05:ちぐさ
ソレル研究所。ネオネーストの中心から車で30分ほど離れたところにある研究と教育の施設だ。
ノアとアレックスは、かつてここに所属していた。そう、エンパスの研究所なのである。
サムとノアの目的は、ある女性との面会だった。
「サム! お久しぶり! 元気だった?」
黒いロングヘアーを揺らして現れたのは、東洋系の女性。最近成人したばかりで、まだ少女と言ってもいいくらいの見た目だ。
「やあ、ちぐさ。元気にしてたよ」
サムがそう言うと、ちぐさは頬を赤らめる。
「おい、俺も随分久しぶりなんだけど?」
「お兄ちゃんはどうせ元気でしょ!」
いつものやりとりに、サムは顔を綻ばせる。ちぐさはノアのことをお兄ちゃん、と呼ぶが、二人の間に血の繋がりは無い。
ちぐさはここで、エンパスの子供たちの指導を行っている。一応は研究員、という立ち位置である。面会用のデイルームで、ちぐさが用意した紅茶を飲みながら、三人は近況報告をする。
こんな風に、三人で会うようになったのは、サムとノアが出会ってからひと月ほど経った頃だ。エンパスのことをもっと知りたい、とサムが言い、ノアは快く了承した。
「それでね、新しく入った子が居るんだけど、すっかり懐かれちゃって。どこに行くにも着いて来ようとするのよ」
ちぐさは主に児童の担当だ。エンパシー能力の自覚に乏しく、制御もほとんどできないため、児童の世話というのは厄介である。それを任されている辺り、ちぐさの能力の高さが伺える。
「お前も入ってきたときはそうだったぞ。由美子にべったりだった」
「ふふ、そうだっけ」
由美子、というのは、サムの聞き慣れない名だったが、ノアと同世代の女性なのだろうと推察する。
「それで、お兄ちゃん仕事はちゃんとしてる?サムを困らせてないでしょうね?」
「うるせえ、ちゃんとしてるよ」
「アレックスも大丈夫?」
「あいつも、何だかんだで上手くやってるよ。相方がしっかりしてるからな」
「そっか。アレックスにも会いたいなあ」
エンパスの子供たちが、全員このソレル研究所で育つわけではない。しかし、ここで能力の制御を学び、一般的な教育課程もクリアすれば、研究所の卒業生として社会的には高く評価される。
実際、ノアとアレックスが警察に採用されたのも、ここの卒業生だったからだ。
ゆったりとした時間を過ごした三人だったが、ちぐさは午後から仕事があるため、ランチの前に解散した。
サムとノアは、研究所近くのファミリー・レストランで、昼食を採ることにする。
「ちぐさだけどさ。あいつ、お前にベタ惚れだわ」
食後のコーヒーを飲みながら、ノアは言う。
「エンパシー使いました?」
「使わなくてもわかるっつうの。今日だって、お前の無駄に整った顔ばかり見てたぞあいつ」
サムは困り顔で返す。実際、ちぐさからの好意には少し困ってはいる。彼女のことは好きだが、それはノア同様、妹のように思っているのであり、女性として見るには彼女はまだ幼い。
「まあ、お前がちぐさのこと貰ってくれるんなら安心だけどな。エンパスに理解のある非エンパスは貴重だ」
「そうですか……」
エンパスは、ここネオネーストにおいては少しずつ理解が深まりつつあるが、それでも特異な存在だ。テレパスのように、考えていることまで判るわけではないが、そう誤解している人も多い。今では飄々と仕事をしているノアにしたって、少なからず差別をされてきたはずだ。
暗い雰囲気になるのを避けるため、サムは話題を変える。
「それより、ノアこそ身を固める気はないんですか?」
「結婚ってこと? ないない、まっぴらだ」
「せめて女性を一人に絞ればいいのにとは思いますが」
「説教すんなよオッサン」
ノアが複数の女性と付き合っており、しかもコロコロと入れ替わっているのをサムは知っていた。いつか刺されるんじゃなかろうか、と勝手な心配もしている。
「それに俺、金ないし」
「僕と同じくらいは貰っているでしょう?」
「何か、足りなくなるんだよな。何でかわからないけど」
ノアは高額な買い物をする方ではない。細々とした無駄遣いや交際費に流れているのだろう、とサムは思う。
「で、これからどうする?」
「他に用事も無いですし、帰りましょうか」
「あいよ」
ノアは車のキーリングを指にはめてくるくると動かす。今回はノアの車で来ていたのだった。
サムの家は、5LDKの一軒家である。そこに一人暮らしをしているのだが、ノアにはその事情を伝えてはいない。そのまま帰るのも何だから、とサムはノアを家へ招いた。
「いつ見ても片付いてるよな、お前んち。こんなに広いのに、よくやるよ」
「掃除は趣味みたいなものですからね」
リビングには、ナチュラルな木目調の家具がバランス良く配置されている。紺色のソファに腰を下ろしたノアは、早速タバコを吸い始める。サムはキッチンへと入って行く。
「紅茶もコーヒーも頂きましたし……何飲みたいですか?」
「何でもいいよ、サムと一緒のやつで」
サムはしばし思案した後、コーヒーを淹れはじめる。豆の香りとタバコの匂いが交じり合う。
「はい、お待たせしました」
「ありがとよ」
ノアはだらりと足を投げ出したまま、コーヒーに口をつける。
「さっきのファミレスの数倍旨い」
「でしょうね」
ノアのために、良い豆を調達しておいた甲斐があったとサムは微笑む。
「そうだ、昨日飲みに行ったって、本当に一人でか?」
「そうですよ?」
「てっきり女と約束してたのかと思ってさ」
ノアとは違い、サムには長い間、恋人と呼べる存在は居ない。サムは、何となく意地の悪い言い方をしてみる。
「誰とも約束してませんよ。してたら、その人に嫉妬してました?」
「するわけないだろ!」
ノアの大声がリビングに響いた。
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