能性があるのだ。そこへ更に大魔縁も加わり、間違いなく事態は二人にとって最悪の方向へ傾いている。

 このままモタモタしていたら、任務を遂行するどころか自分達が全滅してしまう。それは通信施設に居るロレンス大尉のみならず、T-12に残っている市民の全滅にも繋がる。それだけは何としてでも避けなくてはならない。

「トシ! 準備は良いね!?」

「何時でもどうぞ!」

「じゃ、行くよ!」

 最後の一本となる超巨大ユグドラシルに向かってヴェラが斧を振り下ろし、幹に切り込みを入れる。そして素早く引き抜き、合間を入れずにトシヤがヴェラの作った切り込みに斧を叩き込む。

 交互にヒートホークの赤熱刃をユグドラシルに叩き付ける度に、耳障りの良い甲高い音がユグドラシルの森中に木霊する。その音を聞き入る暇など二人には無いが、音に釣られて姿を現す者達ならば存在した。

「待って」ヴェラが制止を呼び掛け、二人の振るっていた斧がピタリと止まる。「音響センサーに反応……!」

「エンジン音ではない……。動物のような足音と来れば―――!」

 トシヤが答えを出す前に、森中に甲高い奇声が鳴り響く。頭上を見上げれば、周囲にあるユグドラシルの幹を猿のように素早く下りながら、此方に向かってくるまもりびと達の姿があった。

「トシ! 私がまもりびとの足止めをするから、貴方は木を伐り続けて!!」

「足止めならば私が―――!」

「少しでも早く木を切り倒すのが先よ! その為には男手の方が必要よ!」

「……分かりました!」

 トシヤも少なからぬ迷いこそあった物の、最終的にはヴェラの言葉に従い伐採の作業を続けた。一方のヴェラは新しい刃に装着し直し、まもりびとを迎撃する構えを取った。

「さぁ、来なさい! アンタ達をブッタ伐ってあげるわ!!」

 ヴェラは駆け出し、最初に接触したまもりびとの首を斧で刎ねると、すかさず奥に居たまもりびとを袈裟切りに伏した。

 音響センサーが左右からくる反応を捉え、一歩身を引いた刹那、挟み撃ちを目論んだまもりびとの爪が目の前で交差する。標的を外した爪は身内の肉体に深々と刺さり、身動きが取れなくなってしまうが、ヴェラにとっては好都合だ。真横へ思い切り斧を振り抜き、二体仲良く胴体を切断した。

 その後もまもりびとの首を落とし、頭から尾骶骨まで真っ二つにし、両足を切り落として機動を封じた所で頭を叩き割る……まるで作業のような繰り返しを延々と続けて数多くのまもりびとを屠るものの、一向にまもりびとの勢いが衰える気配が見当たらない。

 アーマーの恩恵で体力の消耗が極力抑えられているとは言え、流石にたった一人で三十体以上のまもりびとを倒せば、ヴェラの息も上がって当然だ。

「これじゃ埒が明かないわね……! トシ! そっちはどうなの!?」

「あともう少し―――!? ヴェラさん! 大魔縁が来る!!」

「嘘でしょ!?」

 トシヤの言葉を嘘だと思い込みたいのも無理ないが、残念ながら彼は嘘を言うような男ではなかった。事実、彼女の音響センサーが三時の方角から迫って来るエンジン音を捉えると、数秒後には大魔縁の車が五台も現れた。

『偉大なる神の使いと共に、不届きな輩を成敗するのだ!!』

『ユグドラシルの神の御加護があらんことを!!』

『聖なる神木を穢す愚か者には死の報いを!!』

 日本語で叫びながら武器を構え、ヴェラ達に向かって発砲してきた。多勢に無勢、その上に挟撃されてしまっている形だ。この不利な状況にハングリー精神旺盛なヴェラでさえも、自分の運命が此処までなのだと諦念混じりの覚悟を抱いた。

 ところが事態は思いもよらぬ展開を見せた。まもりびと達の意識が仲間を屠っていたヴェラではなく、後から現れた大魔縁に向けられたのだ。そして彼女を無視するかのように素通りしたまもりびとの群れは、大魔縁の信者達に襲い掛かった。

『な、何だと!?』

『バカな! 神の使いは我々の味方ではないのか!?』

『大司教様の御言葉は間違っていたとでも言うのか!? ならば――――ぎゃああああ!!!』

 言葉は分からないが動揺と驚愕に震える台詞を聞く限り、彼等にとってまもりびとが牙を剥くのは計算外だったようだ。阿鼻叫喚の悲鳴を耳にしている最中に、ヴェラはハッと思い出してトシヤの方へ振り返る。

「トシ!」

「こっちは大丈夫です! それよりも、あと一息でコイツも倒れます!」

「ええ、分かったわ!」

 図らずしも大魔縁がまもりびとを引き付けている隙に、二人はユグドラシルを切る作業に戻った。既に幹に出来た切り口の深さは半分以上に達しており、最早伐採は時間の問題であった。

 そして一分近く無我夢中でユグドラシルの大木を伐り込んだ時、聞き慣れた木の撓りと破砕音が鼓膜を叩いた。それを耳に入れた途端、ヴェラとトシヤは即座に車へ飛び乗り、ユグドラシルの伐採を最後まで見届けない内にその場から離れた。

 その一分後、空気を激しく揺るがす轟音と大地を震わす振動が伝わり、二人は自分達の仕事が完了した事を悟った。

「これで巨大ユグドラシルは全部切り終えましたね」

「あとは通信次第という訳ね。……と、噂をした矢先に通信が来たわね」

 通信を受信してヘルメットのマイクに耳を傾けると、上機嫌な野太い声がやって来た。

『ヴェラ! 遂に成功したぞ! 電波が届いた! これで通信が可能だ!』

 声の主は、やはりと言うべきかロレンスであった。あの厳つい強面からは想像の付かない上機嫌で浮かれた声色を発しており、彼もまた喜怒哀楽を有する人間なのだという事実を物語っていた。

 当初は相手の興奮っぷりにヴェラは面食らったかのように両目を丸くしたが、電波が届いたと知るや嬉しそうに口角を釣り上げた。

「成功したのね。こっちも辛うじて仕事をやり遂げた甲斐があるわ」

『ああ、今すぐにSOSを発信する。もしアメリカ海軍が依然として近くに居るのならば、この電波を拾って――』

 その時、マイクの向こうからガチャンッと何かが倒れる音が聞こえ、ロレンスの声が不意に止まった。不穏な物音に不安と疑問を覚えたヴェラは、もう一度彼の名を呼び掛ける。だが、マイクが拾い上げたのは彼の声ではなく、明白な銃声と兵士の悲鳴が混じり合った不協和音であった。

「ロレンス大尉!? 一体何があったの!?」

『くそっ! ネズミの生き残りだ!! 奴等、ここの死体を――――』

 そこで通信がブツンと音を立てて途絶え、その後何度かコールを試みたがついに通信が繋がる事は無かった。どうやら彼の話から察するに、あの死体を動かすネズミが隠れていたらしい。そして通信室に残ってた死体に寄生し、ロレンス大尉と部下達を……とそこまで考えて彼女は頭を左右に振った。

 今は最悪の事態を想定するよりも、一刻も早く施設に戻って現状を確認すべきだという現実的な努力に励むのが大事だと考えたからだ。

「急いで戻りましょう。何かあったに違いないわ」

「了解しました」

 トシヤがアクセルを深く踏み込み、車の速度を一気に上げた。周囲の風景を置き去りにし、二人を乗せた車は送信所のある方角に向かって走り続けた。

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