人は生物。アンドロイドは機械。
しかし、そう簡単に区別できるものでしょうか。本作はそれを問いかけています。
何故、アンドロイドは人の姿でなければならないのか。何故、人は自分の似姿を作りたがるのか。
本作では、登場人物たちの愛情や友情、あるいはそれを超えた感情が随所に現れ出ています。
違法なアンドロイドを取り締まる「デッカード部隊」の友情。
ノアとレイチェルの恋。
マシューの結婚を巡るアンドロイドへの態度。
虐待や強姦を受けるアンドロイドへの同情。
……etc。
登場人物は皆、何かしら悩みを抱えており、それは社会を生きる上で当たり前のものです。
悩みとは反対に、同僚や仲間への友情、上司への恩義、恋人への愛情など、心を豊かにする感情も表れます。
アンドロイドはというと、基本的には機械として扱われ、その感情は描かれません。
物語の都市では、違法なアンドロイドは、即捕縛・廃棄の流れです。
それでいて、アンドロイドへ愛情を持つ人も中には存在します。
また、「デッカード部隊」の中にはアンドロイドが人間から受けた仕打ちに同情する場面もあります。
「アンドロイドに感情はあるか」という問いに関しては、それは主観でしか語られません。客観的にそれを証明する手段がなく、その兆候が時々現れ出るだけです。
アンドロイド違法改造者たちの大部分は、「アンドロイドを本当の人間として扱いたかったから」という理由で改造しているようです。
結局のところ、アンドロイドの性能が人間のそれに追いついていない現状、アンドロイドをどう見るかはその人次第(主観)となるでしょう。
どのように見て、どのように接し、どのように関わり、どのような感情を向けるか。
それは、人が人に対して常に行っていることと同じような気がします。
AIが興隆する昨今、このような問題に直面する機会は現れるかもしれません。
人の形をした、極めて人に近い機械の存在――アンドロイド。
あなたは、そんな存在をどのように受け止めますか?
アンドロイドを描いた作品は過去をみれば沢山あるでしょう。
この作品の主軸は人間とアンドロイドが共存する「ネオネースト」と言われる都市の話です。それも違法アンドロイドを取り締まる者達の視点から物語りは紡ぎ出されます。複数の人間関係を描き、その世界観を丁寧に表現しています。色々な事情がありますし、沢山の想いが渦巻く「ネオネースト」
現在、人と機械は共存しています。それは近い未来にAIとの共存になるでしょう。更に人型のアンドロイドと共存する世界が来ます。それが「ネオネースト」なのです。
もしかしたら、私達が生きている間に「この世界」がやってくるかも……。