第2小節ー俺の悩み

楽器屋の前で知り合った男に連れられてきたのは、楽器屋からさほど離れてはいないところにあるデザイナーズハウスだった。

白い壁で、とても大きく見える。

「どうぞ。」

「おじゃまします……。」

玄関には女の子用と思しき可愛らしいスニーカーがあった。

とことこと足音が聞こえる。

「おかえりなさ……ひっ。」

ダッシュで玄関の側にある階段を駆けのぼり逃げて行く女の子の後ろ姿だけは見られた。

「……今の子は?」

「僕の従妹。ちょっと訳あって、人と会うのが苦手なんだ。許してあげて。」

「そうなんですね。」

許すもなにも、それは仕方のないことかもしれない。

「さあ、リビングはこっちだよ。」

先程女の子が逃げた階段の脇の廊下を歩いていく。

白い扉や、ゴツい赤い革張りの木の扉など、部屋はたくさんあるようだ。

その中にトイレのマークのついた扉を見つけて、なぜかホッとした自分がいた。

一番奥の磨りガラスがはめられた木の扉を抜けると、どうやらそこがリビングのようだ。

「手を洗って、うがいもして、ここに座っててくれ。おつまみとか用意するし。」

コップを渡されていう通りに手を洗いうがいをし、さされたイスに座る。

知らない男についてきてしまったことを後悔し始めていた。

知らん人間に、今の状況を知られるのは恥ずかしく感じ始めたからだ。

ふと、男を見遣るとモスグリーンの腰巻きエプロンをつけ、今しがた手を洗ったアイランドキッチンで手際良くフライパンを煽っていた。

ベーコンと何か……キノコの類とチーズの焼ける匂いがした。

正直な話、今日はまだ夕飯を食べていない。

食べる余裕がなかったのだ。

今度は、トーストの匂いと、トマトの匂い。

「おまたせ。」

目の前に置かれたピザトーストはとてつもなく美味そうだ。

缶ビールも俺がいつも飲んでいるものと変わりがない。

……よかった、これで最高級ワインとか出てきたらどうしようかと思った。

今の俺は、持ち金などほぼないのだ。

「さあ、食べながら話を聞かせてくれよ。」

「……その前に。俺は鶴巻弦つるまき げんです。あなたの名は…?」

「あれ、名乗ってなかったか。僕は流奏人ながれ かなと。よろしくね。」

へらっと笑って、缶ビールを口に含む奏人さん。

「自己紹介も済んだし、聞かせてよ。」

「……そうですね……。」


今日も、昨日と同じ一日が過ぎていくと思ってたのだ。

なぜか社長がすごい剣幕で俺に対し怒っていると聞き、仕事の手を一旦止めて社長室に向かった。

ノックをし、「入れ」と声が聞こえたので社長室に入るや…二枚の書類を投げられた。

「どういう事だ、これは!!!」

書類を拾い上げて見ると、身に覚えがないが俺が書いたとされている物とそのほかのもう一枚のようだ。

内容は、この会社の一番の取引先に俺が虚偽の取引をし、その損害を被ったとして取引先から賠償請求されている……物のようだ。

俺はもちろん、身に覚えがない。

だが、こんな事をするのは……おそらくあの同期だけだ。

「この取引先が、この会社にとってどれだけ大事か、お前なら分かってるだろう!!」

フーフーと顔を真っ赤にして怒る社長。

こうなればどんな話も通じない。

「お前はクビだ!!」

理不尽に会社をクビになった。

とりあえず、同棲している彼女には報告しなければならないので、家に帰った。

この家は、彼女の持ち家であり、アパートで一人暮らしをしていた俺が連れこまれた形だった。

合鍵で玄関ドアを開けると彼女の靴と見慣れない男物の靴が置いてある。

俺は、人より少しだけ聴覚がいいのか、遠くや小さな音を拾うことができてしまった。

明らかに、彼女の嬌声。

イライラが募って、彼女等がいるであろう部屋のドアを開けた。

重なりあう、彼女と……俺が疑った、あの同期だ。

怒りがふつふつと湧き、その衝動は抑えることができず……同期を殴りつけた。

視界が赤くかすみ、もうその同期しか見えてなかった。

もう一発殴ろうと振りかぶった時、彼女が同期を庇った。

「……ごめんなさい。でも、私はこの人が好きなの。別れて。」

一気に力が抜けた。

その場に崩折れた俺を、同期は嘲笑っていた。

少ない荷物をまとめて、俺は彷徨い歩いて…あの楽器屋の前で途方にくれて、うずくまった。


「……俺は、どうしたらいい。仕事も、住む場所もない。貯金はほとんど彼女に貢いだようなもんで残りなんてない。」

食べ終わって空になったピザトーストの皿が少し浮き上がるくらい強くテーブルを叩いていた。

「……確かに、酷い話だった。思ってた以上だったよ。」

だから、話したくなかったんだよ。

ただ同情されるだけでも、今は心がささくれすぎて痛みしか感じないから。

「でも、ちょうど良かった。働き口ならあるよ。」

「へ?」

「あの楽器屋……bless《ブレス》には男手が足りなくてね。どう?」

「どう、とは……。俺は、楽器の知識はほとんど無いですよ?」

「それは研修させるし、可愛い女の子に教えてもらいながらの仕事になるかな。もちろん、他で探すなら止めないけど。」

捨てる神あれば拾う神ありと言うべきか。

ありがたい申し出であることには代わりはないのだが……。

「あ、住むところも必要か。二階の空き部屋を使うといいよ。どう?」

「とてもありがたいのですが……。」

初対面の人にそこまで面倒をかけてしまうのはなぁ。

「じゃあ、とりあえず仕事見つけるまでうちでバイトしながら住めばいいよ。そうしよう。」

勝手に決まっちゃったよ。

「空き部屋に案内するね。ついてきて。」

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