episode 3
辛うじて咲く桜が鮮やかに映し出される最高の青空。
壁に掛けてある漆黒のセーラーをとり着替える。姿鏡の前で整えてリビングへ降りていくと既に朝食が用意されていた。
テレビでは全国的に晴れだと報道されているけれど。
――予想はしている。
今日は、初めてこの新調したセーラーを着る高校の入学式だ。晴れているのに私にはどこか暗いものだった。私というものが暗いからなのかもしれないけれど。
私は家から近い高校を受験した。それほど高くない偏差値だったのですんなりと入ることが出来た。
近場ということで同じ中学の人たちもたくさんいるけれど、私には全く関係のないことだった。普通なら、同じ学校からの進学者は、新しい友達関係の構築を助けてくれる。苦労しなくても、初めから友達がいるのだから、孤独で苦しむこともなく、尚且つその中のいい仲間と共にほかの人に話しかけてその輪を広げていく。一度として孤独はないんだから。
でも、正直そんなことはどうでもいい。私の場合、同じ学校から来た人たちとはもともと関わりもないし、初めから初対面なわけで。彼らがいたところで私の友達関係構築には差し当たり何の意味も持たない。
そもそも、友達なんて必要もないし、居てもどうせ退屈は変わらない。作ったところで、どうせみんなまた私から離れて行くだけだし。
そんな遜りを思いながら、卸したての制服が入っていく門を潜っていく。
四十二人のクラスが計五クラス。それが軽く入る体育館で式は行われた。
喧噪鳴りやまぬ中、壇上脇の司会者が式を進める。
起立。礼。着席。
そんな聴き慣れた退屈文句を、やりたくもないのにやらされて、式は滞りなく進行していく。
新入生代表の挨拶。それは入試と成績を兼ね備えた優等生に送られるもの。私の知識の中ではそうなっていた。多分、みんなの中でもそうだと思う。
代表の言葉は式の中で二番目に退屈な時間。一番は言うまでもなく校長の話だ。あれほどまでに憂鬱で、聴くことだけでも億劫に感じてしまうものはない。そして二番目に憂鬱なのが代表の言葉だ。代表の言葉なんて、過去の文献の引用が大体なんだと思うし、つまらないレールに乗っていく感じがする。私はそれがどうしても嫌いだった。決められた道しか進めない人間なんて途轍もなく詰まらないし、益体もない。それを容認してしまっている時点で愚劣だとも思ってしまう。
私はどうしようもなく卑屈で、厭世的に物事を見てしまう。自身を卑下するわけでもないのに他人ばかりを厭世してしまう。
そんな私は、自分が酷く驕傲な存在だと思うのだ。自分以外の他人を無価値な存在と見て軽蔑し、傲慢な優越性を誇示している。まあ、別に自分が特別に優れているとはたいして思ってはいないけれど、他人とは違う。いや、違いたいとは思っていた。
そんな思いを抱えていた私に、この式は方向性を変えて関わってきた。
それは、緩慢と進む式が、次は新入生代表の言葉が回った時だった。ついに来たかと、私は眇たるまなざしで壇上に上がる代表生を追いかけていた。
壇上に上がったのは、いかにも優等生らしい青年だった。私の腐りきった感性だけどイケメンだと思う。端正な容姿だし、清潔感のある髪だった。
どうせまたくだらない言葉たちを並べるのだろう。そう思っていた。しかし、それは私の予想を大きく外したものだったわけで。
彼は壇上に上がり先生のあいさつの後に、何も見ずマイクに向かって言葉を発した。
「ぜんりゃく。この学校に入学できたこと。心から喜び申し上げます。」
代表の言葉に前略なんて言葉を使うのは正しいのだろうか。まず、私はそんな疑問を持った。でも、次の言葉で私はさらに釘付けになる。
「以上。入学性代表。新葉八慈」
……えっ?
終わり?
まだ一言しか言ってないよね?
疑問が間髪入れずに湧き出てきた。他の生徒も同じらしく、体育館内では少しざわつき始めていた。先生方もどうしたものかと慌てていた。
他人なんて眇たる存在で、敷かれたレールの上を直走るだけの愚者だと思っていたのに、私の眼前に立っている彼はそんな人たちとはどこか違った雰囲気を放っていた。敷かれたレールなんて無視するように、他人の目なんて気にすることなく、自分の思うままに生きている。そんな風に私には見えた。
厭世的に人を見て無関心を貫いていた私が、そんな彼の言動に心を揺さぶられてしまったのだ。しかし、動揺冷めやまぬ間に壇上の彼は言葉をつづけた。
「あ、すいません」
彼は頭を掻きながらマイクに向かって何かを言おうとしていた。
流石にあれだけでは終わりじゃないだろう。やっぱり言い忘れていたことがあったに違いない。そして彼は言葉を紡いだ。
「先ほどの『ぜんりゃく』は全文略の意味の全略です。前の文ではなく。全ての文という意味での全文ですから。勘違いをしないようにお願いします」
爽涼に、慊焉としない面持ちで彼はマイクの前に立っていた。
問題はそこじゃないよっ!
そう心の中で叫んでしまった。普段ならこんなに世間に関わろうとしないはずなのに、どうしてか、この時だけは咄嗟に反応してしまったのだ。
館内では私と同じ面持ちの人達が、小言を話し始めて喧騒状態となっていた。
主に笑い声が占めていたかな。
しかしそんな事はお構いなしに、彼は壇上の上で笑顔だった。そして、彼は続けた。
「長い話は俺も嫌いでして。多分みんなもそうだと思う。だからすこし省きました。ご了承ください」
「全略って、省りすぎだろっ八慈!」
「そうかなー」
マイク越しに彼は飛んできたヤジに返事をした。その事態を流石に見かねた先生たちは憤慨しながら、彼を壇上から下ろした。抵抗することもせず、素直に謝りながら彼は壇上を降りていった。そして、そこからは退屈な式が再開した。
本当につまらなかった。
私は無意識のうちにさっきみたいなことがまた起きないかと希求していた。
でもそれは空しく一蹴され普通に式は執り行われる。
式が終わり、教室へと向かう。クラスの波にのまれ先ほどの入学式での出来事を思い出しながら私は歩く。
結局、式が終わっても問題を起こした彼は帰ってこなかった。私は退屈な式中、ずっとそのことだけを思っていた。理由なんて考えるまでもない。ただ一つ。くだらない世界で突飛で愉快なことをしたから。稚拙で猥雑で眇たる世界でただ一つ。異彩を放った彼の言動が、私にはどうしても看過できなかった。気になって仕方がなかった。今までに経験してこなかったようなものだから自然と意識してしまうのは仕方がなかったんだと思う。
今ごろ、あの人は何をしているのだろう。
そんなことを思いながら私は教室へと赴く。
教室の前の黒板にはチョークで席割りが書かれていた。
すでに仲のいいグループは賑やかに、自分の席はここだとか、席が遠いねだとか、楽しみだねだとか。そんなことを話しなが固まり始めていた。
そんな中、私みたいな人間は遠目で黒板を眺め自分の席を確認すると黙々とその席へと座る。誰と話すでもなく、仲良くなるでもなく。ただ黙して座るだけだった。
私の席は窓際の一番後ろ。この席は誰もが望む場所ではなかろうか。先生からも一番遠く、教室全体を俯瞰できる。そして、退屈を感じれば人の目を気にせず窓外の景色を見れる。孤独な私にはこれほどまでに条件のいい席はほかにない。たぶん、私以外にもそう思う人間はいるのではないのか。
鞄を机の横にかけ、中から読みかけの文庫本を取り出して私は読み始めた。
式が終わり時間がたち、大体の生徒がすでに自分のクラスに入っただろうという時、私のクラスでは先ほどとは違った喧騒が起きていた。
それは、教室の、私の席とは反対側である廊下側の席の一角で起きていた。そこには大半のクラスメイトが群がっていて、その要因である中心人物が私の席からは覗けなかった。しかし、私は彼らのように野次馬のような真似はしなかった。私の性分がそうさせなかったのだ。私にとって、退屈である平凡な日常から逸脱した非日常は興味を引く対象だった。だから、さっきの入学式での出来事や今のクラスでの出来事も興味を引かれている。でも、だからと言って自分からそれに近づこうとは微塵も思っていないわけで。しかし、興味もあって。今の私の心境は揺蕩ていた。
注目の反対側である窓外の景色に目を向けると、来る時とは一転して空模様は泣いていた。
予想はしていた。
私がいると、大概の行事では雨が降る。だから、今日も降ると思っていた。そのため事前に鞄には折り畳み傘が入っている。朝の天気予報で、今日は全国的に晴れだと言おうが、私のこれは覆らない。それは、過去の経験から導き出した結論であり変わることのない、未来へ続く呪いだ。
気になる気持ちを抑えて私はそれでも眼前の活字へと意識を向ける。
葛藤を抱きながら文庫本を読み続け幾許かすると教室の前の扉が開き、それと同時にチャイムが鳴った。
「はーい。みんな席につけよー」
チャイムと同時に教室へ入ってきたのは、多分このクラスの担任だろうか、若い女性だった。考察するに、都市は二十四くらいだろうか。
女性は教卓前に立つと、先ほどまで書いてあった席割の図を躊躇なく消し、兆区の後が微かに残る中に字を書いていった。
柊 千冬
「このクラスの担任になった、
淡々と進行するクラス担任の柊千冬先生は、教卓に置いた黒簿を見ながら自己紹介を促した。そんな中、私は別のことを思っていた。
高校の教師はすごい。
教室に柊先生が入って来た時、第一声にそれが飛び出した。
まるでモデルのような白皙で華奢な体躯。それに合う少し赤みがかったセミロングに、包まれるように妖艶な容姿が隠れていた。これが大人の女性なんだとおもった。スーツ姿なのに胸元は、同性が羨み、異性が欲情するほどの豊満さを思わせるほどに膨らんでいた。あれが欺瞞であるのなら同性の羨望は消えるのだが、容姿と体躯のバランスから考えて欺瞞でないことが如実に理解できてしまう。
だからこそ、凄いという感嘆を漏らしてしまう。
しかし、感嘆するだけで私は別に羨望は一切抱いてはいなかった。抱いたからと言ってなるわけでもないし、なったところで嬉しいわけでもない。なくても困るわけでもないから別に必要とも思わないのだ。ああいう代物は男女交際の時に必要となることがあるのかもしれないけれど、私には差し当たりその可能性も確立も皆無なわけで、よって無価値と同等になるわけなのだ。たぶん、このクラスでそんなことを思っているのは私だけだろう。
柊千冬先生は、私の世界を反応させた三人目の人間だった。
遠因はまず端正な容姿と体躯。これほどまでに綺麗な人は過去に経験がなかった。そして次に言動だ。ある種、それは衝撃だった。これほどまでに完璧な風貌にもかかわらず、言葉遣いは乱雑で乱暴。先生は女性としての言動が典麗とは乖離していて、欠落していた。正直、勿体ないと思った。
そんな先生が指示した自己紹介は全く乗り気にはなれないものだった。例年繰り広げられる最初の行事で嫌忌するもの。
端から関わる気など毛頭ない私には、無価値で不必要な行事だ。紹介したところでどうというわけでもない。仲良くなるわけでもないし、するわけでもない。ならする必要もないというわけだ。なのに、これは毎年行われる。億劫で仕方がない。とか言いつつ。その実の本心は、ただ単に私が人と話すのが極度に苦手だということだ。所謂人見知りというやつだ。
まあ、そうなった遠因は自分にあるわけだけど……。
そんな私は自己紹介を早々に切り上げた。出来るだけ感じは良くしていたつもりだ。最初から嫌われに行く必要もないだろうし。
これもまた例年同じことだけど、私はとても冷淡な人間なんだなと切に思ってしまう。自分の番が終われば後は眼中になしだ。そうやって世界を厭世で眇たるものだと無彩色に飾っていく。その為、過去のクラスメイトの顔も名前も記憶にない。
そのことが分かっていても、やっぱり私は変わらずに無関心を貫くようだった。だから自分の番が終われば再び文庫本を読み始める。
これが、変わらない。変わろうとしない私の結果だ。
クラスには四十二人のクラスメイトが居て。私は頭から八番目。あと三十四人の自己紹介を聞くことになる。
どれくらい経ったのだろうか、ふと私の耳に聞き覚えのある声が届いた。私は読んでいた文庫本から視線を外し、声の元へと視線を向ける。
「ええー、どうも。みんな多分もう知ってるかもだけど、新葉八慈です。今日の入学式で問題を起こした新入生代表の新葉八慈です。今日見たように、俺は普通になんて過ごしたりしません。できるだけ楽しく人生を謳歌したいと思ってます。よろしくー」
入学式で事件を起こし、私の世界を反応させた二人目の人物が私と同じクラスにいたのだ。
私は吃驚のあまり栞を挟まずに文庫本を閉じてしまった。
私の退屈な世界に非日常という名の色を付けた彼がそこにいた。
私はクラスでのさっきの騒ぎのことを思い出す。クラスメイトが群がっていた原因は彼だったのか。
私の中で何かが変わろうとしていた。
彼といい、クラス担任の柊先生といい、今日一日で私の周りでは退屈しないことが起きていた。無彩色で無価値な世界に色が付いた。人を疎む幼稚で稚拙で愚劣で眇たる他人を嫌忌し、関係を乖離し、その結果、他人とのかかわりが無くなり、孤独を自ら容認した所為で陰気になってしまった私が、自分勝手に世界を悲観して、人付き合いが苦手になったからと言って、別にこのままでいいやと改善することを微塵も考えず今まで来て、やっぱり他人はつまらなく無価値な存在だと驕傲に思う中で。そんな中で初めて他人を面白いと感じていた。
まあ、正確には初めてではないけれど、久しぶりに思えたことだった。
自己紹介がひと段落してオリエンテーションの様なものも終わった。後の時間は記念写真や授業の説明が行われたけれど、私は心中面白いと思えた二人のことが頭から離れなかった。正直、期待があった。今までどうしようもなく下らない人ばかりだったから、それを逸した柊千冬先生と新葉八慈とのこれからの学校生活が面白くなるのではないのかという期待を抱いていた。
私は元から性格が捻くれていたわけではない。幼いころの事件が遠因となってこんな人間になったのだ。だから、逸脱した人を気にいるのは今の私ならではのことなわけで。期待を抱くのも今だからこそなのだ。
しかし、世間というのはやはり思い通りに事は行かないもので。これと言って突飛なことはあれから起こることはなかった。気づけばもう帰宅時間となり、学校は終わった。
少し湿度の上がった校舎を歩きながら落胆と諦念に包まれて昇降口へ向かう。校舎のどの窓から見ても広がるのは予期しないだろう曇天の雨。さほど酷くはないけれど、傘がないと帰れないだろう。
昇降口へ着くと案の定、傘を持っていない生徒たちで溢れかえっていた。
私もその一人として、雨宿りをしながらそれらを見ていた。
ある程度時間が経つに連れて、生徒の数は減っていった。待ち切れずに諦めて、鞄を傘代わりにして雨の中を走ってったり、親に迎えに来てもらったりと、理由は様々だけど、かなりの人数が減っていった。
……もういいかな。
私もそろそろ帰ろう。
別に、特に残る必要はなかったけれど、他の人が傘がなくて立往生しているのに、私だけ一人その中を悠々と帰るのは気が引けていた。
だから、人数が減った今なら帰ってもさほど気にされることはないだろう。
鞄から折り畳み傘を取出して、私は昇降口を抜けた。
軒下で鞄から折り畳み傘をを取り出し開き、雨の中に歩み出た。すると、不意に後ろから陽気に私の名前を呼ぶ声がした。
「雨江凪嘉さん、だよね?」
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