episode 4

 ふりかえると、軒下にこちらを笑顔で見つめる入学生代表の新葉八慈が立っていた。

 呼ばれる身に覚えがなく、不安な面持ちで彼を見る。


「ああーやっぱり。同じクラスだよね? 俺のこと知ってます?」


 無垢な笑顔でそんな事を聞いてくる。

 鼓動の高鳴りを感じながら、私は普通にその言葉に返事をする。


「あなたを知らない人は多分、一年生の中にはいないと思いますけど」


 話が得意ではない私は、無愛敬にそう返してしまう。


「そんなにか……。そこまで騒いだつもりはなかったんだけどな。まあ知ってもらえているのは、嬉しいんだけどね」


 頭に手を当てながら、無垢な笑顔を向けてくる。


「騒いだ度合いが問題じゃなくて、騒いだ場所が問題なんですよ。あそこであんなことすれば、嫌でも目に入りますから」


 彼は少し笑いながら、


「嫌でもか……。なんかごめんね。迷惑だった?」


 私は慌てて、言葉を撤回した。


「違います。迷惑とかじゃなくて……」


 別に、嫌だったわけではない。むしろ、望んでいたことだった。私は少し言葉が足りない。もしくは間違える。態度も悪い。だから、気持ちがうまく伝えられない。その所為でまたも無愛敬に言ってしまう。


「それで。何か、私に用ですか?」


「いやさあー。誰も傘を持っていないのに雨江さんだけは持ってて、同じクラスだし、仲良くなりたいし、あわよくば傘に入れてもらえないかなって思って。だから、声をかけさせてもらったんだよ。それで、あの……傘に入れてもらえませんか?」


「別に、いいですよ」


 特に断る理由もないし、望んでいたことだった。このまま退屈な帰途についてもしょうがない。なら、問題を起こした人と帰れば多少は面白いのではないかと思えたのだ。だから、私は逸脱した新葉八慈を小さいけれど、傘の中へと入れた。

 私の日常に色がある出来事が次々と起こり、動悸がするのがわかる。無彩色の世界に色を付けてくれる彼に、私は惹かれていた。数少ない興味を抱けた人間。そんな相手が今、私と傘の軸を挟んで隣にいる。動悸がしても当たり前だと思う。しかも、あの事件以来、他人とここまで至近距離になるのは初めてだった。それも遠因になっているのかもしれない。異性という点も含まれるのだろうか。

 こんなに気持が高揚するのは経験無かった。


 胸の動悸は止まない。


 うれしいけど、慣れないことだからどうしていいのか分からなかった。

 傘の中、雨音だけが響く。静かな雨路。

 寡黙な私は話し出すことが出来なかった。だから、自然に、空気を破ってくれるのは彼となる。

「雨江さんって結構静かだよね。なんか予想外に暗いなあって思ったよ。もう少し喋ってくれる子なのかなってさ」

 この人はかなり正直な人だ。そして失礼だ。面と向かって女の子に暗いねなんて普通は言わないだろう。

 それに対して私は、今まで興味のない人と接してくる中で培った愛想笑いを浮かべる。


「暗いってのはいい意味でだから気にしないでよ。それよりさあ、雨江さん。なんで今日、傘をもってきてたの? 天気予報だと一日晴れだったし全国的に今日は快晴だって言ってたのにさ。普通だったら傘なんて持ってこないよね。だからみんな突然の雨に対応できずにいたのに。どして?」


 私は彼の無垢な質問に何を思うでもなく普通に返した。


「私。俗にいう雨女なんです」


「雨女? なにそれ妖怪?」


 は?


 うっかり声に出してしまいそうになった。雨女という言葉を彼は聞いたことが無いのだろうか。初めてだ。雨女を妖怪という人は。でも実際、由来は雨女っていう妖怪から来ているから間違いではない。でも普通は体質の方を指すのがセオリーだと思う。そこを妖怪の方に行ってしまうのは、彼が雨女という体質を持つ人が居ることを知らないからだろう。だから、雨男も存在するけど多分彼は知らないんだろうな。

 私は間髪入れて雨女について説明した。


「雨女っていうのはその人が居ると急に天気が悪くなり雨を降らしてしまう体質の人を言うんです。私の場合は何かの行事の時とかに良くそれがなってしまうものなんですけど。まあ、それは当日じゃなくて前日だったりとかもするんですけどね」


「雨女って妖怪じゃないのか。じゃあさ、女がいるならお……」


「雨男も存在するそうですよ」


 私は彼が言い終わる前に質問の答えを横取りした。


「そ、そうか。でもそれって本当にいるのか? 科学的な根拠がありそうもないし。そんなのどう証明するんだよ」


 彼の言うとおり。科学的根拠なんてない。でも、これは私の経験が証拠となっている。過去に遡れば、雨女が発動した形跡は手や足の指を使っても足りないくらいにある。


「信じがたいかもしれないんですけど。私は確実な雨女なんです。経験からそう結論付けました。だから、今日みたいな行事の日は雨が降ると確信できたんです。なので私は朝から傘を準備してきたわけです」


 彼は納得できなさそうな顔をして私の横を歩く。私はそんな彼の横で少し話をつづけた。


「よく行事の日とか雨が降ると、教室内で必ず飛び交うんですよね。誰だよ雨女は? とか、雨女は当日来るなよなとか、すべて私に降りかかるんですよ。誰が雨女だとかは断定は出来ないから直接言われることは無いんですけど、自然と私は反応してしまうんです。ああ私の所為だ。ごめんなさいって」


 言ってから私は羞恥に襲われる。なんで自分の過去を赤裸々に話しているのだろうと。それに、なぜか自分の哀れさを訴えて同情を貰いそうな雰囲気になっていた。だから慌てて修正に入った。


「でも、だから辛い思いをしたって訳では無くて、それがあったから逆に強くなれたと思っています。ある事件が起きて、それからは直接的に私の所為だと云われるようになったんですけど、その御蔭で寧ろ私は他人をどうとも思わなくなって、なんてつまらないんだろうなって思うようになりました。強くなれたんですよ。だから同情とかはいらないですから」


 私のつまらない話を傘の下で黙して聞いていた彼は雨空に向かって応える。


「同情はさせてくれないか?」


 そして相好を崩し、私の方を見てくる。

 私はそんな彼の言葉に返す言葉が見つからなかった。予想外の直球なものに私は反応できなかった。そのまま沈黙が続き私たちは歩く。

 どのくらいたったのか。かなり距離を歩いた気がする。痺れを切らして先に沈黙を破ったのは意外にも私の方だった。


「新葉さんは人見知りとかないんですね。少し恨ましいです」


「えっ? ああーそうだな。無いかもしれないな。今までそう言う事で困って来てことは無いし、初めての人には何時も自分から声をかけてしまう。もうそれがくせになっているから、あんまり考えてこなかったけど。人見知りはしないんだな俺って」


「私も新葉さんみたいな行動力があれば、少しは世界が面白くなったかもしれないのにな。なんて思ったりしました」


 彼は驚嘆した表情を浮かべていた。私は何か変なことを言ったのだろうか。


「雨江さん、面白いね。なんか考えていることがスケール大き過ぎて驚いたよ。じゃあ、雨江さんにとって今の世界はつまらないの?」


 無垢な質問に私は間髪いれて応える。


「世界がつまらないんじゃなくて、多分、私がつまらない人間なんだと思います。厭世的に物事をみてしまうから、どうしてもつまらなくなってしまうんです。何時からだったか。そういう風に思うようになったのは。気が付けば、私は自分がつまらない人間なんじゃないのかと思い始めていたんです。驕傲なんてものを抱えていたくせに、いつの間にかその逆を思うようになっていた。無価値なのは自分じゃないのか。自分が矮小だから世界が猥雑に見えているんじゃないのかって。そう、思うようになったんだです」


 卑屈っぽく返すと、彼は傘の柄を握る私の手を握り、相好を綻ばせ高揚した声色で私に言う。


「じゃあ。俺が雨江さんの世界を面白くしていくよ。雨江さんがつまらないんじゃない。雨江さんは面白い人だ。それを俺が証明してみせる。雨江さんの卑屈を俺が一蹴してやる。雨江さん、友達はいる?」


「流石にいますよ」


 失礼だ。

 とは言ったものの片手で事足りる。言い加えるのなら余るものだ。友達と呼べる存在なのかもよくわからない。けど一応はいる。


「そっかあ。残念だ。俺が雨江さんの最初の友達になれると思ったのに。でもまあ何番目でもいいや。雨江さん、俺と今日から友達な。よろしく!」


 唐突にされた友達宣告に私は揺蕩う。


「えっ!? あ、はい。よろしくです」


 勢いで押された感は否めなかった。

 なんだか、この人の突飛な発言に私は揺さぶられてばっかりだ。でも全然嫌じゃなかった。どんどん私の世界に色が塗られて行く感じでそれはそれで新鮮な気分になる。私の捻くれた卑屈を更生するように彼は私の世界へと入ってくる。

 

 そして、慮外にも私は、新入生代表で問題児の新葉八慈と友達になった。

 

 よくわからない展開に少し整理が追い付かない私をよそに、彼は平然とした態度でいた。


「おっ? もう雨あがってるじゃん」


 気がつけば雨も小降りになり、降っているかいないかの堺くらいになっていた。でも、決して上がってはいなかった。

 私たちは少し広い交差点で信号に足を止めていた。


「俺の家こっちだからここまででいいや。ありがとね雨江さん。また明日からよろしくね。友達同士」


 そう言うと彼は変わりかけの信号に走っていった。そして、私とは反対側の歩道から大きく手を振ってきた。


「雨江さーん。じゃあねー」


 それに対して手だけを少し降って返した。あまりこういうのも慣れていないためどうしたものかと悩んでしまった。その結果が手を振ることだった。言葉は少し羞恥心があった。

 彼が私の傘を出てから少し経ったけれど、まだ少し彼の余韻が漂っていた。そして、私の世界に現れた彼という慮外者の存在が創った余韻に浸りながら、濡れたアスファルトの帰路に着く。 

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