午後1時10分 T-11 地下鉄構内

 ヘルメットの端に表示された動体探知機のセンサーに光の群れが出現し、ヴェラ達に向かって殺到してくる。その光点を示す方向へ頭部のライトを向ければ、暗闇を切り裂く光の道筋の中に現れたのは、やはりあの化物達だった。

 最初に遭遇した時みたいな大群ではないものの、それでも三人の倍以上の数が構内に流れ込んできているのはセンサーを見る限り間違いない。ヴェラはスーンの方へ振り返った。

「スーン! あとどれくらいでデータを落とせる!?」

「あ、あと4分半です!」

「スーン! アンタはパッドを死守してな! 化物達の相手は私達がなるべく引き受けるようにするけど、万が一に仕留め損ねたらアンタに任す!」

「ま、マジですか!?」

 そう言って窓口から抜け出したヴェラはオリヴァーの隣に立ち、スーンはパッドを直ぐに取りに行けるように自動扉の前で立ちはだかる形で陣取り、迫りくる化物達に向き合った。

「ギアアアアア!!!」

 獣の雄叫びとも甲高い悲鳴とも取れる金切り声を発しながら、化物達は大口を開けて突っ込んできた。オリヴァーは最初に接触した化物の脳天に斧を振るい落とし、文字通り一刀両断に切り捨てる。

 切り裂かれた化物の脳髄と内臓が、べしゃりと水分を多く含んだ音を立てて構内にブチ撒けられる。これが血のような赤色ならばグロテスクな光景に目を瞑ったかもしれないが、濃密な緑に染まった臓物はそれ自体がてらてらと発光しており、それが一層クリーチャー感を強め、オリヴァーの口から「うへぇ」と嫌悪に満ちた呻きが落ちた。

 オリヴァーの死角に素早く回り込んだ化物の一体が指先から生えた蹴爪のような鋭い爪を彼に突き立てんと飛び掛かるが、両者の間にヴェラが割り込み、彼の死角をカバーするのと同時に襲ってきた化物を袈裟懸けに切り捨てた。

「気を抜くんじゃないよ!」

「気を抜いたつもりはないけど、流石に数が多過ぎるぜ! おまけにタフ過ぎる! 嫌になるぜ!」

 ヴェラの叱責にオリヴァーは軽口を叩きながらも、寄せては返す波のように次から次へと二人に群がってくる化物達に只管斧を振るい続けた。けれども彼の言う通り、如何せん二人で捌くには数に差があり過ぎる。

 攻防を続ける内に分厚い深緑のアーマーの表面に銀色の筋のような傷が幾本か走り、それが増えるにつれて二人の呼吸も少しずつ乱れ始めた。アーマー内の人工筋肉が肉体活動を大幅に補助してくれているとは言え、基本的に動かすのは彼等の肉体なのだ。そこから来る疲労は流石に無視出来ない。

 しかし、向こうとて無傷ではない。寧ろ向こうの方が遥かに被害が大きい。背中を向け合うヴェラとオリヴァーの周りには煌々と発光する化物の血肉が無数に散乱し、完全な闇に飲まれていた駅構内を薄っすらと照らしていた。それが化物の血肉だと理解しなければ、便利な通路灯だと思えてしまいそうだ。

「おい、スーン! まだなのか!?」

「もう少し! もう少しです!」

 そう言いながらスーンは二人が仕留め損ねた化物の一体に斧を振り下ろし、蛍光色の体液に塗れながら相手の息の根を確実に止めていた。二人に比べれば動きがぎこちなく、戦いそのものに慣れていないのが丸分かりだが、自分の命が懸かっているだけに躊躇というものは一切感じられない。

「早く終わらせてくれ! こっちだって此処に長いはしたくないぞ!」

 オリヴァーが真剣な声色で急かした矢先、起動していた事すら忘れていた音響センサーの線が異音を捉えて跳ね上がった。異音の出所は目の前の化物達ではなく、窓口の真上―――切り落としたユグドラシルの根が密集している部分だ。それが何を意味するかは、この仕事に従事している者ならば容易く予測出来た。

「スーン! そこから離れろ!! 崩れ落ちるぞ!!」

 マイク越しに彼の切迫した台詞が飛び込んできたのとほぼ同時に、岩盤に亀裂が走るのと似た音が上から降って来た。音に釣られる形でスーンが見上げると、窓口の天井に走った罅が深さを増すのと同時に拡大し、霧雨のような細かいコンクリートと破片と埃が降り始めた。

 タッチパネル式のディスプレーの前に置かれたパッドを見遣れば、画面に表示されたダウンロード完了までのパーセンテージが残り2%を切っていた。そして画面の数字が100%になるのと同時にスーンは駆け出した。

 人工筋肉で補助された脚力は本人が想像していた以上の瞬発力と速度を発揮し、普通の人間ならば五秒は掛かるところを僅か二秒でパッドの前に辿り着く。そしてタッチパネルとパッドとを繋いでいたコードを引き千切らんばかりの勢いで抜き取り、素早く体を反転させて駆け出した。

 余りの速さにまるで風景を置き去りにしているかのような錯覚を覚えた。がしかし、余りの速さにスーン本人の運動神経が追い付かず、扉を潜り抜ける直前で足をもつれさせて盛大に転倒した。その弾みでパッドが彼の手元から離れ、円を描きながら埃っぽい床の上を滑っていく。

「しまった……! パッドが!」

 それを追い掛けようとスーンが立ち上がろうとしたのも束の間、天井に走った亀裂が遂に限界を迎え、雷鳴にも似た激しい轟音と共に天井が抜け落ちた。大量の土砂とコンクリートの瓦礫が窓口に流れ込み、次いで津波のように押し寄せた砂埃がスーンを飲み込んだ。

「スーン! 大丈夫か!!」

 振り下ろされた化物の腕を手甲で受け止めつつ、オリヴァーは砂埃に飲み込まれたスーンに向かって叫ぶ。だが、ライトの光さえも通さない煙幕みたいな砂埃がスーンを隠してしまい、彼の安否は分からぬままだ。

 ヴェラは取っ組み合いをしていた化物の腕を力任せに払い上げ、一瞬だけガラ空きになった胴体に鋭い一閃を叩き込む。まるで木を切り倒すかのように化物の体は刃の届かなかった腰の薄皮だけを残し、パックリと上半身と下半身に割かれて倒れ込んだ。

 ヴェラがスーンの方へ振り返ると、窓口のあった場所は大量の瓦礫と土に埋もれ、そのド真ん中には打ち込まれた杭のようにユグドラシルの巨木が突き刺さっていた。そして肝心のスーンは扉の境目にぐったりと倒れ込んだままだった。

 一瞬だけヴェラの脳裏に最悪の結果が過ったが、通信マイクから微かに彼の呼吸音が聞こえ、生体感知センサーが捉えた心音の鼓動と体温の赤が彼の生存を物語っていた。

「スーン!! 生きているね! しっかりしな!」」

「え、ええ……何とかですけど……」

 自分の呼び掛けにスーンの弱々しくもハッキリとした声が耳に届き、ヴェラはホッと安堵して胸を上下させた。そして直ぐに気を引き締めると身近に化物が居ないのを確認した上で、スーンの傍へ駆け寄った。

「大丈夫かい!? 怪我は!?」

「僕自身は大丈夫です。けど……」

「けど?」

「あ、足が……」

 そこでヴェラがスーンの足を見遣れば、大量の土砂とコンクリートの瓦礫が彼の膝から下を飲み込んでいた。瓦礫を退かせれば直ぐに動き出せるだろうが、周囲にはまだ十体近くもの化物が居り、そいつらが居る限りスーンを救助する作業に専念するのは不可能だ。

「オリヴァー! スーンが身動き取れない! アタシ達だけで何とかするよ!」

「何とかするね! ええ、分かりました! 喜んで!! こいつら全員をぶった切ればどうにでもなりますしね!」

 苛立ちやストレスを化物に八つ当たりするかのように、その内の一匹を一刀に伏した。そして素早く後ろへ下がり、身動きの取れないスーンを守るのと同時にヴェラと合流し、化物達の猛攻に備えた。

 化物達も性急な動きから一転してジリジリと獲物を追い詰めるような動きに変わり、決して襲い掛かるだけしか能のない生物ではない事を証明してみせた。

 ヴェラとオリヴァーは相手の動きを見て、斧を握り締める手に力が籠る。その時、駅構内にけたたましいホバージェットの爆音が響き渡り、その場に居た誰もが音のする方へと振り返る。

 数台の改札口を颯爽と飛び越えて現れたのは、一台の軍用ホバーバイクだった。乗っている人間はヴェラ達と同じ深緑色のアーマー(コング)を身に纏っており、右手には化物達を殺すのに必要なヒートホークが固く握り締められている。

 バイクはスピードを殺さず鋭い弧を描く形で化物の群れへ突っ込み、赤く熱した斧の刃を流れに沿って振り抜いた。化物の体に斧が触れた途端、手に硬いキャベツを切ったかのような手応えが走り、次いで鼓膜を穿つ化物達の断末魔が構内に響き渡る。

 生き残った二匹の化物も突如として現れたホバーバイクの方に意識を奪われた隙を突かれて、ヴェラとオリヴァーに鋭い一撃を背中に浴びせられて地に伏した。

「ふぅ、これで一先ず片付いたかな……?」

「ええ、そうね」

 辺りを見回し、幼い子供が派手に泥遊びをしたかのように散らばった化物達の体液や臓物を眺めながらオリヴァーは一息付いた。ヴェラは彼の言葉に相槌を打ちながらも、視線はホバーバイクの方へ固定したままだ。

 ディスプレーにはホバーバイクに乗った人間のアーマーコードが表示されており、それをヘルメットに内臓されたマイクロコンピュータで索敵に掛ければ、ほんの数瞬で着用者の個人情報――名前と所属部署と顔写真――が画面の左端上に表れた。

「トシヤ・モリグチ……? トシなのかい?」

「ええ、そうです。皆さんが無事で何よりです」

 ホバーバイクから降りたトシヤは、彼女達の無事を喜びながらヘルメットを頭から取り外すと、後頭部で縛った長い黒髪が窮屈なヘルメットから流れ落ちた。

 細く整った眉の下にある猫のように大きな目がスーンを除く二人の姿を映し出すと、彼はニコリと微笑んだ。その時に出来上がる靨(えくぼ)でさえも、トシヤの美点になってしまう程に彼は好青年という呼び名が似合っていた。


 そして彼が二人の傍へ駆け出し―――途中でガラスとは違う、硬質な何かを踏み割る音が響き渡った。


「「「あっ」」」

「え?」


 三人の声が同時に上がり、状況を把握出来ていないトシヤが恐る恐る足の下を覗き込んだ。そこにはスーンの大事なパッドが、見るも無残に砕け散った姿を晒していた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

用語解説


『ヒートホーク』

「コングとの併用を視野に作られた、ユグドラシルを伐採する為の伐採斧。

 ユグドラシルの樹皮は鋼鉄以上に硬く、銃弾すら容易く跳ね返す程の強度を持っている。しかし、高熱に弱いという性質を持っており、その為にユグドラシルを伐採する際には刃に高熱を纏わせる特殊仕様の道具が用いられる。

 一見は人間の半身程の大きさに匹敵する武骨な片刃式の伐採斧フェリングアックスだが、特殊加工が施された複合強化型のカーボン素材で作られており、従来の強化カーボンを超えた強度と耐久性を兼ね備えた上に欠点であった高温の酸化も克服している。

 セラミック系のハイブリッド合金で作られた白刃の内部には超高温を発する電磁コイルを始め、熱伝導率を高める高分子化合物が組み込まれており、これによって瞬発的にブレードを赤熱化する事が可能となっている。

 また刃の部分のみを脱着して取り換える簡易交換式を採用している為、予備の斧の刃さえあれば刃毀れや破損が起こっても一々修理する必要はない。予備の刃はコングの左右の腰に装着した鞘の中に納まっている。

 当然ながらヒートホークはユグドラシルを伐採する為の作業道具に過ぎないのだが、まもりびとに通用する有効な対抗手段と分かった為、以降はヴェラ達の主兵器として活躍する事となる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る