午前11時56分 T-11区域(旧大田区)

 悍ましい化物達の大群を振り切った一行は、羽田空港に隣接するT―11……旧大田区にある蒲田の街中を走っていた。とは言え、目ぼしい建物は尽く倒壊しており、道路も同様にユグドラシルの木々が乱立する道なき道に等しい荒れ模様だ。

 痛ましい惨劇を訴える街並みに、化物達を遣り過ごせる安全な場所を探すのが目下最優先事項事となっていた。

「おい、スーン」オリヴァーが尋ねる。「何処か面白い場所というか、その手の心当たりは無いのかよ? ミスター日本ジャパンオタクなんだろ?」

「無茶言わないでよ。幾ら僕が自他共に認める日本オタクだからって、今のこの状況下で案内出来る筈がないでしょ」

「じゃあ、あの化物については? 日本にあんなビックリショーに出れそうな生物が生息しているって話は聞いていないのか?」

「それも聞いてない。もし知ってたら、とっくの昔に今回の作戦を見合わせるよう上層部に直訴していたよ」

「確かに、そりゃそうだ」

 スーンの説明に納得して軽く相槌を打つと、今度は助手席に居たヴェラが後部座席のスーンへ顔を向ける。

「スーン、災厄のグリーンデイで滅びる前の日本の……特にこの辺りのデータって呼び出せる?」

「それは僕のパッドに入っているので可能ですけど……何故です?」

「このT-11には避難所やシェルターの類があったんじゃないかしら? そこへ向かってみたらどうかしら? 今は私達の身の安全を確保するのが最優先だからね」

 彼女の話を聞いたスーンはハッと思い出したかのように表情を変えて、持参していたパッドの画面に指を軽やかに走らせた。

「そうだ、そうですよ! UTP! 日本は唯一UTPがある国なんだ! ああ、何ですぐに思い出せなかったんだろう!?」

「おいおい、何だ、その……UTPってのは? 俺達にも分かるように教えてくれないか?」

 運転に専念しなければならないオリヴァーは顔を前に据えたまま声だけを後ろへ投げ掛けると、間髪入れずにスーンの興奮した言葉が返って来た。

地下都市計画Under Town Planの略称だよ! 震災に悩まされ続けた日本が打ち出した大規模且つ大胆な防災計画! 地下深くに建設した第二の都市兼避難所は人々の長期収容を可能にし、更に幾重にも分けた層で建物の倒壊や津波と言った二次被害を遮断するという画期的を超えた夢のような計画なんだ!」

「あー、はいはい。内容は大体分かりましたから落ち着きましょーね。……それにしても地震が起きたら地下に避難だぁ? なんかしっくりこないなぁ。普通、津波が来たら山とか高台とかへ逃げるのが常識なんじゃないのか?」

「日本は土地が狭いからね。ましてや計画が発表された当時の東京は高台や山なんて土地開発のせいで皆無だったし、今更都会のど真ん中に高台を作るスペースも無かったから、地下が選択肢として挙げられるのは必然みたいなものだったのさ。と言っても、前代未聞の試みだから実験の意味合いも強いけどね」

 そこで言葉を区切り、過去に起こった歴史を語るような口調で言葉を続けた。

「―――これまでの震災で得た知識と日本が培った技術をフルに活用した計画だっただけに今後の自然災害に役立つかもしれないと期待されていたんだけど……」

「その災害第一号として起こったのは災厄のグリーンデイだったって訳ね。不運なものね」

 ヴェラの言葉で最後を締め括ったのと同時に、スーンがパッドに打ち込んだ情報に対する答えが浮かび上がり、彼は小さいガッツポーズを作って破顔した。

「やりましたよヴェラさん! 大当たりです! ここから北西へ2キロ走った所にある地下鉄の入り口から、この区域の地下都市へアクセス出来そうです!」

 スーンからパッドを受け取ったヴェラは、画面に描かれた東京の地図に視線を滑らせた。非難出来る場所を見付けられるかもしれないと大喜びするスーンに対し、彼女は厳しい表情を崩さなかった。

 当たり前だが、この地図は災厄のグリーンデイが起こる前の地図だ。災厄後の今も地図通りに残っているという保証はなく、寧ろコンクリートを突き破って樹海のように群生しているユグドラシルを見る限り、この地図が意味を成さない可能性の方が遥かに高い。

「仮にアクセス出来たとしても、ユグドラシルの根が地下都市までの通路を邪魔をしているかもしれないわ。最悪、それによって落盤が起きて地下都市が潰れている可能性も考慮に入れておくべきね。そうなっていたら、そこを避難所にするのは無理よ」

「た、確かに……」

 パッドを返されるのと同時に現実味を帯びた指摘を入れられ、スーンはしょぼんと肩を落とし落胆した。そんな彼の姿を目の端で見送りながら、次いでオリヴァーへ視線を移し替えた。

「オリヴァー、スーンが見付けた場所へ向かってちょうだい」

「それは構わないけど、このウジャウジャと生茂るユグドラシルを避けながらだと何時になるか分からないぜ?」

「それは仕方がないわね。でも、なるべく早くしてね」

「了解っと!」

 車に備え付けられたデジタル時計が正午の12時を表示したが、辺りは夜を出迎える夕暮れのような薄暗さが充満していた。



 スーンのパッドが示した地下鉄の入り口に到着するまでの道中は決して平坦ではなく、寧ろ険阻と呼ぶに相応しい道則だった。ユグドラシルの大木が道という名を冠した全てを塞ぎ、陥没した道路が大口を開けて静かに待ち構えていた時は三人とも肝を冷やしたものだ。

 紆余曲折を経て目的地に到達した時の三人の表情には、「やっと」という待ち焦がれた感情にも似た安堵感と精神的疲労が混在していた。

「やれやれ、やっと到着か。普通に行ければ数分足らずが、結局は四十分以上も掛かるなんてマジで有り得ない。まるでド素人が作ったRPGロールプレイングゲームみたいな道則だ。無駄に長い割には何の意味もない。それもRPGの王道であり醍醐味かもしれないけど、現実で体験すると想像以上に腹立たしくて鬱陶しいのが嫌と言う程に分かったよ」

「オリヴァー、余り口が過ぎると化物達に聞かれるよ。静かにしな。スーン、そっちの方はどうだい?」

 長々と愚痴を零すオリヴァーを嗜めると、ヴェラは一足先に車から降りて地下鉄へと通じる階段の入り口を覗き込んでいるスーンへ顔を向ける。彼女の問い掛けに対し、スーンはフルフェイスのヘルメットごと頭を左右に振った。

「まだ大丈夫です。壁にユグドラシルの根が張り付いていますが、通れない程じゃありません」

 スーンの隣に立って一緒に中を覗き込めば、罅割れた階段の壁や天井に沿ってユグドラシルの根が粗い網のように張り巡らされていた。根は細いのでミミズ程度、一番太いので人間の腕程にも匹敵するが、スーンの言う通り通れない事もない。

 だが、流石に電気は通っていないらしく、半ば根に埋もれた通路灯や誘導灯は本来の役割を果たせず暗闇の中に沈み切っている。おかげで通路を見通すには、ヘルメットの頭頂部と側頭部に備わっている三点の強力なLEDライトの光に頼らざるを得ない。

「まだ道として通れるだけマシだね。スーン、この地下鉄の見取り図とかってパッドに入っているのかい?」

「残念ながら、そこまでは……。ですが、地下鉄には見取り図が張られてある筈ですし、それが無い場合はネット回線と繋げればマップをダウンロード出来るかもしれません」

「ネット回線? 災厄のグリーンデイの影響で回線は切断されているんじゃ?」

「ええ、ネットそのものを使うのは無理かもしれませんが、情報の詰まった基盤が残っていればデータのサルベージは可能です。勿論、それが残っていればの話ですが」

 最悪、それが残っていなければ無駄足になるかもしれないとスーンの台詞が言外に語ってはいたが、今は少しでも可能性があるのならば惜しまずそれに賭けたいというのがヴェラの本音であった。

「オリヴァー、あんたは殿を務めなさい。スーンは真ん中、アタシが先導するわ」

 ヴェラの指示に対し、二人の口から「了解」という言葉が飛び出す。そして三人一列になって、地下へと通じる階段を慎重に下って行った。



 地下鉄の内部は人の行き来が長期間に渡って無かったせいか空気が目に見えて淀んでいた。LEDライトが作り出す光の通り道を通過した埃がキラキラと輝き、構内に踏み込んだ三人を取り巻くように舞い踊る。

 そして構内の天井からは水栽培された球根の根のように何十何百と伸びたユグドラシルの根が張られ、至る所で通せん坊の如く道を遮っていた。本来ならば通勤ラッシュ等で何百人も通れる筈の地下鉄構内が、下された根のせいで非常に狭そうに見えた。

 けれども、幸いにして三人は行く手を拓くのに十分な装備を持っていた。分厚いアーマーの腕を根の隙間に捻じ込み、コングの怪力で強引に押し広げ、熱した斧で複雑に絡み合った根を切り裂いたりして進路を拓いていく。

 その最中、切り裂いた根から流れ出たGエナジーの樹液をスーンは中指サイズの試験官に回収し、右腕の前腕部に備え付けた解析装置に装着した。フルフェイスの裏側にあるディスプレーの端にGエナジーのエネルギー数値を初めとする解析結果が表示されると、スーンはヘルメット越しに驚嘆した声を発した。

「凄いですよ、このGエナジー。何年も手付かずだったからか、エネルギーの純度が極めて高い。コップ一杯だけでも一世帯分のエネルギーを2年……いや、3年は賄えますよ」

 スーンの話にオリヴァーは高温の口笛を奏でて興味を示した。

「そりゃ凄い。これを持ち帰ったら、俺達は大金持ちかって訳か。正に黄金の国ジパングだな」

「あくまでも持ち帰れたらの話だけどね。でも、コングやヒートホークのエネルギーが切れる心配は先ず無さそうね。小まめに回収しておきましょう」

 腰部のラックに掛けられていた超吸水ポリマーの入ったタンクにGエナジーを注ぎ、満タンにさせると再び一同は構内を探索し始めた。

 そして駅の自動改札機を抜けた先、広い構内の端に置かれたガラス張りの一室を見た途端、嬉しそうなスーンの声が耳元のマイクから飛び込んできた。

「あった! あれです!」

 そこは切符を取り扱う駅の窓口であり、ガラス張りの壁には回線の接続ポイントを意味するパソコンのマークが描かれてあった。本来ならばガラス張り故に内部の見通しが良い筈なのだが、大量のユグドラシルの根が室内を占拠してしまい、水槽に張り付いた苔のように内部を隠してしまっている。

「念の為に一応聞くけど、本当にあの中にあるのか?」

「ええ、間違いありません。接続ポイントを意味するマークが書かれていますからね」

「マジかよ……。ホラー映画とかで、こういう閉ざされた部屋を開けると絶対何か起こるんだよなぁ」

 生真面目に答えるスーンに対し、オリヴァーは気乗りしない萎えた声色で弱音を吐いた。だが、この状況では弱音を吐くことは許されても、それを理由に何もしないでいるのは許されない。

「オリヴァー、無駄口叩く暇があるなら道を作る作業に集中しな。今は少しでも時間が惜しいんだ」

「はっ、了解しました! もし俺の身に何かあったら助けてくれよ!」

「安心しな。何かあったら助けてあげるよ」

 電気の通っていない自動扉の前にオリヴァーとヴェラがそれぞれ配置に付き、線の境目に指を捻じ込んで強引に抉じ開ける。錆付いた鉄の扉を開けるのにも似た重々しい金属の擦れる音が駅の構内に響き渡り、その反響音で罅割れた天井の隙間から埃がパラパラと舞い落ちる。

 扉を開け切ると歪に絡み合った新緑色のユグドラシルの根が現れ、オリヴァーは苦笑いを零した。

「こいつは酷い。俺が小学生の頃に放ったらかしにした水栽培の球根以上だ」

「ここを力尽くで通るのは無理そうだね。やっぱり根切りするしかなさそう……」

「根っこを切り飛ばして大丈夫なのか? 下手したら自重を支え切れなくなったユグドラシルが落っこちてくるんじゃないのか?」

「その時はコングの性能と自分の運に頼るしかないね。今はデータのサルベージが最優先よ」

 オリヴァーが不安そうに根の出所である天井を指差すが、ヴェラは意見を曲げなかった。

「スーン、データベースに直ぐアクセスしたいから一緒に来て。オリヴァーは音響センサーに専念して、何か異常があれば直ぐに伝えてちょうだい。良いわね?」

「了解」

「りょ、了解しました」

 耳元のマイクから二種類の了承の言葉を聞いて、ヴェラは根で埋め尽くされた窓口の前に立った。その直ぐ後ろにスーンが付き、オリヴァーはヘルメットに備わった音響センサーをONにして彼等から数歩離れた位置に付いた。

 ヴェラがヒートホークを大きく振るい、根の一部を切り裂く。オリヴァーのセンサーは彼女が根を切り裂く音をキャッチして鋭く尖った波線を描くが、それ以外の異音はキャッチ出来ない。

 音響センサーの設定を少し弄り、ヴェラのヒートホークが奏でる轟音を判定しないようにすると、モニターに表示されたセンサーの線は真っ直ぐの平行線を描いたままとなった。これで異音を捉えれば、直ぐに反応が出る筈だ。

「大丈夫だ。そのまま進んで良いぞ」

 オリヴァーの台詞に言葉こそ返さなかったが、ディスプレーに表示された彼女の社員コードがチカッと一回だけ青く瞬いた。手が離せない時や静かに行動したい時、『YES』のサインを仲間に送る場合に使われる合図だ。因みに『NO』の場合はコードが赤く瞬く仕組みになっている。

 細い神経を擦り減らすように慎重に根を切り裂きながら前へと進み、漸く回線を繋げる接続ポイントに到達した。シンプルなタッチパネル式のモニターが置かれ、右手の方には携帯電話やノートパソコンと接続出来るコネクタが組み込まれている。

「スーン!」

 ヴェラが後ろへ身を引き、代わりにスーンが前へ出る。接続ポイントに立ったスーンはパッドから関節を持ったコードを伸ばし、コネクタの差込口に挿入する。そして素早くパッドを叩いて、求めていた情報を引き出し始めた。

「どう? データは残っている?」

「ええ、大丈夫です。幸い基盤が無事だったみたいです。只今データをこっちにダウンロードしています」

「どれくらい掛かりそう?」

「この駅構内の見取り図だけならば一分も掛かりません」

「“だけ”……?」

 その部分に引っ掛かりを覚えたヴェラがスーンに説明を求めると、彼は微かに体を横にズラしてパッドの画面を見せた。画面を見て欲しいというスーンの意図を汲み取り、ヴェラがパッドを覗き込めば、そこには駅構内だけでなく、別のデータもダウンロードしている最中だった。

「これは?」

「この地下にある避難所……先程話したUTPの見取り図です。どうやら、此処からでも地図のダウンロードが出来るみたいです。この際ですので一緒にデータを吸い上げてしまった方が良いかと思いまして」

「成程、良くやったよ。それで、どれくらい掛かりそうなんだい?」

「データが少し膨大ですので、6分……いや、5分は掛かりそうです」

「そう」そこで言葉を区切り、オリヴァーの方へ振り返る。「オリヴァー、音響センサーの方はどうだい?」

「至って異常は――――いや、待て」

 飄々とした軽い口調から一転して不穏な真面目声へと切り替わり、ヴェラとスーンは視線を彼に投げ付けた。

「どうしたの? アタシ達の頭上でヤバい事が起こっているのかい?」

「いや、違う。ヴェラ達の頭上じゃない。別の場所から音が聞こえるんだ。」

 音を拾い上げる感度を最大にまで上げたオリヴァーのセンサーに耳障りなノイズと激しいジグザグの波が走り、それは時間の経過と共に大きくなっていく。

「これは―――真後ろ? ああっ! マジかよクソッ!!」

 音源の位置を特定して、オリヴァーが後ろへ振り返るや彼の口から忌々しい悪態が零れ落ちた。

 ヴェラ達の位置からではオリヴァーが何を見たのかは見えないが、彼が背中の斧を手に取って構えたのを見て、何がやって来たのか瞬時に理解した。そして耳元のマイクからオリヴァーの必死な声が鼓膜を叩き付けた。

「気を付けろ! 化物共が来るぞ!!」


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用語解説

『T-11&西暦2400年以降の東京23区の呼び方』

「東京23区にある大田区の新たな呼び名であり、使われ始めたのは西暦2300年頃から。

 西暦2200年の日本は急激な少子高齢化の影響で労働力が激減しており、その穴埋めとして海外からの出稼ぎ労働者を初めとした移民や、紛争に巻き込まれた難民を大量に受け入れていた。

 その後、日本国内における日本人と外国人の人口比率は逆転し、僅か百年後には海外の公用語、特に世界で最も使われていた英語が主流となり、日本語は風化していった。(但し一部の日本至上主義者の間では使われ続けていた模様)

 そして旧来の日本語を用いた区域の呼び名から、現代の風潮に合わせた新しい呼び名を付けようという流れになり、東京を意味する「T」の後ろに特別区の番号を振るというシンプルな形となった』

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