14:一つの終わり
かつて、アリスと呼ばれていたアンドロイド、レティは走る。疲れることを知らないその足で。
キースは「逃げろ」と言った。その言葉の意味を、レティは正しく「理解」した。
レティを追う男たちの影は、二つから三つ、四つと増えていく。しかしレティにはそのようなことなど関係ない。何人に追われようが、最終的に「逃げ切れ」ば、問題ないからである。
細い路地裏を抜けて、人気のない工場地帯までレティはやって来る。そして、十階建てのビルの階段を、カンカンと音を立てて上って行く。
サムは荒い息を吐きながら、それでもレティに食いついていた。周囲に拳銃を持った男たちが居るのはわかっている。完全に先手を取られていたのだな、とサムは苦々しく思う。
レティを追いながらも、ノアのことを考える。奴はレイチェルとどう向き合ったのだろう。彼の事だ、きちんと向き合って帰ってくるだろう。
そして、レティがビルを上って行くのを見て、サムは疑問に思う。建物に入ってしまえば、もう逃げ道はないではないか。しかし、考えているよりも身体を動かさなければならない。痛みに悲鳴を上げる太ももを無視しながら、サムも階段を駆け上る。
「レティ!」
サムはあえて、そちらの名前で呼んだ。ここにきてもまだ、アリスだという確信がサムにはなかったからだ。
最上階の一室。レティは大きな窓を背に、佇んでいる。まるで機能を停止したかのようだが、そうではない。サムの後から部屋になだれ込んできた、ケヴィン、ヨハンの部下たちも、その様子に圧倒され、レティに近づけないでいる。
「レティ、あなたは、アリスなのですか?」
「はい。それは、私の以前の名前です」
ヨハンの部下のうち一人が、拳銃を構える。それをケヴィンが手で制する。
「警察を殺る許可は出てねえよ」
サムは内心安堵する。彼は武器を持ってきていなかったからだ。しかし、高機能のアンドロイドが、なぜこんな袋小路に追い詰められるような判断を下したのか、どうも気にかかる。
「僕は警察の人間です。違法改造されたアンドロイドを、回収する義務があります」
サムは形式ばった言葉を放ちながら、この状況をどう打破すべきか考える。数では圧倒的にサムの方が不利だ。何らかのタイミングで男たちがまとめて飛び掛かれば、いくらアンドロイドでもひとたまりもないだろう。それに、ケヴィンという男は機能を停止させるリングを持っている。
アンドロイドにこんなことを言っても無駄かもしれない、そう思いながらも、サムはレティを「説得」することにする。
「回収後は、僕たちの管理下に置かれますが、自主的に来て頂けるのなら、それ相応の扱いはします」
レティは何も答えない。今度はケヴィンがレティに話しかける。
「こっちの目的は、レオナルド爺さんのアレだ」
「レオナルド」
その名前に反応したのか、レティはケヴィンに目を向ける。
「預かり物があるはずだ。返してくれ」
レティは右耳につけていたピアスを外し、ケヴィンに放り投げる。それはごく小さな丸い石だったが、ケヴィンは何とかそれを掴みとる。ケヴィンは左後ろに構えている男にそれを渡す。
「本物かどうか、お嬢に見てもらってくれ」
どうやらピアスは、記憶媒体だったようだ。男はピアスをスキャンしはじめる。その間にサムは、そっとレティとの間を詰める。
「どうか、僕と一緒に来てください。例えキースの命令に反するとしても、合理的に考えれば、それがあなたにとって最もいい選択の筈です」
サムの額には汗が滲んでいる。アンドロイドに対して、どんな言葉を選んでいいのか、もはや分からなくなっていた。
そして、サムの背後ではケヴィンが大きな声を上げる。
「よし、撤収だ!」
あのピアスはジョンソン・ファミリーのお目当ての品だったらしい。だが、彼らが立ち去ったとしても、状況はそれほど変わることが無い。ただ、アンドロイドと「二人きり」になっただけだ。
サムはレティを見つめる。レティもサムを見つめ返す。そして、どこか寂しそうな「表情」をする。
「レティ、どうか、僕たちのところに」
「いいえ。私は、私の思うままに」
レティは凄まじい速さで踵を返し、窓の外へと飛び込んでいった。
時刻はもう明け方になっていた。サムは壊れたアンドロイドを前に、立ち尽くしていた。ケヴィンたちは霧散してしまい、もう居ない。
「なぜ、あなたは」
サムは折れた指をさすり、涙ぐむ。この仕事をしていて、ここまで感情が揺さぶられたことなど、あっただろうか。
パトカーが近づいてくる音が聞こえる。きっとノアがボスに伝えたのだろう、とサムは思う。予想通り、パトカーからボスが出てくる。
「サム。詳しい説明は後でいい。この機体が、アリスなんだな?」
サムはこくりと頷く。数十分もする内に、辺りはすっかり騒がしくなってくる。
「シケた面してんじゃねえよ。男前が台無しだぞ」
「ノア……」
ノアは缶コーヒーをサムに差し出し、彼の隣に座る。
「メモリーが全消去されてるんだってな」
「ええ、そのようです。復元が可能かどうかは、持ち帰ってみないとわからないそうです」
サムは缶コーヒーを開け、軽く口をつける。
「その……彼女とは、どうなったんですか?」
「ああ、あの後な。少し話したけど、それだけさ。あいつは帰って行ったよ。あいつの今の家族の元に」
サムは別に、二人の会話をそれ以上詮索する気は無かった。ただ、一つお節介を焼きたかった。
「言わなかったんですか?愛していた、と」
「バカ。日本人はな、そういうこと言わねえんだよ」
「文化の違いですか」
「そうそう。まあ、俺ってほとんどネオネースト育ちではあるけどさ」
ノアは立ち上がり、大きく伸びをする。
「それで、ソフィアについての疑いは?」
「ボスにはもう話してあります。必要な調査を行う、とのことです」
「そうか。違うといいんだがな」
二人はしばらく、作業をしている職員たちの様子をぼおっと眺める。
「あのアンドロイドは、最期にこう言いました」
ノアはサムの口元を見つめる。
「私は、私の思うままに、と」
「それが、どうかしたか」
「あのアンドロイドには、心が、感情が、あったのでしょうか。アンドロイドが自壊するなんて、普通では有り得ません。それは、彼女に心があったからなのではないでしょうか?」
「俺はそれを、否定したい。俺個人として、というより、エンパスとして、な。感情は、俺たち生き物だけのものだ。俺はずっと、そう信じて生きてきたし、仕事をしてきたんだ」
ノアはタバコを取り出す。それにつられ、サムもそうする。
二人の男がくゆらす煙が、悲しき残骸に降り注ぎ、そして溶けていった。
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