第16話 マレの初恋

 最近、マレの様子がおかしい。

 元々おかしなヤツだったが、最近特におかしな事になっている。

 ボーッとしていたかと思うと、急に顔を赤らめてギクシャクとした行動を起こす。

 いったいなんなのだ?

「どうしたの? ボーッとして。今日もコーヒー飲みにきたのでしょう?」

 おかしいと言えば、イヴの日のこいつの行動。

 三学期が始まってから、私はまた保健室に通うようにした。

 こいつのイヴの日での行動の意味を探る為に。

 とは言え、こいつの淹れるコーヒーもなかなか美味で嫌いじゃない。

「少し聞くが、ボーッとしていたかと思うと急に顔を赤らめる現象は分るか?」

「なにその、面白くない質問」

 言いながらコーヒーを手渡してくれる。

「面白くないか? 真剣に聞いているのに」

「ええ、簡単すぎてつまらない。それってあなたの事?」

「まさか。しかし、簡単なのか?」

「それって典型的な恋をしている時の人間の動きじゃない」

 本当につまらなそうに、サキュバスは髪をクルクルと手で弄びながら答える。

「恋・・・か・・・」

 そう言われると、たしかに納得できる。

 しかし、誰に恋を?

 元は猫だよな・・・。

 確か去年の5月に生まれたと聞いている。

 と言う事は、1年と8ヶ月か・・・。

 発情にしてはちょっと遅くないか?

 エル相手に恋をしているようにも見えない。

 あの2人はまさに兄弟って感じだからな。

 かと言って、1人で外出を止められているあいつにそんな相手がいるとは思えないし・・・。

 私か?

 まさか。

 あれだけ私を言いように扱う猫だ。

 そんなわけあるまい。

 では、誰に?

 今度それとなく確かめてみるか。

 それなりに興味もあるしな。

 元は猫の人間が、どんな恋愛をするのかを。

 そう言えば。

「サキュバスは恋をするのか?」

 一瞬空気が凍りついたような気がしたが、気のせいか?

「はい?」

「いや、淫魔と呼ばれているからどうなのかと思って」

「さあ、どうかしら?」

 サキュバスは妖しく笑う。

「もし恋をしていたら悲しいな」

「どうして?」

 また空気が凍りつく。

 問うサキュバスの目は、明らかに挑んでいるように険しい。

「恋をした相手と結ばれたとしても、精気を吸ってしまうという因果な性質だろう」

「そうね」

 悲しそうな声で髪をかきあげる。

「でも精気を吸う瞬間は、本気で愛してあげているから悲しくはないわよ」

「そういうものか?」

「そういうものよ」

 よく意味は分からぬが、本人が言うならそうなのだろう。

「あなたは恋をしたりするの?」

「まさか」

 私はサキュバスの突飛な質問に笑いそうになった。

 そんな事、考えた事もない。

「恋愛なんて愚かな行為、誰がするものか」

 それに自分が誰かに夢中になるなんて、考えただけでもゾッとする。

 誘惑の悪魔が心を奪われるなんて、それこそ笑いものだ。

「あなたも悲しい人なのね。人の事言えないじゃない」

「私が悲しい? なぜ?」

「だって恋をする気持ちを知らないんだもの。恋は素晴らしいわよ、何者にも変えがたいくらいにね」

「ふん、面白い。そんなくだらない事を、まさかお前に言われるとはな」

「あなたの恋をする姿、是非見てみたいわね」

 楽しそうに妖しく笑う。

 何かを仕掛けられないようにしないと。

 その姿を見て、私は警戒心を強める事にした。

 こいつは淫魔なのだから。


 家に帰り着くと、居間でマレが寝ていた。

 エルはまだ帰ってこないようだ。

 その寝顔を見ながら考える。

 こいつは人間になって、何がしたいのだろう?

 元は猫だ。

 人間世界に馴染めるとも思えん。

 寿命は猫のままだから、人間よりも早く年を取るだろう。

 あと10数年、どのように生きていくつもりなのか。

 自分がエルに頼まれたとは言え、人間に変えてしまったのだ。

 少しは責任を感じる。

「やっぱりルーフスか。どうりで臭いと思った」

「どういう意味だ」

「なんかルーフスってエルとは違う匂いがするから。それが僕にとっては臭く感じるだけだから気にしないで」

 猫のように顔を洗いながら答える。

 相変わらず、感じの悪いヤツだ。

 遊園地では散々奢らせたクセに。

 まあ私も初めて食べるものばかりだったから、それなりに楽しかったからいいけど。

「好きなヤツでもできたか?」

 ふと気になって、聞いてみた。

 一瞬でマレの顔は真っ赤になり慌てる。

 ふむ。

 これが恋をしているという事だな。

「何で急にそんな事を聞くの?」

「最近のお前の行動を見ていてだな」

「鈍いルーフスでもそう感じるなら、エルにまでバレちゃってるのかな。困った」

 いちいちムカつく言い方をするヤツだ。

「エルに知られると困るのか?」

「だって、僕がその子に会う為に内緒で外出しているのを知られちゃうじゃん。そしたらエルに怒られるもん」

 そうとう怖いのか、耳がピタッと張り付いている。

 猫は不便だな。

 耳で感情が丸分りだ。

「どこで出会った?」

 そこが一番の謎だ。

「この前2人がエルのママの病院に行った日あるでしょう? あの日、僕出窓のところで日向ぼっこしていたんだ。その時たまたま外を歩いていた女の人と目が合ったの。そしたらその女の人が手招きするから外に出たんだ」

「外に出ちゃダメじゃないか?」

「だってその女の人、手に美味しそうなもの持っていたんだよ。我慢するの難しいよ」

 餌付けされたか。

 しかし、猫のように出窓で日向ぼっこする男に手招きとか普通するか?

 しかも手にお菓子を持っているとか、明らかに怪しすぎるだろう。

 こいつはまだ子供で、家猫だから世間知らずだ。

 そこを攻められたな。

「その女とは、それきりか?」

「ううん。あれから毎日会っているよ」

「毎日? いつ?」

「昼間、2人が学校行っている時だよ。いつも美味しいお弁当を持って来てくれるから、公園で一緒に食べているんだ」

「公園って、隣の」

「うん」

 屈託なく笑うマレ。

 聞いていてすべてが怪しすぎる。

 これは少し調べてみた方がいいな。

「マレにとってエルはどんな存在だ?」

 ふと気になって聞いてみる。

「好き、大好き。エルは特別なんだ。一人ぼっちの僕に愛情をいっぱい注いでくれたのはエルだけだから、ずっと一緒にいたいんだ。だってエルの喜ぶ顔を見ると安心するんだ。でも僕が人間になる前のエルはいつも泣いていたから、もうエルの泣き顔は見たくない。だってその度に心が引き裂かれるように辛かったんだ」

 そう告げるマレの目には、いっぱいの涙が溜まっていた。

「僕はずっと強くなりたかった、ずっとエルを守りたかった。それが今は頑張ればできるようになったから、すごく嬉しい。悔しいけどルーフスのおかげだね、そこは感謝している」

 いい話のようだが、そこだけってなぜだか腑に落ちない。

「でも、エルが笑顔になったのはルーフスのおかげだね」

 ?

「ルーフスと一緒に過ごすようになって、エルはどんどんどんどん笑う事が多くなった気がする。そこも感謝しているよ」

「それならいいが」

 もしそうなら、私はちゃんとに役目を果たしているって事なのだろうか。

「ルーフスはエルとどういう関係なの?」

「彼氏だ」

「ふぅん、彼氏ってなに?」

 猫の時にでも話していたのか?

 元は猫だからかどんなに見た目が大人だとしても、三歳児並の知力なのだろう。

「恋人って事だ」

「ふぅん」

 何かを考え込むように黙り込む。

 その時玄関の開く音がして、いつものようにエルの声が聞こえた。

 耳がピコピコと立つマレ。

「恋人が何かはよく分からないけれど、ルーフスも僕と同じエルを大好きって事だよね。絶対にエルを泣かせたりはしないでよ、エルは意外とルーフスに心を許しているみたいだから」

 生意気にそう言うと、エルの元へと駆け出す。

 あの猫、言うじゃないか。

 最後の言葉は、立派に男の顔付きでトーンまで変えてきた。

 面白い。

 そういうのは、嫌いじゃない。

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