10:想起
レイチェルは自室のベッドに倒れ込んでいた。考えているのは、昔ソレル研究所で一緒だった、一人の男性のことだ。ケヴィンが帰ってくる物音がして、その回想はかき消される。
「お嬢、ただいま! 寝てるの?」
「起きてるわ」
レイチェルは身を起こすと、リビングに向かう。ケヴィンは買い物袋を抱え、ふうふうと息を吐いている。
「ありがと。タバコも買ってきてくれた?」
「もちろん」
忠実な部下は、ポケットからタバコを取り出す。早速それに火を点けたレイチェルは、黙ったまま天井を見上げる。
「お嬢、具合でも悪いの?」
「大丈夫よ。ただ、仕事の事を考えると、うんざりしてね」
「うん、オレもうんざり。お嬢とゆっくり映画でも観に行きたい」
「お断りよ」
相変わらず調子のいいことだ、とレイチェルはケヴィンを憎からず思う。
「けどさ、本当にこれからどうしよう? 手がかり全然掴めないんだもん。警察だってそうでしょ?」
「そうね。彼らに頑張ってもらおうかと思ってたけど、無駄かもしれないわ。うちとの関連には気づかれたし、動き辛くなった」
レイチェルが恐れているのは、警察がファミリーに直接関与してこようとすることだ。その処理はデニスが行い、事なきを得るだろうが、そうなるとレイチェルにまた言いがかりをつけてくるだろう。警察が来ること自体より、そちらの方が頭が痛かった。
「いっそこっちから警察さんに声かける?」
「バカね。そんなことしても進展は無いでしょ?それに、ソフィアの存在も気付かれる」
ソフィア・リッツ。彼女は十年間以上、警察でのスパイを務めている。孤児であり、先代のドン・レオナルドが面倒を見た娘である。比較的新参者のレイチェルより、ファミリー内での信頼は厚いかもしれない。
「ひとまず言えることは、これ以上技師を追っても無駄ってこと。ルイスは誰にもアリスの存在をばらさなかった。娘のダイナ以外にはね」
「ってことは、やっぱりダイナの交友関係を洗うしかないってことかあ」
「そうね、彼女の地位を考えると、交友関係は広いわ。できるだけ絞って調査しないとね」
「まっ、そういうの、ご飯食べてから考えようぜ」
そう言いながら、ケヴィンはいそいそと夕食の支度を始める。
レイチェルはソファに寝転がり、目を閉じる。自分なら、アリスをどう隠すか考え始める。警察の情報では、瞳の色と識別番号の処理を施したのだから、人間として表立って生活していることも考え得る。
それから、レオナルドに思いを馳せる。レイチェルが彼と過ごした時間は長くはない。だが、マフィアのドンとは思えないほど子煩悩で、優しい老人だったことを思い出す。
そんな彼は、なぜわざわざアンドロイドを造らせたのだろう。その答えは、マクシミリアンですら知らない。アリスは何か、特別なアンドロイドであるということは、何となく分かってはいる。
しばらく考えにふけっていると、レイチェルは眠り込んでしまう。
「できたよ、お嬢! 今日のメニューはクリームシチュー!」
そんなケヴィンの明るい声に起こされ、レイチェルはむくりと起き上がる。
「へえ……美味しいじゃない」
「だろ?」
二人の食事は毎回ケヴィンが作っている。レイチェルも料理ができないわけではないのだが、折角なので、こうして部下に甘えさせてもらっている。
テレビでは、アンドロイドの不法所持の事が話題に上っている。その多くは、度を越えた愛玩用――セクサロイドとして、使われているとも。
アリスもそうであった、という話をレイチェルは聞いたことがない。それに、レオナルドの性格からすれば、まずあり得ないと思う。
それにしても、哀れなものだ、とレイチェルは思う。人に造られ、人に使われるアンドロイドは、どれだけ酷い扱いを受けていても、抗うことがない。感情が無いからだ。もし感情があれば、自殺してもおかしくない、とまで感じる。
「お嬢、さっきの話なんだけどさ」
「何?」
「アリスを追っている担当って、お嬢の知り合いなんだろ? 本当にこっちから接触できないの?」
レイチェルはシチューをすくっていた手を止める。
「無理ね。もう何年も会っていない仲だもの」
「昔は、仲良かったの? もしかして元彼?」
「そんなんじゃないわ」
レイチェルは胸の中で呟く。ただ、大切だっただけ、と。
一つ屋根の下、といっても、レイチェルとケヴィンの寝室は別だ。
元々レイチェル一人にこのマンションがあてがわれていたのだが、ケヴィンを下に付けることになり、そのまま住まわせたという経緯がある。
隣の部屋からは、ゴソゴソと物音がしていて、ケヴィンがまだ起きていることを示している。一体何をしているのやら。
レイチェルの部屋には、彼女がマクシミリアンの養女になる前の持ち物は一つとして残っていない。失踪すると決めて、全て前の部屋に残してきたのだ。
「達也、か」
彼のことを思いだそうとするには、文字通り記憶を辿るしかない。そもそも、二人で写真など撮ったこともなかったが。
もし自分がアンドロイドなら。全ての記憶を、色鮮やかに蘇らせることができるだろう。
しかし、レイチェルは人間だった。彼の思い出は所々朽ちてこぼれており、思い出せないことも多い。
きっと彼もそうなのだろう。いや、自分のことなどもう。
「お嬢、ちょっといい?」
ためらいがちなノックの音が響く。
「どうしたの、ケヴィン」
「少し話してもいいかな。さっきのこと、どうしても気になって」
レイチェルは扉を開け、折りたたみの椅子にケヴィンを座らせる。
「さっきのことって?」
「アンドロイドの捜査官のこと。お嬢にとって、特別な人だったんだよね?」
「否定はしないわ」
ケヴィンは子犬のような目でレイチェルにすがる。
「それって、今も?」
「まさか。もう十年前の話よ。この事案にぶつかるまで忘れてたくらいなんだから」
レイチェルは嘘をついた。彼女はこの十年間、何度も彼のことを思いだしていた。本当のことを言えないのは、ケヴィンの気持ちに気付きつつあるから。
「ごめん、変な話して」
「いいのよ」
レイチェルは、ケヴィンの金髪を軽く撫でる。
今も、か。今も自分は、彼を大切に思っているのだろうか。レイチェルは自問自答していた。
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