鬼のトレイル

近藤 虎徹

第1話 奥駈道 逆峰

#1

 大峯奥駈道は、熊野古道のひとつだ。上富田からの中辺路や高野山からの小辺路はよく知られているし、世界遺産となってからは観光客も多い。しかし、大峯奥駈道に観光客は行かない。でも歩く人はとても多い。登山を趣味とする人たちは、いわゆる百名山を制覇にやってくる。山上ヶ岳から弥山・八経ヶ岳一帯を大峰山という。幾つかのピークで成り立っていて登山道で結ばれているが、山上ヶ岳はだれでも登れるというわけではない。登ることが出来ない人達がいる。

 奈良県の吉野にある山上ヶ岳は宗教の山だ。「修験者」とか「山伏」という人々が修行をする場だ。テレビで天狗が着ているような服装で法螺貝を吹いているのを見たことはないだろうか?また、断崖からロープ一本で吊り下げられた人に誓わせるのを見たことはないだろうか?そういった修行を修験という。

 修験道について説明するのはむずかしい。日本人は山が好きだ。単に登山する人が多いというわけではない。山そのものを神体とする山岳信仰として江戸時代から富士講や立山曼荼羅などの集団登山が知られている。白山や御岳も有名だ。修験道は、そういった山岳宗教に仏教(特に真言宗や天台宗などの密教)の要素が加わって本地垂迹したものだ。

 林業仕事をする人やトンネルを掘る人は山の神様は女性として祀っているし、普段家庭でも「家のカミさんが…」と妻を神様にしているではないか。女性は別の女性の美しさに嫉妬する。また、修験道は仏教の修行も含んでいるので女性を嫌う。つまり山上ヶ岳付近は女人禁制となっているのだ。

 その大峯奥駈道が若者たちに密かなブームとなっているのだ。どんな若者たちかというと、ULとかファストパックと言われる装備を極力軽量化して身軽に行動する系、トレランという山岳地帯をランニングする系などだ。また、3,000km超のアメリカほどロングトレイルではないが、テントの設営場所が指定されない気ままな縦走が単独行者にうけているのだ。北海道から九州まで既設の登山道は基本幕営は禁止で、テントは指定された場所でしなければならない。例外は少ない。例外の一つが大峯奥駈道だ。大峯奥駈道にテント場の指定はない。かつて修験者は山にこもって修行したからだ。岩山の洞穴などで寝泊まりしたらしい。今でもその名残があり、邪魔にならなければテントを張ってもとがめられることはない。「山と高原地図」には幕営適地とマークがある。(避難小屋はコース上にいくつかある)距離は奈良吉野から和歌山田辺本宮まで平面なら90km、沿面なら180kmほどある。高低差は半端でなく、常にアップダウンを繰り返している。ネットでgoogleってみると普通で5泊、早い人で4泊かかるところを1泊で走り抜ける猛者もいるらしい。

 

 新村理人は、近鉄橿原神宮駅で吉野駅行きの普通に乗った。最終便の到着は午前0時を超える。日付が変わろうとしているが、ほぼ座席は埋まっている。明日から連休が始まるからだろう。電車が単線をゆっくり進んでいく。単調な揺れのリズムに任せて理人は目をつむった。

 大峯奥駈道を4日間で走り抜けることを目標に去年の秋から計画を練ってきた。10回以上挑戦した経験者でも、半分は天候の急変などで途中で休みがなくなって敗退するほどむずかしい登山路。シーズンは4月から12月まで歩けそうだが、多雨地帯にあるので夏場の午後は落雷や豪雨の危険がある。(高温多湿はヒルが最も喜ぶ環境だ)秋は最適な気候だが日照時間が短く、水の確保に苦労する。したがって春、つまりGWが最も成功の確率が高いといえる。

 決意を固めてから、朝夜2回のランニングと週末に近場の山のトレランで脚力を鍛え、ネットでいくつもの山行記録を閲覧して登山路の特徴とランドマークを地形図にまとめていった。

 いつの間にか150kmの山岳コースがとても簡単に思えるようになってきてしまった。登山計画を練っていると立体的に考えなければいけないのにどうしても平面的に捉えるようになってしまう。現実は想像をはるかに超える辛苦に満ちているのに…。これまでマラソン大会やトレラン大会に参加したが途中から歩いてしまったり、棄権したりして取り組みが自分でも甘いと思っていた。もうすぐ30歳だ。マラソン選手のピークはやはり30歳前半。あくまで趣味の領域だが結果を出したいと思うようになってきた。

 トレランや山岳レースは1位を目指して走る対人競技だ。しかし、本当の相手は厳しい自然であることは登山の派生とも思える。走っていて運悪く木の根っこにでも足を引っ掛ければ怪我をするし、下山にスピードを出すため踏み外せば怪我だけではすまない。それでも、恐怖と戦いながら下ったとき、何十kmと踏破したときの喜びはこれまで経験したことがない達成感を感じた。世界各地の荒野や砂漠、山岳地帯で毎年たくさんのレースが行われているが賞品も賞金もないというのが普通である。制限時間内に走り終えれば、1位も最下位も等しく平等で最後まで走り終えたという名誉が勲章なのだ。

 夜更けの電車は走る音しかない。時々駅に停車してドアが開き、外の冷えた空気が車内に入ってくる。冷気が山間部に近いことを感じさせた。腕時計は23時45分を指している。残り30分を吉野のイラスト・マップでコースの確認をすることにした。吉野は桜の名所で、下千本・中千本・上千本・奥千本と4つのエリアに分かれている。駅は下千本で、観光の終点(金峯神社)は上千本にある。山道よりも観光地の方が曲者だ。登山路は基本1本だが、観光地の道は複雑で間違えると迷子になって思わぬタイムロスをする。

 不安は際限なく溢れてくる。とめどもなく…


#2

 比叡山には千日回峰という修行があるという。理人が歩いている山上ヶ岳までの道も同じ修行が行われてきた。戦後、2人が成し遂げたという。往復48kmを1日で歩き通す。登山のベテランでも歩いて往復で20時間近くかかる。これを5月上旬から9月下旬まで毎日休みなく修行する。歩けなくなった時は自死が待つという。 

 修行僧は、ふもとの吉野にある金峰山寺蔵王堂を深夜に出発して夜明け前に山上ヶ岳の頂上にある大峯山寺に着いて粥をすすり、午前中にはふもとに帰ってくるという。一般人の半分のコースタイム、おそらくトップクラスのトレイルランナーの走力だろう。理人が近鉄吉野線の終着に乗ってきたのは、そんな修行を体験したいと思ったからだ。

 理人は息苦しくない程度のペースで吉野のまちを走る。車道の両側には、土産物屋や旅館が軒を連ねている。GWの始まりだから日中は賑わっているのだろうが、今は自分の走っている靴音だけが響いている。町の中心に大きなお堂が黒々とそびえている。信心深い方ではないが、完走を願って参拝し、再び車道にもどる。神社でもないのに車道の横に大きな鳥居が見える。鳥居の柱に触れながら何回か回ってみた。金属のひんやりとした感触が走りで汗ばんだ手に心地よい。左脇腹に刺すような痛みを感じた。しばらく息を止めて我慢していたら痛みが引いいてきた。

 ゆっくり走り始めると民家が少なくなり公衆トイレや休憩所が桜の木立に設けられるようになる。道路脇に大峯奥駈道の案内板や石標を発見する。やがて桜の木が途切れると神社が現れた。自販機でオレンジジュースを買う。これから150kmは自販機のない世界だ。そして、灯りのない世界に突入するのだ。鳥居をくぐり参道を上がっていく。左脇腹に痛みが走る。少し熱っぽくなってきたが歩けないほどの痛みではない。

 登山道は杉林の中をひたすらどこまでも伸びている。ひたすらと言うよりほとんど全部杉林だ。ときどき登山路の横に史跡案内の看板を見る。茶屋跡とか靡などの史跡らしい。靡は修験者が修行を行う行場だ。熊野大社まで75箇所あるという。また、宿跡も多数ある。今でいう避難小屋程度のものなのか、民宿のようなものなのかは分からない。ただ、麓の村々には修験者の便宜をはかることを大昔から課せられてきたという。例えば、飲料水の補給、小屋の整備、登山道の整備(登山道から数m範囲内は杉の植林禁止)などである。今でもその伝統は、各地のボランティアによって受け継がれているらしい。

 林道と登山道がもつれ合うように交差してた区間を過ぎると本格的な登りとなってきた。時々、杉林が途切れて岩だらけの道をバランスを取りながら走り抜ける。視界が広がったところで理人は立ち止まった。ハイドレーションシステムのチューブを咥えて水分を補給する。月のない夜空に星がまたたいている。大気の底に黒々としたシルエットが沈んでいる。紀伊半島はどこまでも山だ。視界のすべてに山が覆い尽くしている。ところどころ灯りが見える。人が住んでいるのだろうか?

 奈良県の端まで走り、和歌山県でゴールする。ゴールしたとしても生活の何かが変わることはないが、何かを見つけることができそうな気がした。

 

 

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