午前10時52分 羽田空港跡地

 最初の銃声が森の奥から鳴り響いた時、空港で作業をしていた人々は一瞬だけ手を止めて一様に森の方へ振り向いた。が、最初の銃声から暫し間が空くと何事も無かったかのように作業を再開させた。流石に銃社会と呼ばれる国で生まれ育っただけの事はあり、一発だけでは動じないようだ。

 だが、それから一分も経たぬ内に断続的な銃声が鳴り響くと、今度こそ彼等は手を止めて森の方角を凝視した。それはユグドラシル調査の最終準備確認を行っていたヴェラ達も同様であった。

「何が起きているんですか?」

「分からん。先発隊が野生動物に出会ったんじゃないのか?」

「野生動物相手に、ここまで銃弾を使いますか?」

 尤もなヴェラの意見にサミュエルは反論の言葉を見失い、「ううむ……」と唸りながら口を閉口してしまう。

 そうしている間にも周囲では兵士達の動きが慌ただしくなり、耳を澄ませば一部の兵士達の間で「先発隊との連絡が取れない」という不穏な会話のキャッチボールが交わされているのが聞こえてきた。そのボールを偶然拾い上げたオリヴァーは目を丸くして、サミュエルの方へ振り向いた。

「サム、やっぱり何かあったみたいですよ」

「らしいな。とりあえず向こうの士官に掛け合って、この作戦を中断するか否か話し合いをして―――」

 サミュエルが作戦の中断を決定しようとした矢先、森の奥から幾度かの激しい衝突音とトラックのエンジンを盛大に吹かす音、そしてアスファルトを削らんばかりのタイヤの横滑りする音がやって来た。

 振り返ると先発隊を乗せたカーゴトラックの一台が森の暗闇の向こうから勢いよく飛び出し、空港に姿を現した。しかし、トラックは味方の居る空港に辿り着いたにも拘らず勢いを殺さないどころか、重度の飲酒をしたかのような覚束ない蛇行運転をしながら空港の中を走り抜けていく。

 予測不能なトラックの進路上に立っていた兵士達は横へ飛んで間一髪で助かった者も居れば、トラックの動きに体が追い付かずに跳ね飛ばされた者も居た。掠り傷で済んだ者も居るが、やはりあれだけの速度でぶつかって来たのだから大半が骨折等の重傷、当たり所の悪い兵士はピクリとも動かなくなっていた。

 そしてトラックはヴェラ達の横を危な気なく通り過ぎ、その100m先にあったユグドラシルの大木に激突、Gエナジーを元にしたトラックの燃料に引火し、淡い緑掛かった爆炎がトラックを包み込んだ。

 突然の出来事に辺りは騒然となるも、すぐさま上官の指示を受けた兵士達が消火器を手にトラックを取り囲み、消火活動に勤しみ始める。そこで一先ず騒動は終わるかに見えたが―――今度は人間の悲鳴が空港内に木霊した。

「何!?」

 ヴェラが悲鳴の方向へ目を向ければ、暗闇が支配する森の奥から得体の知れない化物達が何十何百と雪崩れ込むように姿を現し、近くにいる兵士達に襲い掛かっていた。文字通り首の皮一枚繋がった状態で倒れた兵士も居れば、頭がパックリと割れて美しいブロンド髪が脳漿交じりの鮮血に染まった女性兵士の姿もあった。

 味方の惨たらしい死を目の当たりにした兵士達は、上官の許可も無く手にしていたライフル銃を迫り来る化物達に向かって乱射していた。胃から込み上がる吐き気よりも先に自己防衛の本能が率先して働いたようだが、彼等の精神は既に深刻な恐慌状態に陥っていた。

 その結果、銃口の先で逃げ惑う兵士味方が居ようが御構い無しに引き金を引き続け、被害は一層悪化した。それを見た上官が銃の乱射を止めるよう声を張り上げたが、この逼迫した状況では誰も引き金から指を離すのは無理な話であった。

 ライフル銃から放たれる弾丸は点線のような光の軌跡を作りながらの化物に命中するが、弾丸は相手の肉体を貫くどころか固い樹皮の体に阻まれ、軟なゴム弾のように易々と弾かれてしまう。

 結局誰一人として敵を仕留めるどころか勢いを食い止める事すら出来ず、津波の如く押し寄せる化物の群れに飲み込まれ命を落としていった。そしてヴェラ達の方へ化物達が迫って来るのを見て、スーンは顔を蒼褪めた。

「ヴェラさん! このままじゃ僕達もやばいですよ!?」

「分かってるわよ! サム!」

「ああ! ボートに逃げ込め!!」

 羽田沖に停泊してある軍用の小型ボートに向かって、50人余りにも及ぶ社員一同が一斉に駆け出した。が、既に化物達の波は彼等の直ぐ背後まで来ており、その内の足の遅い女性社員が波に捕まってしまう。

「きゃあああ!! 嫌ぁぁぁぁ!!!」

 波に捕まって倒れた女性に化物達が殺到し、方々から鋭い爪を振り下ろした。超鋼チタン合金を引っ掻く甲高い音と女性の絶望に満ちた悲鳴にヴェラは逃げ足を止め、自分の身の危険など考えもせず真っ先に踵を返した。

「待て! ヴェラ!! 危険だ!!」 

 オリヴァーがヴェラを呼び止めようとしたが、彼女は彼の忠告に耳を貸さなかった。強化人工筋肉で何十倍にも倍増させた剛力を以てして距離を瞬く間に詰めると、同僚に跨っていた化物達を殴り倒し、蹴り飛ばし、力尽くで排除した。化物達の堅い樹皮の感触がアーマー越しにビリビリと伝わってくる。

「大丈夫かい!? しっかりしな!」

 ぐったりと倒れたままの女性を立たせようとしたが、上体を起こした途端に女性の頭がヘルメットごとゴトンと音を立ててアスファルトの上に転がり落ち、首の断面から血飛沫が噴水のように舞い上がる。

 フルフェイスのおかげで苦悶に満ちた同僚の顔を見ずに済んだが、それでも助けられなかったという自責の念が胸中に重いしこりを残す。

「ヴェラ!」

 オリヴァーの声にハッと我に返って正面を見上げれば、先程力尽くで排除した筈の化物達が元気な小猿のように四肢を忙しなく動かしながら迫ってくるのが見えた。

 ヴェラは化物達の頑強さに舌を巻いた。今の一撃を受けてもほぼ無傷だって? 生身の人間が脇腹に受ければ、骨折どころか肋骨の大半を粉砕する程のパワーなのに? 

 そして化物達がヴェラに踊り掛かった瞬間、彼女の鋭敏な頭脳はスーパーコンピューター並の速さで脳内の歯車を只管に回した。

(銃弾も効かない。コングの怪力でも殺せない! 残された手段は―――化物を食い止める方法は!?)

 自問自答しながらも無意識に動いた彼女の手に、コツリと固い感触が走った。思わず目線を下に注ぐと、視界に飛び込んだのは同僚の背中……厳密に言えばパワードスーツの背部に設けられた専用ラックに掛けられた、硬いユグドラシルの樹皮を切り裂く為の灼熱の斧ヒートホークだった。

 それを見た瞬間、彼女は反射的に同僚の背中から斧を取り、柄の部分にあるスイッチを入れた。瞬く間に刃が赤熱化し、次いで一秒余りで最高温度に達し、斧の周りの空気が歪む程の真っ白い高温の光を放ち始める。

「でぇりゃああああ!!!」

 男顔負けの勇ましい雄叫びと共に斧を横へ振るい、最初に飛び込んできた化物の胴体に白熱化したヒートホークの刃を叩き込んだ。するとどうだ、あの頑丈な樹皮で覆われた化物の体がナイフでバターを切るかのように滑らかに切り裂けたのだ。

 胴体を切り裂かれた化物の体から黄色こうしょくの強い黄緑色の体液が噴出したのを見て、彼女は確信とも呼べる手応えを覚えた。

(いける!)

 次から次へと襲い掛かってくる化物達にヒートホークを振り下ろし、時には薙ぎ払い、まるで無双するかのように彼等の死体を次々と築き上げていった。そこへ彼女に倣ってヒートホークを振るいながら化物を駆逐するオリヴァーとスーンが駆け寄ってきた。

「おい、ヴェラ! これ以上此処に留まり続けるのは危険だ!」

「もうこれじゃ調査どころじゃありませんよ!」

「ええ、分かっている!」

 目の前の化物達を一定量屠ると、今度こそ彼と一緒にボートの方へ駆け出した。だが、彼等の足は僅か数十m走ったところで止まってしまう。

「な、何だ!? ありゃ……!」

 オリヴァーが驚きの声を上げた先では、先程まで穏やかだった海が急激に荒れ狂い、停泊させていたボートを大きく揺らしていた。但し、荒れているのは天候のせいではなく、海中に浸かったユグドラシルの根が原因だった。

 禍々しさすら覚える巨大な根がバキバキと撓りともうねりとも取れる音を上げながら海中から海上へと姿を現し、北欧神話に登場するクラーケンさながらに分厚い根を海面に叩き付ける。たったそれだけで海は荒れ狂い、停泊させてあった軍用ボートは呆気なく転覆・沈没してしまう。

 更に一部の根がボートに乗って逃げるべく、海沿いの滑走路に集まっていた兵士達の頭上に振り下ろされる。激しい轟音と共に滑走路の一部が海の藻屑となり、そこに居た人々は……筆舌し難い惨い有様だった。その中には一足先にボートに乗り込もうとしていたヴェラ達の同僚も含まれている。

 何にせよ、これで逃走する手段を失った。しかも、背後からは化物達が生き残りの人間を殺さんと迫りつつあった。背水の陣と呼ぶには、圧倒的に不利な要素が多過ぎる。

(どうする……? このままじゃ嬲り殺しも良いところだ。何としてでも、この場から脱出しないと……! だけど、脱出しようにもボートはもう―――)

「ヴェラ!!」

 思考に没頭し掛けた彼女を現実へ引き摺り上げたのは、サミュエルの声と彼が乗っているオフロード車のエンジン音だった。後部座席と助手席には、命辛々生き残った同僚の姿があった。

「サム! それは……!?」

「これ以上、此処に留まり続ければ化物達の餌食になるのがオチだ! ここは一か八か、森の奥深く……日本の首都に入り込んで生き延びる道を探すしかない!! お前達も乗り物を見付けて出発するんだ! 無傷のまま残っているヤツが一台ぐらいは有る筈だ!」

 そう言うとサミュエルはパワフルなエンジンを吹かし、四輪駆動の高機動を存分に活かして化物共の群れで出来た壁を強引に突破し、森の奥へと消えていった。

 彼の意見を見倣い辺りを見回せば、仮設テントの傍にサミュエルが乗っていたのと同型のオフロード車が五台横一列に並んでいた。傷一つない新品同様の姿から察するに、どうやら化物達は生きた人間だけを狙い、機械や乗り物にはこれっぽっちの興味も持っていないようだ。

「オリヴァー!」

「ああ、今の話はバッチリ聞いてたぜ! 乗り物に関してだったら俺に任せろ!」

「スーン!」

「は、はい! 直ぐに行きます!」

 部下二人を呼び寄せると、三人は一同に扉の付いていない車へ飛び乗った。運転席に付いたオリヴァーはハンドルを握り締めると、ハイテンションを意味する高音の口笛を吹いた。

「こいつは凄い! ボックス・コーポレーション社の最新鋭オフロード車『GRZRYグリズリー-MrkⅢ』じゃないか! ATV全地形対応車としての機能は勿論のこと、様々な悪路を想定して徹底的に追及した高レベルの走破性! 最低地上高が高い割には驚くほどの低重心! そして小型・軽量だからこそ戦場や災害地で輝く―――」

「蘊蓄を語る暇があるなら、さっさと運転しな!!」

「おおっと! そうだった! こいつの説明は後回しだ! しっかり掴まってな!!」

 ヴェラの叱責を受けながらも、オリヴァーは上機嫌にプロレーサー顔負けの素早いギアチェンジとハンドル裁きで車を急発進させた。

「それで何処に向かうんで!?」

「真っ直ぐに突っ切って!! 今は化物達から逃げるのが先よ! 細かい事はその後で決めれば良い!」

「仰せのままに!!」

 布地を引き裂くかのように化物共の群れを突き破り、ヴェラ達はユグドラシルの森へと突入した。


 彼女達は知る由もなかった。此処からが彼女達にとって長い旅路の始まりであり、滅びた日本に隠された秘密に否応なく巻き込まれるなんて……。


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用語解説

『コング』

「ナチュラルグリーン社が開発したパワードスーツ。ヴェラ達が身に纏っているコングは、元は亡国日本企業であるナチュラルグリーン社が開発し、その後アメリカ支部者が強化改良を加えたものである。

 数トンにも及ぶ衝撃に耐えられる超硬チタン合金を何層にも重ね合わせた多層装甲がふんだんに用いられており、驚異的な防御力を獲得している。

 またパワードスーツには最新鋭の強化人工筋肉が内臓されており、それと背中に背負った消火器サイズのプロペラントタンクに入ったGエナジーのエネルギーを利用する事で、人知を超えた超人的な怪力を発揮する事が可能。

 Gエナジーがある限り機能は持続するが、Gエナジーが切れれば、途端に数百キロにも及ぶコングの重量が生身の人間に襲い掛かり、コングを身に纏っている人間は碌に身動きも取れなくなってしまう危険性も孕んでいる。無論、時と場合が最悪であれば死に至るのは明白である。

 まるで究極を目指したかのようなパワードスーツだが、あくまでもコングの開発目的はユグドラシルに囲まれた環境下……重機や機材が入れない場所で、人間が円滑に作業する為の補助道具に過ぎない」

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