第6話 マレ

「ただいまー」

 誰もいないと分かっていても、つい口から出てしまう。

 パパはもちろん仕事だし、ママは3ヵ月前のあの出来事以来入院している。

 あの日から兄弟のいない私は、いつもひとりぼっち。

 もう慣れているから兄弟がいなくても寂しいと思った事はないけれど、それでもママが家にいないのはやっぱり寂しい。

「にゃーん」

「ただいま、マレ」

飼い猫のマレが玄関まで出迎えてくれた。

 そうだった。

「私の兄弟はマレだったね」

 応えるように、私の後について部屋に入ってくるマレ。

 マレは一人っ子だった私の兄弟として、去年の夏に父が買ってきてくれたロシアンブルーの男の子だ。

 緑の瞳が印象的な美しい猫で、私はシルクのような青い毛からラテン語の海という意味の「マレ」という名前を授けた。

 それからはずっと、一番の親友である。


「おかえり」

 部屋に入った私を出迎えてくれたのは、昼間学校で会ったルーフスだった。

「なんで部屋に」

「彼氏だからな」

 いやいやいや、普通に不法侵入でしょ。

「悪魔相手に、何言っている」

 また心の声に返事するし。

「ってか、ずっと一緒にいるつもり?」

「そのつもりだが」

 キョトンとした顔で答える。

 そのキレイな顔でその表情ってトキメクじゃない。

 この悪魔、私の好みにツボ過ぎるのよね、悔しい事に。

 でも、騙されやしないから。

「それって彼氏って言うよりも、ストーカーじゃない」

 言ってやった。

 どうだ!

 正論にグゥの音も出ないだろう。

 ・・・ん?

 得意げになっては見たものの、ルーフスはとっくに私の部屋で背を向けてソファで寛いでいる。

 何なのよ、もう知らない。

 彼女である私の話聞かないとか、ありえない。

「聞いているぞ」

 だから心の声に返事をするなって。

「エルは心の声の方が大きいからな、そこは許せ。それと、ストーカーってなんだ」

「ストーカーって言うのは、四六時中好きな人に付きまとう人の事よ」

「なら私は違う。エルは好きな人ではないからな」

 ルーフスは真っ直ぐに私の目を見て答えた。

 その目が心を刺してくる。

 知っているよ。

 ルーフスが私の彼氏で側にいてくれようとしていても、所詮は契約。

 そこに愛なんて存在していないって。

 それでも好きではないって面と向かって言われるのって・・・やっぱり辛い。

「エル」

 気付くと、ルーフスはすぐ横に立っていた。

「何が原因なのかは分からないが、きっと私なのだろう。ごめん」

「え」

「何か辛い思いをさせたようだな」

 あ、そういう事か。

また心の声を聞かれたのね。

「ううん、あなたのせいじゃない」

 私が勝手に傷付いただけだから。

「それでも恋人を悲しませるのは男として失格だと思う。何か私でも楽しませる事は出来るだろうか」

 相変わらずの無表情だけど、契約を遂行しようとはしてくれているみたいだ。

 その姿が、なんだかアンバラスで少しおかしい。

「にゃーーーーん」

 急にマレが大きな声で鳴いた。

 見ると足元で何かを言いたげに私を見詰めている。

「どうしたの」

 私はマレを抱き上げた。

「怒っているようだぞ」

「マレの心も読めるの」

「ああ。生きているものの心はすべて聞こえる」

「いいなぁ。私もマレの声が聞こえたらいいのに。せめてマレが人間だったら、もっと毎日が楽しいだろうな」

 マレが人間だったら。

 いつもマレに話しかける度にそう夢見ていた。

 それだったら、どんなに楽しいだろうか。

 どんなにも、心が癒されるだろうか。

 所詮は夢物語だけど。

「できるぞ」

「え」

「猫を人間になんて造作もない事だ、悪魔だからな。叶えられない事なぞない」

「本当に? マレ人間になれるって、人間になりたい?」

 マレに聞くと、私の顔を嬉しそうに舐めて「にゃーん」って返事をした。

「マレもなりたいって」

「そのようだな」

 そう言うと、悪魔はマレの頭の上に手をかざして呪文を唱えた。

 その瞬間マレの体を白い煙が包み、抱いていた腕から重みが消えドスンと言う大きな音が聞こえる。

「いってぇ」

 声の方向を見ると、艶やかな青い髪をしている少年が座っていた。

「マレ?」

 私の声に瞬時に反応して、飛びついてくる。

「エル」

 そしていつものように顔を舐めてくる。

 ちょっ、ちょっと。

 あんた人間。

 舐めちゃダメでしょ。

「おい、やめろ」

 私の心の声に反応したのか、ルーフスはその少年の首根っこを捕まえて私から引き剥がした。

「なにすんだよ」

 不服そうに突っかかるマレ。

「お前は今人間なのだ、人間としておかしくない行動をしろ」

「イヤだね。だって僕猫だもん」

 プイっと横を向く。

「なら、もう一度猫に戻してやろうか」

 そのドスのきいたルーフスの言葉にプルプルッと身を震わせ、慌てて私の影に隠れるマレ。

「イヤだ。・・・分かった、もう舐めないよ」

 少年を見る。

 深い緑の瞳が、マレだと物語っていた。

 マレだ。

 本当にマレが人間になったのだ。

 凄い。

 この広い家にずっと1人だった。

 三ヶ月前までは、パパもママも普通に一緒にいたのに。

 あの日以来、私はひとりぼっちになったのだ。

 ママは病院。

 元々忙しかったのにも関わらず更に仕事にのめり込むようになって、気付いたらパパは帰ってこなくなっていた。

 それでもお金は毎月振り込んでくれているので、私はそのお金で1人生活。

 たった一瞬で幸せは崩れる。

 私はそれをこの年で経験させられた。

 現実は容赦ない。

 それでも願ってしまうの。

 ママが入院していなかったら?

 パパが帰ってきてくれていたら?って。

 パパとママが強い人間であったならば、今も幸せは続いていたかもしれない。

 それでも、パパとママを追い詰めたのは私。

 自分が望んだ事ではないけれど、2人を悲しませたのは事実だからきっとこれは私への罰だと思っている。

 でも今は、ルーフスのおかげで1人ではなくなった。

 マレが人間になったから。

 家族がいる。

 それだけで本当に嬉しい。

「マレ」

 かみしめるように名前を呼ぶ。

「エル」

 飛びついてはきたが、今度は舐めなかった。

 でも抱きつきながら、嬉しそうに耳をピコピコとさせている。

 ん?

 これ、猫耳じゃない?

「悪い、間違えた」

 シレッとルーフスが答える。

 怪しい。

 きっと、わざとだ。

 私はなぜかそう感じた。

 私とルーフスからただならぬ気配を感じたのか、マレは不思議そうに手を耳に当てて愕然としている。

 その姿が妙に可愛い。

「大丈夫。帽子で隠せば、分からないから」

 私の言葉に顔をパーッと明るくする。

 良く見るとマレは美しい猫だったせいかなかなかの美少年だ。

 深い緑の瞳とサラサラの深みのある青い髪、そしてしなやかな体つき。

 目は大きくクッキリとしたアイラインが印象的な彫りの深い顔。

 その顔がクルクルと表情を変えて、抱きついてくるのがとても愛らしい。

「エル」

 ルーフスが声を掛けてくる。

「なあに」

「そいつ、人間の年で言うと20歳は越えている成人男性だから」

 マレが美少年になって夢見心地な私を、ルーフスはたった一言で地獄に叩きつけてくれた。

 さすが悪魔、容赦ないわ。

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