第2話 我輩の朝。
朝である。
生来夜行性である我々猫は、朝というのはむしろ欠伸を噛み殺し、そろそろ眠るかと思う時分であるが、それも猫それぞれである。
我輩の夜は、常にご主人に抱かれ、抱き枕としての使命を全うすることとなるので、夜に動き回ることは稀であった。
よって、我輩の夜は眠ることが多かったため、朝は意外と快適であった。
「おはよう……センセー」
ご主人は朝に弱い。半分も開けられていないまぶたの奥で、未だに眠っているのがありありと見てとれた。
「センセー……」
逃げる間もなく我輩はご主人に捕まり、なでなでと体を撫でられ、抱きしめられて布団に戻ることとなった。
「にゃー」と鳴きながら、ご主人の二度寝を阻止しようともがいていると、五分も経ってようやくまともに動き出した。
四月も始まってすでに二週間が経つ。ご主人も学校で新たな友人関係を構築するのに忙しいようで、少し疲れがたまっているようだ。それが一体どんな苦労なのか、少しも想像はできないが、猫付き合いですら面倒が絶えないご時世だ。人間付き合いはより大変であろう。
着替えと準備が終わったらしいご主人が、鞄を片手に部屋を出るのを見届け、我輩は一度大きく欠伸をした。前足を伸ばして体全体をほぐす。
さて、我輩もそろそろ出かけるとしようか。
我輩の力では扉を開くことができないのを知っているご主人は、父上に頼んで専用の出入り口を作ってくれていた。扉の下に作られた、正方形の出入り口だ。申し訳程度にかけられた布の扉を、我輩は前足で押して開き、するっと廊下へと躍り出た。
まずは朝食である。
我輩の朝食は、いつだって「ぺっとふーど」なる固形物であるが、同じものばかりでは飽きるのは猫も人間も同じである。それを察してくれているご主人は、気まぐれに選んだ食べ物を我輩に恵んでくれることがあった。
運良く今日はその日だった。
「はい、センセー」
我輩専用の皿に、さらさらとぺっとふーどが盛られ、そしてひっそりとそこにスルメイカが置かれた。ご主人は大変な気遣い屋であるので、スルメイカは食べやすいように小さくちぎってある。
「ナイショだよ」
我輩に何かを渡すとき、決まってご主人はそう言った。母上にバレると怒られてしまうからだ。我輩はすばやくスルメイカをぺっとふーどの中へと隠すと、よそよそとそれらを頬張った。
大変美味である。
「ほら、早く学校行きなさい」
ご主人は毎日学校なる場所に行き、勉学に励むらしい。残念ながら猫は不要らしく、我輩は留守番である。
学校に行く時刻がすぐそこまで迫ってくると、ご主人も我輩に構っている暇はなくなっていく。急ぎ気味に朝食を済ませると、パッとリビングから出て行ってしまった。
我輩はゆっくりと朝食を咀嚼し、スルメイカの痕跡を残さぬよう、しっかりと皿は舐めとる。最後に水を一口飲むと、満足そうに伸びをした。
「あら、食べ終わったの?」
ご主人の母上が、空になった皿を片付けにやってきた。我輩は頷く代わりにひと鳴きすると、テーブルの下をくぐってすばやくリビングを出た。
ご主人はすでに学校へと出発された後だ。いってらっしゃいの一言も言えないのは、悲しい飼い猫の性である。
ご主人の家は二階建ての一戸建てだ。周囲の家々を見る限り、特別大きなわけでも小さなわけでもないらしい。もっとも、猫にとっては十分な巨大さなのだが。
猫の日中は暇である。もちろん朝も夜も暇なことに違いはないが、愛すべきご主人がいないというのが大きい。父上は仕事に出かけ、母上は家事に忙しい。それに猫たる矜持をこの身を守る毛皮のように離さない我輩は、あまり多くの人間に猫なで声を出すのをよしとしない。賢い猫とは人間には懐かず、気高くあるものなのだ。
無論、ご主人は別である。
ともかく、我輩の日中は専ら屋内でやることがない。ならば屋内にいる意味はないだろう。世の飼い猫の中には、広い家の中を走り回るだけで満足し、与えられた餌を頬張り太っていくものが多いという。
なんと情けない。猫たるもの、自由気ままに、悠々自適に生きるべきである。
自身がこの家に来るまでただの一度も外を歩いたことがないという事実からは、いつものように目を逸らし、我輩は生まれついての野良猫のように物を考え、行動するのであった。
ご主人の部屋は二階にある。窓が南側に取り付けられた、日当たりのいい部屋である。その窓の前には、足場にあつらえ向きなご主人の机が置いてある。窓はかすかに開けられ、少しだけ涼しい風が部屋へと入り込んでいた。
世の哀れな飼い猫たちと違い、我輩には外出許可令が出ている。ご主人からの信頼の証である。条件として、日没までには帰らねばならないのだが、出られないよりはマシであろう。
我輩は慣れた足取りでベッド、椅子、机と動き回ると、片前足で窓を開いた。風が強く我輩へと吹いてくる。
いざ、今日も散歩へ出かけるとしよう。
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