午後13時58分 T-15とT-13の境目

 ヴェラ達が車を飛ばしてT-13旧渋谷区へと戻ると、自分達を護衛してくれたロレンス大尉率いる護衛部隊が彼女達を出迎えてくれた。いや、出迎えるというよりも任務を達成出来たか確認する為に待っていただけだ。

 ロレンスは相変わらずヴェラ達に対する嫌悪感を微塵も隠さず、戻って来た彼等を見付けるやフンッと不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「目的の品物はあったか?」

「ええ、見付けたわ」

 隣に座っていたトシヤに向かって首を縦に動かして合図を出すと、トシヤは車から降りてパーツの入ったボストンバッグをロレンス大尉に渡した。

 大尉は礼の一つも言わずにバッグを奪い取ると、ジッパーを開けて中身を確認した。そして部品が全て揃っている事を確認すると、後ろに居た部下の一人に預けた。

「御苦労だった。これで修理も可能だ」

 そこで漸く感謝の言葉を口にしたロレンスだが、その台詞は感謝と言うよりも威圧に塗れた横柄な物言いだった。こっちは死に掛けたのに何様だという文句の一つも吐き出してやりたいところだが、今はそれよりも向こうで待つ仲間達の所へ戻るのが先決だ。

「それじゃ私達はあっちに戻るわね。仲間のアーマーの修理もしないといけないから」

 トシヤが助手席に戻って来たのを確認してから車を発進させようとしたが、その直進方向にロレンスと部下達が立ちはだかった。あからさま妨害行為にヴェラは眉間に皺を寄せ、ドア越しからフルフェイスの頭を覗かせて抗議の声を上げた。

「ちょっと、邪魔しないでくれる? そこに立ったままじゃ轢かれるわよ?」

「悪いが、向こうへ戻るのは後回しだ。此方の仕事に手伝って貰おう」

「手伝うですって? 私達が研究所へ向かう時、部品さえ手に入れば後は自分達で出来るって豪語していたじゃない」

 まさか自分で発言した事すら忘れたのかと疑念と共に不満を相手にぶつけるが、ロレンスは岩の如く微動だにしない硬い表情のまま口を開いた。

「事情が変わったのだ。今から三十分程前、T-10にある通信施設を防衛していた部隊と連絡が取れなくなった。大魔縁の連中、もしくは例の化物共に襲われた可能性がある。貴様達も我々と同行しろ。修理に関しては我々が行う」

「ちょっと待って! こっちも仲間が待っているのよ! せめて、あっちで入手したパーツを送り届けさせて!」

「そんな余裕などあるものか! 今は一刻の猶予も無いのだ!! 仲間の一人や二人、待たせておけ!!」

 ロレンスとヴェラの意見は真っ向から対立し、険悪な空気が二人の間に漂い始める。このまま押し問答が続くのかと思われたが、意外にも最初に折れたのはヴェラだった。諦めを意味する長い溜息を吐くと、相手に妥協を申し出た。

「……分かった。貴方の指示に従う。でも、一人だけアーマーの調子が悪い奴が居てね、辛うじて動けるけど存分に戦えないの。多分、あっちの施設での戦闘で受けた傷が原因だろうね。彼だけは向こうに帰してやって」

「誰だ?」

 ロレンスが怪訝そうに問い掛けると、ヴェラは後部座席の方へ顔を向けた。

「スーンよ」

 そう手短に告げると、他ならぬスーン自身が驚いた。実際、彼のアーマーは他の二人と何ら変わらない状態だ。普通に動かせるし、戦う事も出来る。何故なのかと問い掛けようとするも、彼の口が開くよりも先に極秘回線――身内同士のみで遣り取りを交わす専用回線――が目の前のディスプレーに開かれた。

『スーン、悪いけど貴方は先に戻ってて頂戴。貴方なら向こうにある機材と今手に入れた機材で、オリヴァーのアーマーの修理が出来るでしょう?』

「ヴェラさん、ですが……―――!」

『悔しいけど、ロレンスの言葉も一理あるわ。私達に残された時間は少ない。少しでも有効に時間を使うには、並行して物事を進めておく必要があるわ。それに戦力を復活させるのは、決して悪い事ではないわ。特に私達の身に何かが起こった場合を考慮したら……ね』

 ヴェラの意見に間違いらしい部分を見付け出せず、寧ろ正当と呼ぶのが妥当なぐらいだ。スーンは渋々と彼女の意見に従いながらも、無茶はしないでくれとささやかな要求を彼女に告げた。

「分かりました。けれど、無茶はしないでくださいよ?」

『安心しなさい。私達だってむざむざと死ぬ気は無いわよ』

 通信を終えてヴェラが振り返ると、ロレンスは角張った顎に手を添えながら熟考している最中だった。やがて彼は顎から手を放すと、決断を下した。

「良いだろう。スーンとやらは第三小隊に送り届けさせよう。あとの二人は我々の後に付いて来い」

「ええ、分かったわ。それで良い」

 暫しの別れと互いの身を案じる他愛ない挨拶を一つ二つ交わすと、スーンを乗せた装甲車はT―12へ、ヴェラとトシヤを乗せた車はT-10にある通信施設に向かってそれぞれ走り出した。



 ユグドラシルの大木で出来た入り組んだ森路を通り抜け、ヴェラ達はT-10にある通信施設の前に辿り着いた。電波を飛ばす為の建物数階分に匹敵する巨大な通信タワーが天を劈くように通信施設の屋上から伸びているが、今は周囲に囲まれたユグドラシルに埋もれる形となってしまっている。

 その建物の前には既に数台の車が置かれてあった。凹みがあったり錆び付いていたり、擦れて塗装が剥がれたりと大なり小なりの傷跡が目立つが、エンジンが稼働状態のまま放置されていたところから察するに車としての機能は失われていないようだ。

「この車は?」

自衛隊我々が派遣した防衛部隊のものだ。だが、エンジンを掛けたままというのはおかしい……」

 この状況を不思議に思ったロレンスは、部隊と共に車から降りると近くにあった車に近付き中を覗き込む。ヴェラ達も一緒になって他の車両を窺うも、何処も同じようなものだった。

 灰皿に押し詰められた煙草の残骸やドアに備え付けられた折り畳み式のトレーに置かれた水の入ったカップなど、人が居た形跡こそ残っているものの、やはり肝心となる人の姿は見当たらない。

「こちらロレンス大尉だ。聞こえているか? 守備チーム! 応答しろ!……くそ、ダメか」

 腰に装着したトランシーバーで何度か呼び掛けるも、聞こえてくるのは耳障りなノイズだけで反応は皆無であった。彼は諦めてトランシーバーを切ると、自分の部隊に命令を出した。

「第一小隊は施設の入り口で待機し、ここの守備を固めろ。仮に敵が侵攻してきたら、可能な限り食い止めるんだ。第二小隊、俺と一緒に建物に入るぞ。万が一に侵入者と遭遇するかもしれん、気を抜くなよ。それと―――」そこで言葉を切ると、最後尾に着いていたヴェラとトシヤを指名するかのように指差した。「貴様等も一緒に来い」

 命令と言うよりも半ば脅しの要素が詰まった言葉を告げ、ロレンスは二人から背を向けた。トシヤは隣のヴェラに視線を寄越すと、彼女は無言で肩を竦めるだけだった。けれど、トシヤには彼女が何を言いたいのか薄々分かっていた。そして二人の足は部隊の後を追う形で動き始めていた。



 通信施設の中は電気が通っておらず、薄暗い闇に包み込まれていた。ユグドラシルの根とも蔦とも取れる植物の一部が壁に張り付いており、廃墟にも似た朽ち果てた雰囲気が建物内に充満していた。

 兵士達が構えるライフルの先端に装着されたライトの光が、淀んだ空気に漂う埃の霧を映し出すのを見たヴェラは、自分が被っているヘルメットの存在に心から感謝した。

 通信施設の一階通路を照らしながら進む最中、ヴェラは先程から抱いていた疑問をロレンスに打ち明けた。

「ねぇ、聞きたいんだけど……肝心の通信装置は何処に置かれてあるの? それに建物を見る限り、電気は通っていないように見えるけど?」

「通信装置は、この建物の三階にある。建物自体に電気は通っていないが、装置を修理する際に設置した発電機と直接繋いである。なので、通信する事自体に問題は無い。あとは手に入れたパーツを組み込めば良いだけだ。貴様が心配する必要はない」

「成程、それを聞いて安心したわ。で、何処から上に向かえば良いわけ? 階段?」

「一階と二階を繋ぐ階段は災厄時に崩落している。我々が使うのは非常階段だ。だが、非常階段も二階から上は急成長したユグドラシルの根で破壊されてしまっている。そこで一旦二階の通路を通り、通常の階段で三階へ行くというのが通り道となっている」

「遠回りね。けど、今の状況じゃ仕方がないか……」

 何はともあれ目的の場所へ向かうのに問題が無いと分かり、ヴェはが一先ず安心した素振りを見せた矢先、先頭を進んでいた部隊の一人が声を上げた。

「ロレンス大尉! あれを見て下さい!」

 先頭に立つ隊員の言葉に従い、ロレンスとヴェラは隊員達の隙間から前方を窺うと、複数のライトで照らした先に一人の人間が立っていた。後姿しか見えないが、自衛隊と同じ迷彩柄の軍服を着ている事から仲間だろう。

 だが、何か様子が変だ。ぼーっと突っ立っているだけのようにも見えるが、それにしては生気が全く感じられない。やがて目の前に立っていた男はゆっくりとした足取りで此方に振り返った。

 両目は完全に白目を剥き、顔色は死者のように蒼褪めていた。胸の中心には黒い円形の染みが出来上がっており、染みの周りは夥しい鮮血に染まり、緑を基調とした迷彩柄の意義は完全に失われていた。

 だが、直ぐにヴェラは己が勘違いをしている事に気付かされる。胸に出来たのは染みじゃない。文字通りポッカリと開いた穴だ。その穴の中から樹皮のような皮膚に覆われたネズミが顔を覗かせた瞬間、ヴェラは全てを悟るのと同時に周囲の人々に向かって叫んだ。

「皆! 隠れて!!」

 その声に反応出来たのはまもりびととの戦いに慣れているトシヤと、最年長であり危機的感知に長けたロレンスだけだった。他の人々は即座に動けず、事態が飲み込めないまま壁際へと寄った彼女やロレンスに困惑の視線を向けたまま固まってしまっている。

 彼女の叫びと前後して、ネズミに寄生された兵士が手にしていたライフルを持ち上げた。反応が遅れた兵士達も漸く彼女の言っていた言葉の意味と事態の深刻さを把握したが、既に死体の指は引き金を引いていた。

 パパパパッと小刻みに雷管を打つ音が鳴り響き、薄暗い空間を銃口から放たれた発射炎がコマ送りに照らし出す。逃げ遅れた前衛の一人が頭や胸に致命傷を受けて即死し、硬い床の上に倒れ込む。

 他の兵士達も遅れて反撃を開始すると、瞬く間に一階の廊下は銃弾が飛び交う銃撃戦の舞台と化した。三十秒程続いた銃撃戦は、物量で勝っていた部隊の勝利で幕を下ろした。

 ネズミに寄生された兵士の肉体は無数の弾丸で撃ち抜かれ、文字通りハチの巣と化していた。出来立ての銃創からは、弾丸が体を貫く際に発生した摩擦熱による白煙がブスブスと上がっていた。

 そして胸の穴から顔を覗かせていた変異体のネズミは、まもりびと同様に黄緑色の体液を口や体に出来上がった穴から垂れ流しながら穴の縁に凭れ掛かるように息絶ていた。漸く敵の死を確認して安堵する一方で、不気味な不安が一同の中に込み上がった。

「まさか……守備隊が途絶えたのは、このネズミが原因なのか?」

「この死体の主が守備隊の一人だったところを見ると、そう考えるのが妥当でしょうね。このネズミは対象者を殺した上で寄生し、死体を操る能力を持っているみたいね。この一匹だけなら問題は解決だけど―――そう甘くはないでしょうね」

 ヴェラは今までの経験から考慮して、そう結論付けた。常に高慢を纏った台詞を吐き出すロレンスも口を真一文字に噤んだまま彼女の言葉に聞き入っていたが、彼の強面の額に張り付いた大量の冷や汗が、芳しくない精神状況を雄弁に物語っていた。

 けれども部隊を指揮する隊長として、部下の前で弱気は見せられない。そんな思いに駆られて、彼はカラカラに乾いた喉に喝を入れて声を絞り出した。

「兎も角、先に進むぞ。通信機さえ直してしまえば、もう此処に居る必要はない」

 本人は不安を感じさせない明確な物言いを意識したつもりだったが、台詞の語尾は微かに掠れていた。自分の胸の内に抱く感情を押し隠すのに失敗した彼は、それを誤魔化すかのように率先して進み始めた。

「大丈夫なんですかね?」

「今まで大丈夫と言える場面が一つでもあったかい?」

「……いえ、ありませんね」

 トシヤが危惧したのはロレンス個人か、それとも自分達を含めた部隊全体か、もしくは両方か。だが、どれにせよヴェラの言う通り大丈夫と満足に言える場面など一度も無く、トシヤは諦めを滲ませた笑みを浮かべた。


 非常階段を通って二階に渡ると、漸く人工的な光が彼女達を出迎えてくれた。適当な間隔で通路に置かれたハンドライトが、仄かにだが建物の通路を照らしてくれているのだ。

 やはり光があると無いとでは、抱える心境も大違いだ。しかし、光があるからと言って安心出来る訳でもない。先程の変異体のネズミに操られた死体が出て来ないとは限らないし、また普通のまもりびとが突如襲ってくる可能性だってあるのだ。

 通路を歩いている最中も、ロレンスはトランシーバーを用いて防衛部隊に呼び掛け続けた。けれども、やはり無反応だと分かると一瞬だけ諦めを顔に浮かべ、直ぐに覚悟を決めて前を見据えた。

「ここは施設の関係者やスタッフの控室が並ぶ通路だ。この通路の突き当りの角を曲がった先に、三階へ行く階段がある」

「目的地はもう少しという訳ね」

 目的地が近いのは有難い事だが、一方で目的地が近くなれば敵も出てくるという有難くない法則があるのもまた事実だ。と言っても、後者はヴェラが勝手に考えた法則ではあるが。

 そして今回も彼女の編み出した法則は例に漏れず発動した。通路を挟んで向かい合う左右の扉が同時にバンッと勢いよく開くと、中から複数の兵士が飛び出した。胸にぽっかりと開いた穴には、あのネズミが顔を覗かせている。

「来たぞ! 迎撃!!」

 ロレンスの言葉に合わせて兵士達の銃撃が始まり、近付いてきたゾンビ達を蹴散らし始める。第一波を退けると見計らったかのように他の扉も次々と開き、中からゾンビ達が現れる。しかも、部屋から出てきた敵の一部にはまもりびとも混ざっており、ヴェラとトシヤはそれを見るや素早く前に躍り出た。

「まもりびとは私に任せて! ロレンス大尉はネズミに操られた死体をお願い! 間違っても私達の背中を撃たないでよ!」

「言われなくても分かっている!」

 その言葉を信じ、ヴェラは銃火が飛び交う通路を全力で駆け抜けた。向こうも鋭い爪を前後に振るいながら、全力疾走でヴェラ達に向かって来た。

 助走を付けて振り下ろされた爪を斧の柄で受け止め、威力を殺すのと同時に相手の足を止める。完全に動きを止めた一瞬を狙って素早く足払いをし、まもりびとの両足を宙に浮かして転倒させた。そして相手が立ち上がれぬよう胸板に足を乗せ、体重を掛けて動きを封じた所でトドメの斧を振り下ろした。頭が真っ二つに割れ、黄緑に染まった脳髄がドロリと流れ出る。数度痙攣した後、まもりびとは動かなくなった。

 戦況を確認しようと周囲を見渡そうとして、トシヤの姿が目に入って止まった。丁度まもりびとの両腕を切り落として無効化にした上で、胴体と下半身を溶断するという勇猛な姿だ。どうやら向こうの戦闘も順調のようだと感心しちると、不意にロレンスの叱責にも似た必死な声が鼓膜を打った。

「ヴェラ! 頭を下げろ!」

 そこでハッとなって前へ振り返れば、数体のゾンビが此方に襲い掛かろうとして来ていた。ヴェラが咄嗟に身体をしゃがみ込んだ直後、けたたましい銃声と共に彼女の頭上スレスレを銃弾が通り抜け、ゾンビ達の体に無数の銃創を作り上げた。

「助かったわ、有難う」

「礼など要らん。それを言う暇があるなら、早く化物共を蹴散らせ! 此方の作業を遅延させる訳にはいかんのだ!」

「ええ、そうね」

 ロレンスの言葉に同意して再び立ち上がり、今度こそ周囲を見渡した。残っているまもりびとも一体を残すだけで、他のゾンビ達は全滅し、通路の上で無残な姿を晒している。そしてヴェラはまもりびとに向かって駆け出すと、握り締めたヒートホークの刃を叩き付けた。

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