03:レイチェル
レイチェルはタバコの煙を吐き出すと、真っ直ぐにマクシミリアンの瞳を見つめた。彼の瞳は海のように青く深く、レイチェルはその瞳が大好きだった。ごつい鷲鼻も、口元に刻まれた皺も。
ここはマクシミリアンの書斎。扉の前には、侵入者を阻む構成員が二人立ち、物々しい雰囲気を醸し出している。しかし、レイチェルはこういった場に慣れている。
「アリスを改造したという男を、警察は確保したようです」
マクシミリアンはゆったりと頷き、レイチェルに次の言葉を促す。
「しばらく、彼らに仕事をしてもらおうかと思うのですが」
「いいだろう」
レイチェルは、顎の下まで伸ばした黒い前髪をかき上げる。タバコの火はまだ点っている。さて、他に何か言うことがあっただろうか、とレイチェルは思案する。
「ケヴィンはなかなか使えるようになってきました。案外、頭の良い子です」
「そうか。お前の下に付けて正解だな」
マクシミリアンは、鋭い顔つきを崩さないものの、内心は喜んでいるようであった。
ジョンソン・ファミリー。ネオネーストにおいて、このマフィアの名を知らない者は居ない。
古くは商社の用心棒や、密売を取り仕切っていた港湾労働者たちの集まりから発展した。カタギの者には手を出さないため、街の人間からは義賊扱いされることもある。
そのドンこそがマクシミリアン・ジョンソンであり、レイチェルは彼の養女だった。
報告を終えたレイチェルは、ネオネーストの中心街にある3LDKのアパートメントへ帰る。出迎えるのは、先ほど名前の出たケヴィンだ。
「お帰りお嬢! ご飯できてるよ!」
「その、お嬢って言うのやめなさい」
何度目かの注意だが、一向に直る気配はない。レイチェルは、マクシミリアンの前で彼を褒めたことを後悔する。
ケヴィンは少し長めの金髪を一つに束ねている。料理の邪魔になったのだろう。本日のメニューはハンバーグであった。香ばしい匂いがレイチェルの鼻をくすぐる。
「ドンは何て?」
「警察を泳がせることについて了承してくれたわ。これで仕事が楽になったわね」
レイチェルは箸を使ってハンバーグを食べる。そして、明日からの予定を考え出す。
「しばらくは彼らも手がかりを掴めないだろうから……明日はもう、休みましょう」
「えっ、マジで? 一日オフってこと?」
「そうよ。勝手に過ごしなさい」
そうは言ったものの、久しぶりの休日となると、過ごし方が分からないな、とレイチェルは思う。このところ、アリスの捜索で頭を使いっぱなしだった。
「じゃあオレとデートしよう!」
「はあ?」
レイチェルは箸を落としそうになる。彼とはこうして、毎日顔を突き合わせているので、休日にまで一緒に居たいと思われるなど、計算外だったのだ。
「デートったって、どこ行くのよ」
「決めてない! 一緒に決めよ!」
「まだ行くとは言ってない」
とはいえ、過ごし方の一つとして一応はアリだろう。そう思ったレイチェルは、仕方がないから、と前置きして、ケヴィンの誘いに乗ることにする。
「でも、昼間までは寝ていたいわ。そうね、どこかディナーにでも連れて行ってくれる?」
「うん! 店、調べとくよ」
ぱあっと輝くケヴィンの笑顔を見て、レイチェルはゴールデン・レトリーバーのようだと感じた。
翌日、フレンチを堪能したレイチェルとケヴィンは、イーストゲート・ストリートまで歩き、レイチェルの案内で一軒のバーに来た。古いカントリー音楽が流れる渋めの所だ。
「うわあ、バーってこんなんになってるんだ、すっげえ」
「何、来たことなかったの?」
こくりと頷くケヴィン。レイチェルは、とりあえずビールを二つ注文する。そしてレイチェルは、先ほどの店の感想を言う。よく見つけてくれた、と褒めてもおく。
「ここね、ドンと初めて会った場所なのよ」
ふと、レイチェルはそんな打ち明け話を始める。
「あたしは普通の会社員だった。どこにでもいる、ね。一人でここに飲みに来たとき、マックス……ドンと出会った。気のいいオジサンだと思ったわ」
「気のいいオジサン?」
「そうよ? 他の人にはあまり見せないけどね、そういう顔」
レイチェルはタバコに火を点ける。
「あたし、随分酔ってたのね。自分の素性も悩みも全部打ち明けたの。それで仲良くなって、何度かこの店で話したわ」
ケヴィンはどう答えていいか分かりかねるようで、ただ相槌を打つ。
「二人で別の場所へ食事に行ったとき、彼の正体を話されて。驚いたわ。でも、嫌いにはならなかった」
「それで、養女になったわけ?」
「まあ、そんなところね。だいぶ省いたけど」
レイチェルがこんな話をしたのはケヴィンが初めてだった。それだけ、レイチェルはケヴィンのことを気に入っていた。
アリスの捜索。それは、ファミリーの今後を左右するともいえる重要な任務だ。それが自分たちに任されたことを、レイチェルは誇りに思っている。
「そろそろ出ましょうか。明日からは仕事するわよ」
「はいよ」
レイチェルとケヴィンは店を出る。街の喧騒が、今夜はなぜかレイチェルの耳には聞こえてこなかった。
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