第3話

「バカヤロウ! おまえ、やる気あんのか!」

鼓膜に突き刺さるドスのきいた声。ウェブ課のS課長が、僕の同期のKを怒鳴りつけている。この頃しょっちゅう見られる光景だ。

 フロア中に響き渡る叱責を聞くのは、自分に対してでなくてもなんとも気分が悪い。


 フーッとため息をついて心臓のあたりをなでていると、

「ねえ、Kさんって、メンタル的に強いタイプ?」

とオバサンが訊いてきた。

「うーん、同期といってもあまりつき合いがないのでよく知らないのですが、あんな言われ方したら誰でも参っちゃいますよね」

オバサンは、ほんと心配よね、とうなずきながら、

「S課長は根は悪い人じゃないんだけど、長年M社にいると、みんなあんなふうになっちゃうのよね。お手本がお手本だからね」

そう言いながら、チラリと専務の方に目をやり、すぐに視線をパソコンの画面に戻す。

「私、今月いっぱいで辞めることにしたの。今まではこんな雰囲気でも結構仕事を楽しめてきたけど、もう限界。どんどん負のオーラがひどくなって、さすがにちょっと無理」

「えっ!? そうなんですか?」

僕はオバサンが辞めることにもビックリしたが、『オーラ』とかスピリチュアルっぽいことを言い出したことにも、心底ビックリした。

「人を不幸にする会社なんて、スパッと見切りをつけなくっちゃね。あなたも、身の振り方を考えた方がいいよ。この会社はあなたにはもったいないし」

「えっ!? もったいないですか? そんな、ショック……」

「あ、ごめんごめん、逆。あなたの方がもったいない、ってこと」

「ああ、よかった。ありがとうございます」

オバサンは僕のほうに向き直り、ニッコリ笑う。

「もし夢があるのなら、ぼちぼち動きだしちゃってもいいんじゃない?」

優しく背中を押してくれる言葉に笑顔を返しながら、来月にはオバサンいないのかぁ、と思うと、営業部室の重力が少し増したような気がした。


「人員の補充も無さそうだからね。もし私の分の仕事が降りかかってきたら、このツールを使って」

オバサンは最後の出勤日に、マクロや関数が組み込まれている、いくつかのファイルをくれた。日常業務でよく作る機会のある書類が、最小限の必要事項を入力するだけで自動的に作成できるようになっている。

 使い方の説明を受けながら、なるほど、これならオバサンの仕事が早いわけだ、と合点がいく。ツールは細やかな工夫がされていて、とても使いやすい。

 それらがすべてオバサンの手作りだと聞いて、さらにビックリ。いまさらだけど、本当にナニモノなんだろう!? このオバサン。


「あ、それとね、もしあなたが会社を辞めるときは、このファイルをすべて削除していってね。このショートカットだけを削除してもダメよ。ファイル自体は、流通系サーバに保存してあるから、そっちを全部ね」

「わかりました」

「絶対よ」

そう念を押して、オバサンは去っていった。両手いっぱいに自分の荷物や花束を抱えて。

 その後ろ姿は、終業式を終えて帰っていく小学生のようだった。

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