第9話 イヴ
冬の空は澄んでいる。
特に朝と夜の空気は格別だ。
いつも澱んでいる魔界とは大違いだが、澄み渡った空気も悪くはない。
保健室でコーヒーを飲みながら眺める景色もまた良いものだ。
最近の私は、よくここにいるようになった。
エルが授業中や、私に授業がない時以外はほぼここに来ていると言っても過言ではないかもしれない。
別にサキュバスと慣れ親しむつもりはないが、他のやつらと慣れ親しむよりはまだましだと思ってここに居つくようになった。
なにより気を遣わなくいいのが一番の理由だが。
「こう寒いと、雪でも降りそうだな」
「あら、ロマンチストなのね。ホワイトクリスマス?」
「クリスマス?」
「そうよ。だって今日はイヴじゃない。恋人達にとってはデートの日でしょう」
「デート?」
「可愛い彼女がいるのだから、当然考えていたのでしょう?」
「知らなかった」
窓からの景色を眺めながら、私は頭を抱えた。
そうだ。
ついつい忘れがちだが、契約は彼氏になる事だったのだ。
こいつに聞いて彼氏は恋人の事だと知ったから、常に側にいる為にこの学校に教師としてもぐりこんだのだが・・・それ以上は考えていなかった。
いやそれどころか、いつも側にいる事でやっている気持ちが満足していたのかもしれない。
そうだ、恋人だったらデートをする。
こんなの常識じゃないか、なぜ今まで思いもしなかったのか・・・不覚だ。
「イヤだ、ちょっと。それ本気?」
私の挙動に、明らかにサキュバスが引いている。
「そんなの童貞でも常識よ。誘惑が本業の悪魔が聞いて呆れるわ」
「もうそれ以上は言うな。さすがに落ち込む」
「・・・ねえ、聞いてもいい?」
本気で凹んで見える私に、不思議そうにサキュバスが聞く。
「あなたは一体、何がしたいの?」
「何がとは?」
質問の意図が分からなかった。
「あなたを見ていると、分からない事だらけなのよ。悪魔にとって人間っておもちゃじゃない。だから気まぐれと退屈しのぎで僕として付き合う。そして人間がいいように魂が腐りかけてきたら喰う。それが私達のやり方でしょう? それなのにあなたはいつまでたってもただの仲良しこよし。その理由が分からないのよ」
不思議顔はしているが、相変わらず目の奥がギラついている。
何を考えているのか・・・。
しかしそうは言っても、サキュバスの意見はもっともだ。
「それでもさっきの会話でも分るとおり、彼氏としてまっとうしている訳でもないでしょう。ねえ、どうしたいの?」
たしかに今までエルとデートすらした事がないのだ。
彼氏としてまっとうしているとは思えん。
うーん、私はエルに対してどう思っているのか・・・。
正直言って、前にも言ったとおり女としては見てはいない。
やはり、女としての魅力は感じないからな。
それでもエルは顔だけ見れば、憂いを帯びてはいるが整っていてかなりの美少女だ。
体つきは細身だが、きれいな曲線を描いてはいる。
そして胸元まで伸びたライトブラウンの髪が華やかな印象を持たせていた。
ただ憂いを帯びた顔は陰気臭さを醸し出して、すべてをぶち壊してはいるけどな。
そして性格は多少気が短く、かなり面倒くさい女だ。
その割に人に対して遠慮がちで殻に閉じこもる傾向にある。
ふむ。
あまり長所が見当たらないな。
それなのに正直、今のエルとの環境は嫌いじゃない。
時折見せる人懐っこい笑顔が、なぜだか懐かしささえ感じさせるのだ。
そしてあの声・・・最初の出会いから聴き心地のいいあの声。
もっと聴いていたい気持ちとは裏腹に、胸をなぜか締め付けてくる。
その理由が知りたくて僕になる事を選んだのだ。
「うーん。正直に言うと、私にも分らん」
いくら考えても分らないので、正直に言う。
「悪魔でも分らない事があるのね」
「からかうな」
「その子は、大事な存在?」
探るように、サキュバスが聞いてきた。
これか。
声のトーンで分った。
こいつは、これが聞きたかったのだと。
きっと答え次第で、何かをしようとしているのだろう。
さて、どうしたものか。
私の答えよりも、こいつの行動を制御させないと。
「それを聞いてどうする?」
「どうもしないわ。ただ興味で聞いてみただけよ」
私の問いかけに、サキュバスは一歩引いた。
あいつは頭のいいヤツだ。
察したのだろう。
「とりあえず、その興味が私の獲物ではない事を祈っているよ」
「相変わらず、つまらない冗談を言う人ね」
サキュバスは遠くを見るように、意味ありげに呟いた。
終業式を終えると、すぐに帰宅をする。
さっきサキュバスから得た情報から、エルをデートに誘う為だ。
人間界では、クリスマス当日よりもイヴの方が盛り上がるらしい。
特に日本という国では。
デートのコースは、美味しい食事に夜景。
プレゼントにアクセサリー(指輪なら特に喜ばれる)、そして〆はホテルのスイートで一夜を過ごす、らしい。
しかし、高校生の子供にこのデートは有効なのか?
サキュバスによると、その頃の年代の子は大人に憧れて背伸びをしたがるから喜ぶはずとの見解だった。
まあ悪魔にしてみれば、すべては簡単に叶えられるが・・・私からしたら、ホテルで一夜を過ごす意味が理解できない。
ましてエルと過ごすなんて想像がつかない。
うーん、どうしたものか。
気付くと、せせこましくウロウロと部屋の中を歩いていた。
どうしてこんなに悩むのか?
たかがデートで。
私とて経験がないわけではない。
それなのに、この状態はどうしたものだろう。
エルを喜ばせる為に悩んでいるのか?
それとも、彼氏としての契約をまっとうするが為に悩んでいるのか?
あの辛気臭い少女の笑顔を見てみたいという気持ちも、心のどこかであるのだ。
そしてそれと同時に、契約の為に側にいるのだと納得させたい自分もいる。
どちらがより強い気持ちなのかなんてどうでもいい。
ただ、お腹が痛いエルを治した時に見せられたあの涙の理由を知りたい。
あの時、微笑みながら流した一筋の涙が、私の心を締め付けて今も心から離れない。
なぜ泣いたのか?
そして微笑んだのか・・・。
たぶん、私は知りたいのだ。
エルを、もっと。
この想いはなんなのだろう?
知りたい。
エルに対するこの想いの意味を・・・。
とりあえず、エルのプレゼントを探しに行ってくるか。
考えても分らないので、動く事にした。
心なしか、浮き足立っていたのは内緒だけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます