第3話 エル

 今宵はなぜか胸騒ぎがする。

 きっと地上ではスーパームーンという事で賑わっているせいだろうか。

 こんな魔界には月の光さえ届かぬというのに・・・。

 永遠に変わらぬ時をここは刻み続ける。

 退屈さしか残らないこの魔界で、時には地上にちょっかいをかけ退屈を紛らわせている者もいるらしいが、そんなのほんのつかの間の出来事。

 それならすべてを諦め、ただ孤独に耐えているのも悪くはない。

 永遠の時を、ひたすらに受け入れ目を閉じる。

 もうそれしか、私には残されていないのだろう。

 それなのに・・・。

今日に限って微かに声が聴こえてくるのはなんだ?

こんな事は初めてだと思う。

その声にそっと耳を研ぎ澄ませてみた。

とても懐かしい響きのような、聴き心地がいい声。

 ・・・面白い。

 ここに座り続けて数万年。

 そろそろ飽きてきたのもある。

 ならこの声を探ってみるのもいいだろう。

 いい退屈しのぎにはなりそうだ。


 これは何だ。

 声の主を辿ってみれば、あまりにもお粗末な図形の中で少女がいるだけじゃないか。

 こんなもので私を呼び出そうとしているのか?

 これでは低級な悪魔さえも呼び出しには応えん。

 とはいえ、あの声の主はたしかにこの少女だ。

 この声、側で聴いていても懐かしい響きがする。

 近くで聴きさえすれば、それが何なのか分かると思ってきたのに、まったく思いだせん。

 仕方ない・・・。

「呼んだか」

 変なヤツだな。

 呼び出したくせに驚いている。

 しかし、この顔はまったく懐かしさを感じない。

「願い事はなんだ」

「私の彼氏になって」

 彼氏?

 今の時代はご主人様を彼氏と呼ぶようになったのか。

「いいだろう」

 ここまで来たのだ。

 この私を呼び出せた、その懐かしい声の正体を探ってやる。

 飽きたら、その時点でその魂を喰らってやればいいだけの話だ。

 この少女の魂ならば、なかなかの美味だろうしな。

「では、名前を」

「エル。あなたは」

「私は・・・名前はない。お前が付けてくれ」

 なぜだろう。

 エルと言われて、自分の名前を名乗ることが躊躇われた。

 きっと遠い昔に失われた言葉だからだろうか。

 名前のない悪魔なんかいるわけがないというのに。

「じゃあ・・・ルーフスは? 目が赤いからラテン語で赤という意味なの」

 なぜラテン語?

 名前からして色々気にかからせる。

 しかし無邪気に笑う声が、なぜかまた懐かしさを誘った。

「それでいい」

「じゃあ決まりね、ルーフス」

「今日からエルが私のマスターになるのか。とりあえず、よろしく」

自然と悪魔らしからぬ、仰々しく跪いて挨拶をする。

なぜただの人間に、こんな挨拶を。

今日の私はすべてがいつもと違う。

心がざわめく。

「私は魔界に帰る。なにかあったら呼ぶがいい」

 一刻も早くここから立ち去りたい。

 黒いマントを翻し、姿を消す。

 遠くで少女の声が聴こえてきたようだが、もう確かめる気はなかった。

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