10:カジノ・クレマチス
翌日、アレックスとマシューは、高級な黒いスーツを身に着けていた。
「いいか、アレックス。単独行動はするんじゃないぞ」
「わかってるって。マシューこそ、私から離れないでよ?」
クレマチスの入り口に着いたマシューは、扉の前に立つサングラスの男にバッヂを見せる。男は無言で扉を開ける。その途端、むせ返るような甘い匂いが二人の鼻を刺す。
「これは、キツイな」
「じき慣れるわよ」
そう小声で話しながら、二人はカジノに到着する。そこには二十人程度の男女が集っており、ゲームに興じる者、酒を楽しむ者と様々だ。
ディーラーは全員、女。しかも、ほとんど下着姿のような、扇情的な恰好をしている。
マシューは早速、公費をチップに変え、ルーレットのテーブルに着く。マシューは正直、カードには自信が無かった。とはいえルーレットも初心者なので、賭けるのは数字ではなく色のみだ。
マシューが賭けている間、アレックスはディーラーの女を見つめる。集まっている人数が多いため、エンパシー能力を使うのは難しいが、数分間彼女の様子を見ていたアレックスは、確信する。
彼女はアンドロイドだ。
「どうだ、アレックス」
「当たりね」
ちなみにマシューは三回連続で負けている。
「ちょっと、休憩しましょ?」
二人はバーカウンターで酒を飲むことにする。
「ディーラーは全員そうかもしれない」
「それだけでもアウトだな」
「でも、まだ奥の部屋がある」
奥の部屋へと続く扉の前には、サングラスの男が立っている。おそらくあちらが、娼館への入り口だろう。
「今日の所は、引き上げないか? ディーラーだけでも罪には問える」
「そうかもしれないわね。けど、ドリス・シモンズの顔だけでも拝んでおきたいわ。もう少し待ちましょう」
すると、入り口の扉が開き、新たな客が入ってくる。彼は知り合いを見つけたのか、軽く挨拶を交わすと、そのまま奥の扉へと入って行く。
「マシュー、あの男……どこかで見た事ない?」
アレックスは思い出せない。
「確か、あれだ。ジョンソン・ファミリーの幹部だ」
マシューがそう言うと、アレックスはポンと手を叩く。
「そうよ。何故彼がここに?」
いつも通り、顔パスで扉を抜けたデニスは、鼻歌を歌いながらドリスの部屋へ向かう。しかし、そこに待ち受けていたのは、意外な人物だった。
「こんばんは、兄さん」
「レイチェル!」
彼女はドリスと対面に座り、呑気にタバコを吸っている。既にドリスとは長いこと話した後のようだった。
「ドンに言われてね。しばらく兄さんの動向を探らせてもらっていたの。でも安心して。お人形遊びのことは、まだドンに告げていないから」
ドリスを見ると、彼女も彼女で、縮れた髪をいじくり回している。
「お前ら……!」
「随分うちの資金をつぎ込んだらしいわね。呆れたわ」
「この嬢ちゃんには洗いざらい話したのよ。ドンはどうやら、あなたよりこの子の方を信頼しているみたいね」
デニスは唇を噛み締める。懐には銃があるが、この状況では使い道が無い。しばし対峙していると、モニターを見たドリスが声を上げる。
「何、この男は!」
そこには、美しい銀髪の男の姿が映し出されていた。
遡ること数分前。カジノでは、いざこざが起きていた。ポーカーをしていた若い男が、隣の男にいちゃもんをつけている。
「お前、さっきのはイカサマだろ!」
「何を言っている。それは言いがかりだ!」
騒がしくなる場内。サングラスの男たちが、ポーカーの席に詰めかけてくる。それは、奥の扉の前に立っていた男も同様だった。
「チャンスね」
アレックスはそう言うと、ひらりとバーの椅子を降り、奥の扉へと駆けていく。
「待て、アレックス!」
追いかけようとしたマシューだったが、彼の脚の速さについていけない。そして、何事かと集まってくる客たちに進路を阻まれてしまう。
アレックスが扉を抜けると、狭い廊下があり、左右には扉が続いている。一番奥まで進んでみよう、と考えるアレックス。
「マシュー?」
後ろを振り返ると、彼は着いてきていない。しかし、彼を待っていては、この機を逃してしまうだろう。アレックスは一人で向かうことにする。
アレックスは念のため、拳銃を隠し持ってきている。これを使うような事態にならなければいいのだが。
いくつかの扉の向こうからは、女の嬌声が聞こえてくる。ここが娼館であることは間違いない。部屋の位置取りを把握したアレックスは、物音が聞こえてこない一部屋に身体を滑らせる。するとそこには、一体のアンドロイドが、真っ赤な下着姿で横たわっていた。
「あなたは誰?」
「ただの通りすがりよ。あなた、アンドロイドね?」
「そう。私はロネット」
ロネットに気を取られていたアレックスは、後ろから近付いてきた人影に気付かない。突然首筋に、鈍い痛みが走る。アレックスはそのまま、ロネットがいるベッドに倒れ込む。
「まさか、あなたがやってくるとはね」
スタンガンを持って立っていたのは、レイチェルだった。
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