午後15時10分 T-10にある通信施設三階

 三階にある通信装置が置かれた部屋に辿り着くと、装置の前に無残な死体が複数横たわっていた。幸いにもネズミに寄生されたゾンビになっておらず、首から胴体に走る荒々しい爪跡から察するにまもりびとに襲われたようだ。

「間違いない。守備隊の一人だ。最後まで戦い、そして殺されたようだ……」

 心なしかロレンスの声に震えが混じっているような気がした。だが、無理もない。多くの仲間が僅かな時間で失われたのだ。いくら成熟した大人でも、悲しみを覚えない者など居ない筈がない。

 亡くなった死者に対し哀悼の意を込めて十字を切り、暫しの祈りを捧げた後、使命を担った隊長の顔に戻った。

「よし、修理作業に入れ! これさえ完成すれば、あとは救援を呼ぶだけだ!」

 ロレンスの号令に合わせて部隊は作業に取り掛かり始めた。ヴェラ達も手伝いたいのは山々だったが、スーンのように機械全般に明るい訳ではない。せめて目の前の装置がGエナジー関係であれば、多少は手を貸せたかもしれないが……兎に角、今は彼等の邪魔をせず見守るしかなかった。

 しかし、暇を持て余すには時間が掛かる気がした為、ヴェラはロレンスにそっと小声で話し掛けた。

「ねぇ、仮に救援を呼べたとしても、救援の部隊は此処までは来れないわよ。かと言って、海辺に着けた救助船まで避難民を連れて行くのも無理よ。どうやってまもりびとが犇めくユグドラシルの森を抜けて、難民を連れて行く気なの?」

「余計な世話だ。だが、我々とて救助を呼べば全てが終わるとは考えちゃいない。ちゃんと手は考えてある」

「どんな手なのかは教えて貰えるのかしら?」

「それは見てからの楽しみとして取っておくんだな」

 結局ロレンスがその方法とやらをヴェラに披露しなかったが、彼の自信に満ちた態度からして脱出するまでのプロセスは既に出来上がっているみたいだ。無策だったら少し……いや、かなり不安だったが、これで一先ず片付けなければならない問題は装置を直すだけに絞られた。

 そして三十分後、バッグの中に入っていた機材が通信装置に組み込まれ、修理は完了した。

「大尉、修理が完了しました!」

「では、発電装置を起動させろ」

「はっ!」

 装置の脇に置かれた発電装置を起動させると、通信装置の各システムの異常を知らせる赤いランプが正常を意味する緑色へと変わり、装置が数年振りに生き返った事を告げた。

「よし、SOSを発信しろ!」

「はっ!」

 通信を担当する兵士が慎重にSOSの信号を発信し、ほぼ全員の視線が一人の兵士の背中に突き刺さる。この地獄と化した島国から、漸く脱出出来る――――誰もがそれを望み、そして遂に叶うのだとばかり思っていたが、通信席に座った兵士の顔色は芳しくない。寧ろ険しくなる一方だ。

「どうした?」

「隊長、こちらの電波が基地局の一部に届いておりません!」

「何だと!?」

 モニター画面に送信所の周囲の映像が映し出され、三つある基地局のうち二つは電波が届いて更に広範囲に広がっている事を示しているが、残り一つの基地局は全く反応が無い。アマダの話では基地局の修理も済んでいるという事だから、恐らく電波の届きが悪いのだろう。

「くそ、ここまで来て……!」

 ロレンスが悔し気に言葉を吐き捨て、部下達も目に見えて落胆していた。長い月日と大勢の犠牲を払って修理したのに、最後の最後で水の泡になったのだ。その心中は想像以上のショックに違いない。

 そんな中、ヴェラは画面に食い入るように見詰め、反応が無い基地局を画面上から指差しながら通信席に座っていた兵士に尋ねた。

「ねぇ、此処から電波の届いていない基地局まで、どれくらいの距離があるの?」

「え? ああ、3キロ程しかありませんが……」

「3キロね……。なら、まだ可能性はある」

 ヴェラの言葉にトシヤを除く全員が目を丸くし、振り返る。

「何をする気だ?」

「電波を遮っているのは明らかにユグドラシルよ。なら、専門家である私達の出番よ。此処から基地局までの3キロ以内で電波を遮っている木を何本か切り落とせば、電波は届くようになる。違う?」

「だが、木を切り落とすにしても時間が掛かるぞ」

「別に全てを切り落とす必要はありません」トシヤが説明するような口調で会話に割り込む。「一際抜きん出ている背の高いユグドラシルを何本か切り落とせば電波は届く筈です。現に他の基地局では電波が届いている、これが証拠です」

「それに行動するなら早い方が良いわ」

 二人の話を聞いてロレンスは考え込むように腕を組んだ。そして熟考した末に二人の策に賭ける他無いという結論に至り、首を縦に動かした。

「分かった、二人に任せよう。念の為に護衛として、第二部隊から三人寄越そう。此処は残りの二人と私が死守する。」

「あら、意外と思い遣りがあるのね」

「当たり前だ。我々の生き死には貴様達の働きに掛かっているのだからな」

 相変わらずつっけんどんな物言いだが、当初の頃に比べれば角が取れて馴染み易いものとなっていた。どうやらロレンスも幾分か、部外者である彼等に心を許し始めたようだ。

 その事実にヴェラは薄っすらと笑みを浮かべると、トシヤと三人の護衛を連れて通信施設を後にした。



 来た道を順繰りに戻って施設を出ると、ヴェラ達は自分達が乗って来た車の後部ハッチから円盤形のドローンを取り出した。

 これはドローン下部に取り付けた高性能カメラと、内部に組み込まれた地形モニタリングプログラムによって、周囲の地形情報を事細かに収集し、災厄後で変化した日本の地図データを新たに作ってくれる機能が備わっている。

 またカメラは下だけでなく平面360度見渡す事も出来る為、ヴェラ達はその機能を使って背の高い木を探す事にした。

「ドローンを飛ばします」

「ええ、やってちょうだい」

「行きます、3・2・1……浮上」

 トシヤの合図と共に、ドローンはヴェラの手から離れて頭上へ舞い上がった。その姿は正にUFOだ。かなりの速度で真っ直ぐに浮上していくドローンは瞬く間にユグドラシルの木々を追い抜き、小さい点となる。

「トシ、ちゃんとデータは届いでいる?」

「データ受信中、そちらのディスプレーに映像を出します」

 後部ハッチに置いたドローン専属のパソコン型リモコンと睨み合いながら、トシヤが状況を申告する。数秒後、ヴェラのディスプレーにドローンと同じカメラ目線の映像が届いた。

 深い緑に覆われたユグドラシルの森が眼下に広がり、太陽の光を浴びて青々と輝く光景は自然の神秘ですら敵わない幻想的な光景だ。ユグドラシルの木々の隙間から所々覗く高層ビルの残骸が無ければ、此処は人の手が一切入っていない豊潤且つ広大な自然に満ちた場所だと勘違いしてしまうだろう。

 そしてカメラの映像がゆっくりと旋回し始めると、他のユグドラシルよりも遥かに巨大な大木が映像に映し出された。クリスマスツリーに使われる樅の木のようなユグドラシルが送信所と基地局の間を立ちはだかる様に伸びており、それを見たヴェラはヒューッと感心を込めた口笛を吹いた。

「デカいわね。クリスマスなら、子供達が大喜びね」

「大きさと距離を算出します」

 トシヤの指がパソコンのキーボードを叩き、映像に映し出された大木と宙に浮いているドローンとの位置から、距離と大木の大きさを算出する。それらのデータもヴェラのディスプレーに表示されると、彼女は気難しそうに呻らせた。

「目立つ大木は三つだけか……。でも、全部切るのに苦労しそうだね」

「ええ、正面から見ると横に並んでいるように見えますが、実はジクザグに生えているというのが少々厄介です」

 ドローンが捉えた映像では巨大な三本の大木が横一列に並んでいるように見えるが、映像で取得したデータを数値化して計算すると、並列ではなく『へ』の字を描くように僅かにズレて生えている事が判明した。

 全てが並列していれば移動するのも面倒ではないのだが、今更そんな愚痴を零しても仕方がない。このままグダグダして時間ばかりが過ぎてしまえば、自分達が助かる可能性が遠ざかってしまう。

「願わくば全部切らずに済むことを祈りましょう。とりあえずドローンは待機モードにしておいて。内部の小型発電装置もあれば、数日間は放置しても大丈夫でしょう」

「了解」

 ドローンの操作を終えたトシヤが運転席に乗り込むのと同時に、ヴェラも助手席に乗り込んだ。そしてヴェラ達の車が森の中を縫うように走り出し、護衛部隊を乗せた装甲車も二人を追う形で発進した。



 比較的近い大木は送信所から800m程離れた場所にあった。そこへ向かうまでの森路は墨汁を染み渡らせたような暗闇が充満しており、例のユグドラシルの大木が日光を独り占めしているのが原因なのかもしれない。

 そして大木に到着すると、ヴェラは天に昇っていくかのように延々と続く頑丈なユグドラシルの幹に沿って視線を滑らせた。幹を視線で追う内に自然と天を見上げる形となり、その先には黒に近い緑葉が鬱蒼と生茂っているのが肉眼で見て取れた。

「何ともデカいわね……。これでGエナジー何年分になるかしら」

「さぁ。ですが、折角なので切り倒したらGエナジーの一部を回収しても良いんじゃないですか?」

「それもそうね。それじゃトシ、伐採に入るわよ。護衛の人達は余り近付かないで。返って危険だから」

 護衛として同行した兵士がOKのハンドサインを出して了承したのを確認すると、ヴェラとトシヤは斧を構えて巨大なユグドラシルに近付いていく。何だかんだで本職らしい働きを見せるのは、非常事態とは言え今回が初めてだ。

「本当なら三点から削って綺麗に切り取りたいところだけど、時間が無いから一点集中で行くわよ」

「了解しました。行きます。ふんっ!」

 トシヤが振るったヒートホークの刃がユグドラシルの根元に近い幹に深々と刺さり、切り口から白い煙が噴出する。この煙はユグドラシルから抽出されるGエナジーの元となる樹液が、赤熱刃に触れて蒸発している事を意味するものだ。

 そして深々と食い込んだ斧を引き抜くと、すかさずヴェラがトシヤの作った切り口に向けて自身の斧を叩き込む。その繰り返しを続けることで、ユグドラシルに付けた切り口を拡大するのと同時に深めていく。

 やがて直径2m以上はあった幹の8割をヒートホークで溶断すると、遂に大木から悲鳴が上がった。最初はメキメキという撓るような音から、バキバキという破砕音へと段階が上がり、超巨大ユグドラシルが切り口の反対側へと大きく傾き始めた。

 大木を支え切れなくなった幹はパックマンの大口を彷彿とさせるかのように真っ二つに裂け、数秒後には派手な轟音と激しい振動が大地に襲い掛かった。

 超巨大ユグドラシルが切り倒されたのを見送った後、ヴェラはヘルメット内にある通信を起動させ、施設に残っているロレンスに巨木を一本切り倒した事を告げた。

「ロレンス、一本倒したわよ。電波は届いたかしら?」

『いや、まだだ。基地局に反応はない』

「そう、なら次に向かうわね」

 手短に通信を終えると、ヴェラはトシヤと護衛部隊に対して軽く首を横に振って次へ向かう事をアピールした。彼女の意図を汲み取った兵士の口から疲弊に塗れた溜め息が零れ落ちたが、彼等の心境を察すると無理からぬ事であった。


 次の二本目は最初に切り倒したユグドラシルから北東600m先にあり、そこも最初と同じ要領で難なく切り倒した。まもりびとが出て来ないというのが気掛かりだったが、面倒な敵と遭遇しないで済むのは今のヴェラ達にとっては有難い事この上ない。

 そして日本目を切り終えてロレンスに通信を入れたものの、まだ電波が向こうの基地局に届かないという返事か返って来た。となれば、最後の一本を切りに向かうしかない。だが、最後の一本でも駄目だったら……と不確定な不安が胃の奥底に圧し掛かるのを感じながら、ヴェラはトシヤに最後の一本がある場所を尋ねた。

「最後の一本は何処にあるの?」

「最後の一本は二本目があった場所から南南東に1キロ下った先にあります」

「そう、これで電波が通じると良いわね。もし駄目なら今度こそアウトよ」

「そうですね……ん?」

 会話の相槌を打って車に向かおうとした矢先、トシヤが何かに気付いて眉を顰めた。どうかしたのかと尋ねようとしたヴェラだったが、彼女も彼が気付いた異変を察知した。

「音響センサーに反応? これは……車のエンジン音?」

「ええ、それも複数あります。三台? いや、四台?」

 音響センサーに捉えたエンジン音の数は四つ。しかも、それらは急速に此方に向かってくる。T-12から派遣された援軍だろうか? いや、T-12は自分達を守るので手一杯だ。とてもじゃないが応援を寄越せられる程の余裕なんて持ち合わせていない。

 そこでヴェラは思い当たった。今の日本で車を複数扱い、組織立って行動出来るのは一つだけだ。

「気を付けて!! 敵が来るわよ!!」

 ヴェラが警戒を呼び掛けた直後、二時方向にあるユグドラシルの木々の合間から宗教組織『大魔縁』のロゴマークが入った車が姿を現した。緑頭巾に木目調の防具を身に纏った信者達が車から姿を出すと、手に持ったライフル銃をヴェラ達に向け、怒号交じりの日本語を叫びながら発砲してきた。

 咄嗟に傍にあったユグドラシルの陰に隠れたヴェラは忌々しそうに舌打ちして、此方に発砲を続ける構成員に向かって内心で中指を立てた。ヴェラ達から少し離れた場所では護衛三人の内二人がライフル銃を信者達に向かって撃ち、もう一人は装甲車の上に備え付けられた機関銃で迎撃を試みている。

「ああもう! こんな忙しい時に限って襲ってくるだなんて……! トシ! 連中は何て言っているの!?」

「ええっと……『天を支える偉大な木を切り倒す愚か者は報いを受けよ』と言っています!」

「天を支えるだって!? そりゃ凄い! 何時から世界中の空は木に支えられるようになったのかしらね!?」

「知りませんよ! でも、このまま彼等の相手をしている暇なんてありません!!」

「ええ、分かっている!」

 相手の弾丸が尽きた一瞬の空白を突いて、二人は自分達が乗って来た車に駆け出した。そしてトシヤが素早く運転席に飛び乗るや、すぐさまエンジンを掛けて車を急発進させた。

 助手席に座ったヴェラはチラリと護衛部隊の方へ視線を向けると、彼等は此方に向かって腕を振り、GOサインを出していた。どうやら兵士達は此処に残って足止めの役目を果たすつもりらしい。

 聞こえているかどうか分からないが、ヴェラは「頼んだわよ!」と張り裂けんばかりの大声で兵士達に声援を送り、その場を後にした。

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