02:サムとノア





 警察本部へ戻ったサムとノアは、IDカードを首に提げ、エレベーターで五階へと昇る。そのフロアには、第一捜査室から第五捜査室――そして、彼らの所属する特別捜査室が置かれている。

 「特別」といっても、彼らに与えられているのは、せいぜい十人入るか入らないかくらいの小さな部屋だ。ただ、室長一名、捜査官四名、庶務係一名といった構成なので、これでも十分な広さであった。


「サム、ノア、ご苦労だった。一次報告書が提出できたら帰っていい」


 ここの室長、リチャード・ローガンは、悪徳政治家のような意地の悪い顔立ちの男性である。サムとノアからはボス呼ばわりされているが、そういった呼び名が悲しいかな似合ってしまう風貌であることを自覚しているため、特に注意はしていない。

 そして、顔の通り仕事にも厳しい人間であるため、手柄を立てた部下に対し、とっととと飲みに繰り出すような時間を与えようとはしてくれない。


「それって、提出するまで帰るなってことだよな。定時まであと二十分しか無いのに、ボスの野郎……」


 ノアは自分のデスクで悪態をつく。


「まあまあ。こうなることは予測していたので、事前にある程度書き上げていますよ」

「さっすが俺の相棒!」


 相棒たるサムは、ノアの左隣の席だ。サムのパソコンには、今回の顛末が、既にほとんど表示されていた。そのパソコンの向こうには、更に二つの席があるが、人も荷物も無い。そちらの席の主たちは、まだ出張に出ているのだった。


「十分で完成させます。五分で確認を受けて、残った五分で帰り支度をしましょう」

「オーケイ。その間に出張費用の請求書作っとくよ」


 ノアはデスクから、黒縁の眼鏡を取り出す。彼は事務仕事をするときだけ、眼鏡を使用するタイプだった。日本人の生真面目そうなイメージと相まって、デスクに座っているときは一層仕事熱心に見える彼だったが、実のところは、酒を飲むことだけしか考えていないのだった。




 サムの目論み通り、定時で事務室を飛び出した彼らは、ネオネーストの中でも最大の繁華街、イーストゲート・ストリートへ向かっていた。雨はすっかり上がっていて、客引きたちが意気揚々とスーツ姿たちに声をかけている。サムとノアは、彼らの調子のいい文句に耳を傾けることなく、馴染みの居酒屋に入って行く。


「いやあ、傑作だったな、さっきのボスの顔!」


 ビールを一気に半分ほど飲み干し、ノアはカラカラと笑う。サムの報告書は完璧そのものであり、理不尽な理由でもつけない限り、訂正箇所がまるで無い代物であった。


「今日は全員揃って残業コースを想定していたんでしょうね」

「だな、ボス最後は寂しがってたし。一緒に飲みに行きたかったんだな、アレ」


 彼らはボスのことを嫌ってはいないが、酒を飲むのは遠慮願っていた。金払いはいいのでそこに不満はないが、如何せん帰宅が遅くなってしまうのである。


「たまには僕たちから誘ってあげた方がいいですかね?」

「別にいいんじゃね? 放っとけよ」


 仕事を終えても、サムは徹底して丁寧な口調だが、これは単なる彼の癖である。二人の間に上下関係は存在しない。ただ、年齢はノアの方が七歳下であり、彼の童顔も手伝って、傍から見ると若造が年長者に粗暴な言い方をしているようである。


「ていうかさ、気になるんだけど……」

「本物の娘さんのこと?」


 急に話題を変えたノアだが、彼が何のことを指したのか、サムは即座に判断する。


「もう死んでるのかな?」

「でしょうね。それとも行方不明か」

「まあ、身代わりのアンドロイドをあれだけ愛してたんだ。本物とはもう、会えないんだろう」




 サムとノアが酒を酌み交わしている間、取調室にブラウンは居た。予定では、一晩拘留して夜が明けてから、取調べを開始することになっていたのだが、ブラウンが今回の逮捕は違法であると声高に叫び続けていたためだ。


「アンドロイドを違法所持していたことは悪かったよ! それは認める! でもなあ、やり方が酷すぎやしないか? 証拠が挙がっていない内に、突入して取り押さえるっていうのは!」


 喚くブラウンの応対をさせられる羽目になったのは、ボスことローガン室長である。サムとノアを帰してしまってから、機動課から連絡が来たのだった。内心、自分も早く飲みに行きたいと考えながら、ボスは淡々と説明を始める。


「証拠は挙げていましたよ。ノア・スズキ捜査官。彼は人間とアンドロイドを、会話しただけで判別することができますから」

「ハァ? どういうことだよ!」

「アンドロイドに感情はありません。彼は、ジェーンさんとされていたアンドロイドと話し、彼女に感情が無いことを見抜いたのです」

「あのチビの東洋人が?まさか……エンパスか?」


 ボスはゆっくりと頷く。


「それは……わかった。で、ジェーンは、どうなるんだ?」


 急に声のトーンを下げたブラウン。ボスは、彼が喚いたのは逮捕についての文句が目的ではなく、回収されたアンドロイドの行く末をいち早く知りたかったのだと推察する。


「貴方の裁判が終わるまでは、証拠品として保管されますが。その後は、メモリーを転送して初期化し、メーカーに処分させます」

「処分……」


 頭を抱え、ブラウンはブルブルと震えだす。このタイミングでは酷だろうが、いずれ聞かなければならないことを、ボスは質問する。


「本物のジェーンは、どこへ?」


 ブラウンの答えは、ボスが想像していた中では最悪のものだった。


「殺しちまったんだ……でもあれは、わざとじゃなかった……」


 それから、ブラウンの供述は一時間に及んだ。明日はすぐにでも、倉庫の下を掘り返さなければならないだろう。取調室を出たボスは、でっぷりと出た下腹をさすり、大きくため息をついた。




 一方のサムとノアは、すっかり出来上がっていた。否、泥酔しているのはノアのみ、である。彼らは店をハシゴし三軒目に来ているのだが、サムはそれを大いに後悔していた。


「疲れたぁ……眠い……」

「だからもう帰ろうって言ったんですよ」


 カウンターのみの狭いバー。ここも二人の馴染みであるので、突っ伏してゴニャゴニャ言っているくらいでは特に追い出されることもないが。


「ほら、マスターにも迷惑かかってますから」

「大丈夫だよ、マスターそこまで呆れてないから……」

「こういうとき、君の能力は面倒ですね」


 サムはしばらく時間を置いてみることに決め、タバコに火をつける。他人の感情を、細かい所まで正しく感受できるノアは、ワガママを言うことに慣れていた。




 ノアは、高いエンパシー能力を持つ者――エンパスとされている。

 エンパシーとは、他人の感情への共感を指し、全ての人が少なからず持っているものだ。それが異常に高い人間をエンパスと呼ぶが、明確な基準は無く、長らくオカルト的、スピリチュアル的なものとして扱われていた。

 それを科学的に研究する機関が設立されたのは、約二十年前。どの位の共感力の高さであればエンパスと呼べるのか、という定義付けがそこで行われた。しかし、それは世界的に広く知られた話というわけではない。

 ただし、ここネオネーストでは、人間の感情に関する研究が盛んなせいか、エンパスの認知度は比較的高い。きちんと勉強している者なら、彼らの能力はそう便利なものではなく、考えていることまでは判るようなテレパシー能力とは別である、ということも知っているだろう。

 しかし、感情の無いアンドロイドと、人間を区別することは、ノアのようなエンパスなら即座にできる。彼はその能力を買われ、捜査官になったのだった。




「ほら、もう帰りますよ」


 サムは既に会計を終えている。ノアは無防備な大あくびを一つした後、渋々席を立った。

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