Ⅶ:始まりの訪問者


 さようなら。さようなら。

 あの日の貴方にさようなら。

 僕の貴方にさようなら。

 君にはきっと分からないよ。

 君にはきっと分からない。


「寒いね。もう少し温かくしようか。」

 可愛い君の肌がね、少し濁って見えるんだ。

「これ位はどう?」

 口元に出来た赤と黒のシミが何だか汚く見えるんだ。

「これでいいかな。よし、髪を洗おうね。」

 シャワーの圧が強すぎたかな?

 綺麗に伸ばしてた真っ黒が、ごそっと抜けて恥ずかしいね。

「そんな目しないで。とっても可愛いよ?」

 何色って言えば良いのかな。4日前は綺麗な闇色。3日前は中心が赤く色付いたね。

 2日前は薄い灰色の膜が張って。今は…

「どこが眼球か分からないや。」

 可愛いね。可愛いね。

 何も話さない君は、本当に可愛いね。

「ずっとそのままで居てよ。」

 紫の肌が、お湯のお蔭で白く膨張したよ。あんなに固かった胸がふにゃふにゃになってる。

「はぁ。本当に可愛いな。」

 掌の中で、白とか赤とか茶色とか。ふにゃふにゃに溶けていくね。

「君にはきっと分からないよ。」

 怯えた顔した小さなリリー。

 僕のリリーは震えている。

「リリー、いいかい。君はまだまだ…。」

 シャワーの音を大きくする。そんな事だけで、僕のリリーが震え上がる。

 大きな目を何度も瞬いて。

「これは現実じゃない!!!きっと夢よ!!!!悪い夢よ!!!!って…。

 叫びたくなるんでしょ?」

 リリーが大粒の涙を流した。

「駄目な子だねぇ…。折角綺麗にお化粧してあげたのに。台無しじゃないか。」

「…たすけて…」

「リリー、君にはきっと分からないよ。」

 用済みリリーは湯船に置き去り。

 これからは、小さなリリーが僕を慰めるんだ。





 神奈川県警署内では、向井、橘事件の全容が明らかになって後、佐伯拓馬警部補への信頼と信用が評価され始めていた。

 管轄違いの東京者は左遷扱いが多く、佐伯もそれと同じか、もしくは元々そうゆう輩か何かだと思われていたからである。

 しかし、この件で状況は一変。

 新宿西署からは感謝状が届き、又、佐伯の素早い行動により発覚した大麻所持の証拠。

 それらを含め、佐伯への風当たりは非常に穏やかになったのである。

「要は、先輩が新宿西署にいいツテがあるもんだから、部長や課長の扱いが急に変わったって事ですね。

 ―ほら、ここいらの事件って大半の黒幕東京じゃないっすか。でも今回は麻薬事件だけでもこっちの手柄になった訳だし…まぁ、良かったっすよね。」

 佐伯の相棒でもある、都築陽平つづきようへい

 彼は所轄出の刑事であり、地元での殺人事件の犯人逮捕に大きな功績を残した為、1年前に晴れて県警本部へ昇格を果たした男である。

 歳の頃は28。ガッツが取り柄の明るい性格は、署内の嫌われ者である佐伯と組ませるのに最も適した人選と言えた。

 それを知ってか知らずか、周りのお偉方等には目もくれず佐伯を「先輩」と慕う姿に、佐伯自身も気を許せる唯一の人間に成っていた。

「都築君。…そうゆう事は言わなくていいんだよ。例え、俺のツテが。俺の人脈が。今の周りの対応を大きく変えたとしてもね。

 …ほら、それって真実知ったら悲しいオチって奴でしょ?だから、分かってても、そこは内緒で。ね?」

 都築は、佐伯の言葉の真意を読み取る事なく、

「そうすか?」と一言言い放つと、屈託ない笑顔を向け、好物のメロンパンを頬張った。

 そんな姿に、佐伯はまたも自嘲の笑みを作る。

「先輩のそのアンニュイな笑顔。いいっすねぇ。」

「…アンニュイね。ははっ…。」


『―…全車両に告ぐ。殺人事件発生。害者一名。女性と見られる。近くに居る者から現場に急行せよ―ガッ…繰り返す―』


 真夏を過ぎ、暑さは下降傾向に成るかと思いきや、益々蒸し暑さが襲う9月の中頃。

 無線での連絡を受けた佐伯、都築のコンビは、逸早く現場へと急行した。

「ここっすね。」

 都築の声で、佐伯は目の前の建物を見上げた。

 巨大なビルが多数立ち並ぶ繁華街を抜けると、次に現れるは、洗練されたマンション群。どれも高級そうな匂いを放つ中、大きな木々に埋もれた一際異彩を放つ高層マンションがお目見えした。

 事件はこの建物のペントハウスで引き起こされたのだ。

「都築君。一課の人間、後何人来るかな?」

 佐伯は目線を上下に動かしながら建物を観察する。

 都築はその言葉の意味に一笑した。

「大丈夫っす。俺らが一番乗りなんで、残りは…―1時間後とかですかね。

 さっさと入って、証拠見付けましょ。」

 前回の一件で、佐伯の風当たりが幾ら良くなったとは言え、まだまだ疎ましがられている現状。

 佐伯は、今回も解決の一歩先を行く為、一人決意に身を震わせた。

 そんな佐伯に都築も息巻く。

 二人はそれぞれの思惑を抱えながら、中へと足を踏み入れた。




 リリー。僕の可愛いリリー。

 浴槽の中でプカプカ浮いている。

 リリー。君はもう僕のモノ。

 泣かないで。泣かないで。


 ―…


 「…ん…。」

 寝苦しさに耐えきれず、佐伯は腕を宙に迷わせた。

 布団が身体にぴったりと張り付き、汗の匂いが鼻を突く。

「なんだ…。何時間も経ってないのか…。」

 枕元の時計の針は3時を指している。

 床に就いて、ほんの一時間足らずで目覚めた気怠い頭を、佐伯はポンと叩いた。


 ―…ピピピピピ…ピピピピピ…


 携帯の無機質な着信音が耳を劈き、佐伯は生欠伸を噛み殺した。

 電話の相手は大方見当が付いている。

 諦め半分に通話ボタンを押す。

「都築君。俺、まだ一時間も寝てないんだけど。」

『先輩おはようございます!』

 早朝の相手にはとてもじゃないが最適とは思えない都築の抜ける様な明るい声色に、佐伯はぐうっと唸った。

『検死結果出ましたよ。…俺の予想通りなら、この事件、相当やべーと思います。』

「…今すぐ行く。」


 ―…


 深夜の高速道路に車を走らせながら、佐伯は先日の事件を頭に振り返らせていた。

 

 ―事件は夜遅くに発生した。

 被害者である女性と見られる遺体は、腐敗が進行し、多量の毛髪と共に、抜け落ちた歯が浴室に転がり落ちていた。

 皮膚とも肉片とも付かぬその異様な遺体と、余りに清潔に整えられた浴室の光景は、少なからず佐伯を焦らせる材料になった。

 鑑識に寄れば、死亡したのは一ヶ月程前と見られ、顔面に突出した骨から判断するに、強力な酸のような物で溶かされた可能性があるとの事であった。

 身元を示す物は何一つ見付かっていない。

 しかし…

「…リリー。僕の可愛いリリー。…」

 佐伯はボンネットから一枚の紙を取り出した。

 其処には機械的な文字が均等に並ぶ。

 犯人が残した物であろう、その一枚の紙切れは、「これが終わりでわない。」と、こちらへ話し掛けてくるように、淡々と綴られている。

 佐伯は、この文字達に薄ら寒い気配を感じ取っていた。

 普段から、“変死体専門”等と自らを呼ぶだけあって、死体と言う物にこれと言った不快感を示した事が無かった佐伯は、死に関して自らは鈍感だと思い込んでいた。

 ―感情は捜査の足を引っ張る。

 この十年間。警部補に昇格を果たした頃より、殺人事件等において、佐伯の感情は無に近く、いつも冷静沈着に事を見据えて来ていた。

 それが功を総じ、事件を早急に解決する手立てに一役買っていたのである。

 しかし、今回は別であった。

 今回の遺体に関してだけは、言い知れぬ恐怖と底知れぬ憎悪に手が触れた。―厳密には、その様に理解した。―

 自らを何処かへ突き落されるかの様な不安。

 それは佐伯の胸中に居座り続け、答えを急かす。


「先輩、お疲れ様です。正木まさき先生いらっしゃってますよ。」

 県警署内に設けられた霊安室の直ぐ側で、寝不足顔の都築がいつもの様にメロンパンを咥えている。

「よくこんな所で食えるね…それ。俺、流石にそこまで出来ないや。」

 佐伯はうっと込み上げる胃液を飲み込んだ。

「寝てないんすもん。食わないと。倒れますって。」

 相変わらずの笑顔を湛える都築に、佐伯は愛想笑いを返した。

「で、先生は?」

「処置室に。検視の高田たかだ先生と居ます。…行きます?」

 都築の言葉に頷くと、佐伯は処置室の重い鉄の扉を開いた。

「おぉ、佐伯。来たか。」

「正木先生、お疲れ様です。」

 正木と呼ばれた、白髪交じりの痩せぎすの男は、血の付いた白いビニール手袋を外しながら、佐伯に手を振った。

 その傍らには、縁の無い眼鏡とひっつめ髪をした見た目にも気の強そうな女が、まずそうにコーヒーを飲んでいる。

 女は佐伯を眼の端に捉えると、フンと鼻を鳴らした。

「…高田先生も。お疲れ様です。」

「こんな遅くまで仕事させられて。ほんと、一課の人間てサドばっか。」

 高田秋穂たかだあきほは、厭味ったらしく言い放つと佐伯と都築を睨み付けた。

「まぁまぁ、君も、こうゆう死体は勉強になるって喜んでただろ?そうむくれるな。」

 正木の言葉に、高田は仕方ないと目を伏せた。

「お二方とも、遅くまですいませんね。…ほんと、ありがとうございます。」

 都築は全く気にしていない様子で、メロンパン片手ににやついた。その姿に佐伯も倣う。

「検案結果は昨日に出てたんだが、検視はまだだって言うんでね。―佐伯の頼みじゃ断れんさ。気にしないでくれ。」

 検案とは、医師が遺体を表面から観察し、更に遺体の既往歴や死んだ時の周りの状況から死因、死後経過時間などを医学的に推定する事をいう。しかし、検案には限界があり、より詳細な情報が必要な場合は解剖をしなければならないのである。

 正木は数多くの検視を担当してきた医師であり、その腕は多くの警察関係者から信頼を寄せていた。

 今回の様な変死体と呼ばれる類において、検案の範囲での取りこぼしは、事件の全容を隠す恐れがある。

 その為にも、正木医師の腕は必要不可欠であると佐伯は考えていた。

 高田も又、検視官として、医師である正木に強い師弟概念を持ち合わせており、正木の意見は高田の欲求を満たす薬でもあった。

 本来であれば、腑に落ちない事柄であっても、正木を出されると、何も言えぬと言う訳だ。

「面白い事が分かったよ、佐伯警部補。」

 正木は口を大きく開くと、満面の笑みをそこに湛えた。

 佐伯は知っていた。この男のこの笑みは、事件に大きな進展を齎すと。

「それで、どんな事が?」

「先ずは検案の結果を見てからにしてくません?…佐伯さん。」

 高田の氷の声に、佐伯は焦燥感を冷やされた。

「死亡時期は一月前の8月頃と見られます。性別は女性。身長158㎝から168㎝。年齢は20代半ばから30代前半。身元を示す歯の治療痕、指紋等なんですが。

 …調べられないように、痕跡が消されていました。―鑑識から聞いていたので、酸の特定をした所、水酸化硫素化合物とみられる反応が。―つまり、最も強い硫酸ですね。これが使われたと推測出来ます。」

 高田は薄い眼鏡を外し、疲労に弱る瞼を揉んだ。

「…て事は、身元不明でお手上げって事っすか?」

 都築の落胆の声に、高田は頭を振る。

「いいえ。可能性はまだ残ってる。」

 高田の言葉を引き取る様に、正木が続けた。

「検案で分かった事を元に、仏さんの正体を現す唯一の方法は、浴槽に残っていた毛髪だよ。DNA鑑定が出来るからね。…それと。」

 正木はそう言うと、アルミでこしらえた薄手の皿を佐伯の目の前に置いた。

「…指輪?ですか?」

 其処には、大粒の煌びやかな石が嵌め込まれた華奢な指輪が転がっていた。

「これは、子宮の中に入ってたんだよ。」

「子宮…?」

 都築は情けのない声を漏らすと、口元を抑えた。

 手の中にある食べかけのメロンパンを、そっとゴミ箱へと放る。

「…犯人の意図までは分からないけど。クソ野郎である事は確か。…最低。」

 高田は指輪を苦々しく見詰めると、口を噤んだ。

「女性に対しての扱いとして、とてもじゃないが紳士的とは言えんな。

 ―でだ。この指輪、本物の宝石じゃあないんだよ。これは、ただのガラス玉。器用な奴だ。手製でここまで作れるとはね。」

「手先が器用で…猟奇的。―子宮にはどのようにして入れたんでしょう?」

 佐伯の言葉に高田がキッと目を見開く。

「事件解明の為の質問です。理解してほしい。」

 佐伯の冷静な声色に、高田は顔を背けた。

「…これは推測だが。下腹部にタコ糸の様な物がこびり付いていたんだ。もしかすると、刃物かなんかでもって下腹部を切り、子宮に直接混入したと考えるのが自然だろうな。

 ―その後、縫合した。…胃の中じゃ、酸の影響でここまでの原型を留めていられない。見た所、このガラス玉以外の部分は真鍮―メッキだな。それでこしらえてある。酸に触れると化学反応を起こし、黒ずみ、美しさは失われるって訳だ。」

「この混入は…死後でしょうか?それとも―」

 言いかけた佐伯の言葉に被せる様に、高田が口を開いた。

「生きてる内。…死んでからじゃない。生きてる時に、彼女はこんな仕打ちを受けた。」

「…佐伯、もう一つお前に伝える事があるんだよ。これは事件の取っ掛かりになると思うんだがね。

 胃の内容物にあった物で、私はこれが何かしらのメッセージと受け取るべきと考えたんだが…。」

 正木は言い難そうに咳払いをすると、意を決した表情で、佐伯を見遣った。

「胃の中に、大量の百合の花が残っていた。それも、どうやら死後口の中へ押込まれたらしい。喉元から、食道、胃に至る個所に百合の花弁が残っていたんだよ。」

 静かに言葉を繋げる正木に、佐伯の頬が強張る。

「…もし―…もしもそれが何かしらのメッセージなら、それは犯人の自己表現と捉え得る事が出来ます。最悪の場合、これは…」

 佐伯は自問した。この言葉を言うべきかと。

 自身の頭に巡る言葉を否定し続けた。

 だが、それ以外に当て嵌まるピースが思い付かないのである。

「先輩。俺の予想、的中ですか?」

 都築は、佐伯に縋る目を向けていた。

 ほんの数時間前の事。都築は佐伯に今回の事件について自らの考えを披露していた。

 『俺、思ったんですけど。遺体の感じ、あの変なメモ。これって続くんじゃ

  ねぇか?って。』

「これは…」

 『リリー。僕の可愛いリリー

  泣かないで。泣かないで。

  小さなリリーが笑ってる。

  用済み  湯船  さようなら。』

「これは…シリアルキラー…次のリリーはもう決まってる。」

 シリアルキラー。連続殺人。

 言葉にした途端、佐伯の胸中は恐怖が倍増し、鼓動が大きな音を立て騒ぎ出した。


 

 ―…



「拓馬っ!」

 2日連続の徹夜で堪えた身体を、佐伯は何とか振り起し、大声の主に眼を向ける。

「…おう、純也か。」

 黒澤純也は、大柄な身体を揺らしながら佐伯に向かうと、大きな声を上げ笑いだした。

「なんだなんだ、その生気のねぇ顔はぁ!折角俺がこんな遠くまで足運んだってのによぉ。」

「悪い…ここん所、徹夜続きでね。」

 力なく笑みを作る佐伯に、黒澤は哀願の視線を送った。

「大丈夫か、お前。…あれか、神奈川人にイジメられてんのか?」

 冗談めかした声色に、佐伯はフッと噴出した。

「俺の可愛い相棒は、イジメたりしねぇよ。」

「そうっすよ、黒澤さん。俺そんなダセェ事しませんから。―はい、お二人共これどうぞ。」

 屈託無く笑う都築に手渡された缶コーヒーを受け取り、黒澤はにやついた笑みを返した。

「陽平、お前も疲れた顔してんなぁ。お前ら本当に大丈夫か?」

 黒澤の言葉に、二人の男は顔を見合わせた。

 互いの顔は悲壮に暮れている。

 そもそも、黒澤の訪問は突然であり、佐伯は自身のピンチに途端に姿を現す親友に、胸を熱くした。

「純也。お前が来てくれたお蔭で、ちょっと元気出たよ…ありがと。」

 県警本部の一室で、三人の男が友情に感謝し合う中、黒澤は訪問の意図を切り出した。

「こんな時に悪いんだが、拓馬、お前に聞きてぇ事があるんだ。―橘の事なんだが。」

 橘。その名前に佐伯は小首を傾げた。

「…橘和樹の事か?」

「あぁ。…あの男、幻覚の所為で、向井伊織に対して、一つやばい仕打ちをした事が分かったんだ。」

 黒澤の話を黙って聞いていた都築は、興味に駆られ目を輝かせた。

「やばいって、あのクソ男何したんすか?」

「…都築君。死者に対してクソとか言わない。」

 佐伯の忠告空しく、都築は黒澤の言葉をただただ待っている。

「いや。…陽平、お前の想像がどんなもんか知らんが。言い難いと言うか…何というか。」

 佐伯は下を向く黒澤の態度に、妙な胸騒ぎを覚えた。

「…どうした?」

「…向井を解剖した先生から、昨日電話があってな。向井の子宮ん中に、指輪が混入されてたと。…それも、死後じゃねぇ事ははっきり分かってる。―死ぬ随分前だ。それと、食道にはバラの花びらが押し込まれてたと。これは死後に押し込まれた可能性がある。まぁ、花の方に関して橘がやったとはまず考えられんから、向井自らが飲み込んだのか…正確な事はまだはっきりしねぇんだがな。」

 黒澤の言葉に、二人は口を噤んだ。

 その「花」と「指輪」と言う言葉に、佐伯は自身の身が凍るのが分かった。

「向井の部屋をくまなく調べたんだが、訳の分からねぇメモが一枚見つかったよ。」

 黒澤は尚も続ける。

「ロゼッタ、僕の可愛いロゼッタ。君にはきっと分からない…だとか、なんだかんだ。…麻薬が大麻以外に何か有るならそれが原因かも知れねぇが。正直後味の悪い話でな…。橘について洗い直そうかと思って―…どうした、二人共…」

 黒澤の話を半ばに、二人は戦慄の表情を向けている。

「…純也、その話、もっと詳しく聞かせてくれ。俺らが追ってる事件の手掛かりになる。」

 鬼気迫る様相に、黒澤は身じろいだ。

「分かった…分かったから、ちょっと落ち着けっ。」



 ―…



 相馬第一総合病院。精神科総合事務室。

「何?この花束。」

 前園理咲子まえぞのりさこの元へ届けられた色取り取りの薔薇の花束は、事務室を甘ったるい匂いで覆い尽くしてる。

「理咲子先生のファンなんじゃない?」

 悪戯に笑む工藤綾に、理咲子は満更でもない顔をした。

「この仕事にずっと身ぃ削ってたもの…。たまにはこんなサプライズもいいわよね。」

 ふわりと微笑む理咲子の柔らかな表情に、綾も連られて笑みを零した。

「そうそう。患者の世話に疲れた時には、こう言うプレゼントが一番効く。

 …いいなぁー。私も欲しい。」

 赤、白、薄い桃色に、クリーム架かった黄色の薔薇の花。

 差出人不明の花束に、理咲子の心は踊った。

「…っ!」

「どうしたの?」

「…棘、刺さったみたい。」

「ちょっと、気を付けてよぉー。平気?」

「うん。大したこと無い。」

 人指し指の先端に、小さな針の穴の様な傷が出来ている。

 じっと見詰めていれば、理咲子の真っ赤な鮮血がすっと滲み溢れ、遂には指先を伝った。

「…綾、何だか…。」

「…え?」

「…何か…良く分からないんだけど…―」

「どうしたの?」

「これ…」

 花束の中央に、小さなソレが顔を覗かせている。

 蝋の様な物で固められた、純白のソレ。

 理咲子は、震える指先で摘み出す。

「それ…何?」

 綾の言葉に、理咲子の鼓動が大きく波打った。

「…ゆ…指…?」

 続けて出た綾の言葉に、理咲子の全身が揺れた。

「…綾…これ…もしかして、あの子の…?」

「え?…」

「あの子の…指に…まさか、よね?」

「…理咲子、落ち着いて。まずは学校へ連絡を。ね?落ち着いて…その花束には触れないで。」

 動揺に顔を歪める理咲子をなだめながら、綾は心底にどす黒い何かを感じ取り言い知れぬ不安に襲われていた。

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