第25話 キス

宿題を終え、後ろを振り向く。

 そこにルーフスが壁にもたれ立っていて驚く。

「ただいま」

 驚いたままの私をよそに挨拶をする。

「いつからそこに?」

 20分くらい前かな?

 熱心に勉強をしているみたいだったから待っていた。

 何、忠犬ハチ公みたいな事を言っているのだ?

「何かあったの?」

 ソファに疲れたように座るルーフスを見て私は聞いてみた。

 なんだかいつもと違う気がする。

「どうして?」

 そんな私の問いに、目を合わせルーフスは聞き返す。

「なんとなく、悲しそうだから?」

 いつもの無表情なのに、なぜか悲しみが伝わってくる気がするのだ。

「なんだ最後のそのハテナは?」

 ふっと自嘲気味に笑う。

 その笑いがなぜか私の心を震えさせた。

 同時に私はソファに座っているルーフスに駆け寄り抱きしめていたのだ。

「何」

 ルーフスは何が起こったのか分らないという感じで固まっている。

 私も気付いた時にはルーフスを抱きしめていたので、恥ずかしさで固まってしまった。

 しばしの沈黙。

 おかしな事に2人とも動けないでいた。

 これ、どうしよう?

 身体の筋肉が動かない。

 それなのにルーフスに触れている部分が敏感に感じているらしく熱くなっている。

「ふ。大胆なのだな」

 そう言ったかと思うとルーフスは私の身体をゆっくりと動かし、逆に今度は腕の中で私を抱きかかえた。

 その体勢だと、顔のすぐ目の前にルーフスの顔がある。

 最初に会った悪魔の時のルーフスとは違い、黒い瞳に黒い髪のルーフス。

 それでも端正な顔立ちは変わらず、長く伸びた睫は美しい瞳を際立たせ私をドキドキさせるのに充分だった。

 きっとこの音、ルーフスにも聞こえているかも。

 あまりの恥ずかしさに私は俯いた。

「エル。せっかくだ、顔を見せて」

 私の顎を持ち、クイッと上に向かせる。

 それがまた恥ずかしくさせ、私の顔は真っ赤になっている。

「ありがとう」

「え?」

「さっきまで少し色々あって落ち込んでいたのは事実だ。でもお前のおかげで元気がでてきた、ありがとう」

 今までの中で1番優しい顔で言う。

 ルーフスの言葉がなんだか嬉しくなって、私は恥ずかしい気持ちがなくなっていた。

 その瞬間だった。

 一瞬の隙をついたのかなんなのか。

 ルーフスの唇が私の唇に触れた。

 それは今も唇に触れている。

 動けない。

 精神的な問題でもなく、ルーフスがガッチリと私の身体を固定して掴んでいるのだ。

 それは時間で言ったら数秒かもしれない。

 それでも私にとっては・・・とてもとても長い時間に感じられた。

「悪いな。お前のファーストキスいただいたぞ」

 ニヤリと笑うルーフス。

 こいつ計画犯だ。

 いったいいつから考えていたの?

 最低。

「なんだ、その顔は。これも含めて彼氏になってと頼んだのではないのか?」

「だとしてもお互いの気持ちってものがあるでしょう」

「お前もして欲しそうな顔をしていたけどな」

 その言葉に完全に頭にきた私は、近くに置いてあったクッションを投げつけてやった。

 それは見事、ルーフスの顔に命中。

 でも悪魔なのだから、もっと重いものを投げつけてやれば良かったわ。

 じゃなければ、腹の虫がおさまらない。


 次の日、ルーフスといつものようにお昼を一緒に食べる。

 それでも昨日の怒りはおさまらないので、私の顔は険しいままだ。

 ルーフスは涼しい顔でオムライスを食べている。

 また今日は可愛いものを。

 まったく持って似合わない。

 私はラーメン。

 大好きなラーメンを食べていても腹の虫がおさまる事はなく、かなりもったいないが味が今ひとつ良く分からなかった。

「今日はデザートを持ってきた」

 そう言うと、ルーフスはポケットから苺大福を出してみせる。

 それも私が1番大好きな鈴懸屋さんの苺大福。

 箱を開けると4つも入っていた。

 しかしそれなりに大きさがあるのに、よくこの箱がポケットに入っていたわね。

 不思議だわ。

「それと温かいお茶」

 魔法のように、私の好きなものを次から次へとルーフスは出して渡してくれる。

 そういうところは王子様みたいで素敵。

「これで少しは機嫌が直ってくれるといいのだがな」

 手を頭の上に置くと、優しく言う。

「それとこれとは別なんだから」

 苺大福に夢中になりながらも言いたいことはシッカリと言っておかないとね。


 苺大福を食べ終えると、かなり満足した気分で教室へと戻る。

 その途中、1番会いたくない人物と会ってしまった。

「エルちゃん、久しぶり」

「サキュバス」

 思わず口走った言葉に、高橋先生は眉をひそめた。

「あら、その言葉は禁句よ。次に口走っちゃったら恐ろしい事が起こるかもよ?」

 笑顔がまた怖い。

「気をつけます」

「先生、素直な子は大好きよ」

 そう言ったかと思うと、一点を集中して見ていた。

「ふぅん、なるほどね。もうそういう仲なんだ」

 意味ありげに言われてはっと気付き、思わず口を塞いだ。

「あの男もやってくれるじゃない?」

 その目は氷のように冷たい。

「エルちゃん、あなたもあの男を彼氏にした事をもっと身にしみて考える事ね。先生からの忠告よ」

 冷たい眼差しのままニッコリと微笑む。

 怖い。

 今すぐにでも立ち去りたいのに身体が動かない。

 私はチャイムが鳴るまで、高崎先生が立ち去った後も動けないでいた。


 遅くなった。

 冬のせいか、まだ18時だと言うのに、外はすっかり暗くなっていた。

 図書館の仕事がこんなに長引くなんて珍しい。

 それも司書室の先生がなかなか戻ってきてくれなかったせいだ。

 いつもなら2時間も前に終わっているはずなのに、今日に限って先生はなかなか戻って来ず、やっとさっき鍵を持って戻ってきたのだ。

 どうして遅れたのかと聞いても、本人ノンビリとしているのかまったく理解していない。

 でも司書室の先生っておっとりはしているけれど、時間にはいつも正確なのよね。

 何かあったのかしら?

 それよりもここらへんは暗いから、明るくなる最寄り駅周辺まで早く行かなくちゃ。

 最近は追い掛け回す変質者まで出るようだしね。

 狙われたら大変だわ。

 それなのに・・・目の前に人相の悪い男が数人いた。

 真っ直ぐにこちらを見ている。

 大丈夫。

 きっと追い掛けるだけで何もしないから。

 根拠もなく自分に言い聞かせる。

 足はもう完全に震えていた。

 その男達は構わずにジリジリと近付いてくる。

「あそこの制服だ」

「本当だ。こいつかもしれないぞ」

「そうだな、ロングヘアーって言っていたものな」

 口々に何かを言っている。

 その会話の意味を探ると、どうも目当ての誰かを探しているらしい。

 良かった。

 なら、私じゃない。

 この人達の顔を見たけれど、まったくの顔見知りじゃないので私は安心した。

 安心すると不思議な事に、足の震えも止まり歩き出す。

 なのに。

「こいつだ、見つけたぞ」

 一斉にこちらに向かって駆け出してきた。

 はあ?

 聞いてないんですけど?

 ってか、あなた達なんて知らないし。

 涙目になりながらも私の足は完全に立ち止まってしまった。

 男達はそんな私を抱きかかえると、近くの公園に連れ込む。

 私、どうなるの?

 恐怖で身体が竦む。

「あいつの言うとおり、上等な女だ」

「処女の匂いもするぜ」

「これでルシファーも喜んでくれるだろう」

 口々に話しながら、私の身体を弄る男達。

 それは胸に。

 それは腰に。

 それは今まさにスカートの中へと入っていこうとしている。

 怖い。

 やめて。

 お願い。

 その思いは言葉にならない。

「おい」

 その瞬間1人の男の顔が青ざめ手が止まった。

 他の男達も同時に手を止める。

「どうした?」

「見てみろ」

 その男の指は私の唇を指していた。

 他の男達も顔を青ざめさせる。

「これはどういう事だ」

「あいつ、俺達を騙しやがったな」

「どうしよう」

「ここまでやってしまったんだ、最後までやるしかないだろう」

「そうだな」

「最後は喰ってしまえばいいだけだ」

 3人で相談する。

「ほう。お前達の答えはそれか」

 この声は。

 声の方を見るとルーフスがそこには立っていた。

「なんだ、お前」

 私を襲っていた暴漢達がルーフスに近付く。

 その瞬間、ルーフスと目が合った。

 ルーフスは静かにゆっくりと、初めて会った時の姿に変わっていく。

 背中には大きな黒い羽が美しく揺らめいている。

 その姿に、今にも襲いそうだった暴漢達が立ち止まった。

 そしてゆっくりと後ずさる。

 そりゃあ悪魔だもん。

 暴漢だって人間だから怖いよね。

「バカめ、逃げられると思っていたのか」

 ゆっくりと見えない力で、暴漢達3人を手繰り寄せる。

「どうしてこんな事をした」

「あの女を襲えばルシファーが喜んでくれるって」

「襲った者には、褒美が出るって聞いたんだ」

「幹部悪魔にもなれるかもしれないって噂にもなっている」

 3人は恐ろしい形相をしながらも、必死に叫んでいる。

「誰に聞いた?」

「それは」

 その瞬間、男達の姿は消えた。

 正確に言うと飛び散った。

 破片が私の側までも飛んできている。

 一体、何が起こったのだろう?

 ルーフスがやったの?

 いや、ルーフスは聞いていた。

 その問いに答えられたくない誰かの仕業。

 それでも目の前で起こった事は現実なのだろうか?

 人が中から弾けるように飛び散るなんて。


 ルーフスが近付いてくる。

 その姿は、もう人に戻っていた。

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