番外編.3 花筏


「ごめん、愛とは付き合えない」


 その言葉は3年経った今でも胸に深く刻み込まれている。


 絶対に届かない願い。


 貴方も私と同じであってほしい。















 ※※※※※※10月12 会社


「成瀬、今日うち寄ってく?」

「すみません、今日はちょっと約束があるので」

「そっか、じゃあ先に帰るね」


 今日一日、成瀬の様子がおかしい気がした。

 落ち着きがないのはいつもの事なのだけれど、何処か上の空の様子が目についた。


 それに今日が記念日という事も忘れているようだった。


 別に気にしてないからいいけど。


 買っておいたケーキは一人で食べてしまおうと思う。

 ワインは明日まで残しておいてやるか。

 ずっと約束はしていなかったが、毎月記念日には泊まりに来ていたから何だか調子が狂う。

 私を差し置いて優先する約束とはなんだろうと少しもやもやする。

 いやいや、これだと重い女みたいだと思い直す。


 …明日は成瀬にケーキを買ってもらおう。











 ※※※※※※※10月12 ホテルのレストラン


 待ち合わせの30分前に着くと、そこには既に愛の姿があった。


「久しぶり、早いね」


 私を見つけた愛の顔が、ぱぁっと華やいだ。


「久しぶり、会いたかった」


 嬉しそうな声色に似合わない表情をした彼女は今にも泣き出しそうだった。


 レストランに入ると既に予約されていて、スムーズに席へと誘導された。

 愛は昔からこういうは所ちゃんとしている。


「予約してくれてありがとう」

「私から誘ったからね」


 夜景の見える窓際の席は眺めがよく、自分が大人になったんだと実感する。


 店内ではピアノの生演奏が流れていて、薄暗い空間を彩っていた。

 テーブルにひとつ置かれた蝋燭も甘い雰囲気を醸し出している。


 3年ぶりの再会という事もあり、お互いの距離感をさぐり合う時間が続いた。


 仕事は何をしているか、どこに住んでいるか、最近はまっていることは何かとか、そんな他愛もない会話はゆっくりと私達の空いた時間を埋めていく。


 お酒も進み、コース料理は残すところデザートのみとなった。


「秋は恋人できた?」

「いないよ」


 準備した質問だなと思った。

 多分これを聞きたくて私と今日あったのだろう。

 それが手に取るように分かるくらい愛の声は震えていた。


「そっか、ひとつ聞いてもいい?」

「なに?」

「まだ3年前に言っていたあの人の事が忘れられない?」


 放たれた言葉は剣のように鋭く私を突く。


 目を閉じる。

 息をする。




 3年前に大学を卒業する時、愛に好きだと告白された。

 好きな人がいるから付き合えないと断った。

 本当は卒業する前から愛の気持ちには気がついていた。

 それでも、その感情を私に伝えてこない彼女に甘えていた部分もあったと思う。


 最初は愛に付きまとわれて始まった関係だったが、

 一緒に遊んでいるうちに友達になっていた。

 だから告白された時、この友情を失いたくないと思った。


 でも、どうしても彼女と恋愛関係になる想像が出来なかった。


 いや、違う。


 この先、愛とずっと一緒にいても水野 沙生以上に好きになれる自信がなかった。

 だから愛とは付き合えなかった。



「うん」

 テーブルのローウソクが揺らいでいる。

 どうしてこんな事を聞くのだろう。

 好きじゃないと答えたらもう一度私に気持ちを伝えるつもりだったのだろうか。



 デザートのジェラートがテーブルに置かれる。

 2人とも、それに手をつけようとはしなかった。



「その人に、付き合ってる人がいても好きでいるつもり?」


「どうしてそんな事聞くの?」


 ピアノの音が遠のく。

 さっきまでクライスラーの曲が美しい旋律を奏でていたはずなのに。


 嫌な予感がした。


「秋が留学したから私も追いかけて留学したの。だから前から二人が仲がいい事は知ってた」


 愛が何を言っているか分からない。

 この話は何処に向かっているのだろう。


「チャンスだと思った、二人が離れて。やっと秋に近づけるって。でも駄目だった。秋は水野先輩から離れたくせにずっと未練タラタラで私の事なんて一度も見てくれなかった。」


「ちょっとまって、全然分からない」



「…秋に振られてから水野先輩を探して、大学を卒業したら水野先輩がいる会社に就職した」


 頭が真っ白になる。愛が沙生に会ってる?

 なんで?なんのために?


「入社したら直ぐに水野先輩に近づこうと思った。でも、先輩は思ったよりも慎重な人ですぐに行動したら駄目だった。」


「本当に待って、やだ」


 聞きたくない。

 他人の口から沙生の話なんて聞きたくない。



「だから時間をかけた。ゆっくり信頼関係を築いていった。水野先輩はずっとどこか寂しそうだったから、あとはそこにつけ込めばいいだけだったから…」


 バンッ


 周りの空気が固まる。


「もう、やめて」


 テーブルにお金を置いて店を出た。

 最悪の気分だった。

 自分の感情をコントロール出来るくらいには、大人になったと思っていた。


 でも、駄目だった。

 どうしても聞きたくなかった。



「秋!待って」


「付いてこないで、ごめん今は話したくない」


 掴まれた手を振りほどこうか考える。


「諦めようと思った、でも無理だった。私は秋のことが好き、ずっと好きだった」


「沙生とはどういう関係?」


「水野先輩はずっと秋の事が好きだった。でも、ずっと辛そうだったの。その姿が自分に重なって、本当に支えたいと思った」


 沙生がずっと私を好きだったと聞いて、泣きそうになっている自分に呆れる。


「だけどそれだけじゃなかった。私は秋に振られてから、秋がどうしようもなく好きな人を自分のものにしたいってずっと思ってた。」


「私に振られた復讐をしたかったって事?」


 フッ、と愛が笑った。


「分からない。でもそうかもしれない。秋の欲しいものを手に入れたかったのは確かだけど。」


 私、水野先輩と付き合ってるの。


 愛はそう言うと私の手を離した。


「沙生は今、あんたの事が好きなの?」


「セックスはするよ」


 手を挙げそうになるのを抑えて拳を強く握りしめた。


「大切にする気がないなら今すぐ別れて。少しでも沙生を大切だと思っているなら今した話は一生、誰にも言うな」


 怒りを抑えるのがやっとで口調が荒くなる。

 なんなら今すぐこいつを殺してしまいたい。


 冷静になろうと息を深く吸う。


「そしてもう二度と私の前に現れないで」


 そのまま歩き出す。


 最後に愛がどんな表情をしていたのか分からない。

 知りたくもなかった。














 ※※※※※※※※ 成瀬愛



 初めて船見秋を見た時、こんなに美しい人がこの世にいるのかと驚いた。

 友達にその事を話すと、確かに凄い綺麗だけどあんたは騒ぎすぎと呆れられていた。

 とにかく船見秋の顔は私の好みに恐ろしいくらいピッタリとはまっていた。


 食堂にいる時や、移動している時、何度も話しかけようと試みたが、隣にはいつも友人いてチャンスがなかった。


 そして、船見秋を観察していると水野沙生という同級生と仲がいいことが分かった。

 二人の仲の良さは傍から見ても一目瞭然だった。

 それに加えて、何故か割って入れない二人の空気があった。

 私は遠くから二人を見ていることしか出来なかった。


 だからチャンスだと思ったのだ。

 船見秋が留学すると聞いた時。

 親に頭を下げて直ぐに留学の準備をしてもらった。


 正直、自分でもここまでストーカーの様なことをするのは気が引けたが、ここを逃したらもう二度とこんな機会ないと思い行動に移した。


 そしてその行動によって、その後のストーリーは私の思った通りになった。

 ある一点を除いては。


 船見秋が水野沙生を思い続けていること。



 そこだけが誤算だった。

 どんなに仲良くなっても秋は私を見てくれなかった。

 恋愛映画を見た時、綺麗な景色を見た時、ふと窓の外を見ている時、隣に居るのは私なのに違う人を想っていることが分かる。

 その瞬間が私は世界一嫌いで、辛かった。


 秋が大学を卒業する時に告白をした。


  結果は予想通りだった。

 その時に、私は強く決意した。

 愛する貴方にもこの気持ちを味わって欲しい。


 欲しくても絶対に届かない絶望を。








 ※※※※※※※※10月12 夜


「こんな時間に来るなんて珍しいね」


「ちょっと会いたくなっちゃって」


「なに?どうしたのなんかあった?」


「別にぃ」


 成瀬が私を抱きしめてくる。

 こんな時間から家に来るなんて初めてで少し心配になってしまう。


「今日、記念日でしょ」


 あぁ、と思う。

 だから逢いに来てくれたのか。


「律儀だね。別に約束してないし無理して来なくても良いんだよ」


「本当に会いたかったから」


 そう素直に言われると反応に困る。

「そうだ。ケーキあるよ、食べる?」


「え?本当!? デザート食べ損ねたから嬉しい」


 キラキラとした目で嬉しそうにしている。

 ケーキ、一人で食べなくて良かったと思った。




「ショートケーキだ!」


「成瀬が好きって言ってたから」


「さすが水野先輩!」


「…」


「水野先輩ー?」


「二人の時は、名前呼びの約束じゃなかった?」


「そう言う沙生さんだって苗字呼びじゃないですか」


「そ、それは!恥ずかしいから」


「じゃあ私も苗字で呼びます」


「…愛」


 成瀬が私の手に触れる。

 そのままキスをされた。

 押し倒され服の中に手が入ってくる。

 好きな感覚だった。


 ゆっくりとお互いを確かめるようにするキスは思考が止まるくらい気持ちがいい。

 そのままベッドに行く。


 部屋は暗くお互いの吐息だけが聞こえる。

 でもそれで十分だった。

 肌の温度、質感、それら全てでお互いの気持ちは確認できた。

 触れられた部分が熱を持つ。


 そしてだんだん暗闇に目が慣れてくる。


「ちょ、成瀬もうむり…」

 いつもはすごく優しい成瀬なのに今日はちょっと意地悪だ。


「名前で呼んでください」


「愛…

 愛?」


 二人とも息が切れている。

 身体中に付けられたキスマークが痛い。


「どうしたの?

 なんで泣いてるのよ」


「ごめんなさい」


 こぼれる涙を優しく拭き取る。

 そのまま優しく抱きしめる。


「大丈夫だから、泣かないで」


 ゆっくりと、丁寧に、優しくキスをする。


 成瀬を仰向けにさせる。


「愛の事が好きよ」


 首をなぞっていく。


「キスマーク、すみません」


「別にいいよ、明日仕事休みだし」


 成瀬は体の線は細いが以外と出るところは出ている。

 胸にキスをしながら、顔を見ないように聞く。

「どうして今日はなんていうか、その、激しかったの?」


「無意識でした、ごめんなさい」


 いつもなら、こう言う質問にはふざけた回答をするのに。

 キスをするのをやめて成瀬を見る。


「成瀬、何があったか言いたくないなら言わなくてもいい。でも、言いたくなったらちゃんと話して」


「どうしてそんなに優しいんですか?

 沙生さんが嫌な人だったら良かったのに」




 成瀬はそう言うとまた泣いた。

 その夜、私はどうして成瀬が泣いているのか分からなかった。

 翌朝、目を覚ますと成瀬はもう居なかった。

 テーブルには今日の17時に、後で送る住所に来てくださいとメモが置いてあった。









 ※※※※※※※※10月13



 結婚式はとても素敵だった。

 瞳さんのドレス姿はとても綺麗で似合っていて、

 旦那さんとも仲が良さそうで安心した。


 式と披露宴は15時には終わった。


 正直な所、やっと終わったと思ってしまう。

 昨日の出来事が式中ずっとループしていたからだ。

 これから自分がどうすべきか悩んでいた。

 答えは見つからないまま帰国の時間は迫っていた。




 荷物をまとめホテルをでた。


 19時の飛行機に乗らなければいけないのでもうそろそろ出ないと間に合わない。


 ホテルのロビーで鍵を返す。



「秋?」


 名前を呼ばれた気がした。


 ずっと聞きたかったあの声。

 間違えるはずは無い。


「沙生」


 目が合った瞬間心臓が止まりそうになった。

 毎日、一日たりとも忘れたことがなかった人が目の前にいる。


「秋、どうしてここにいるの?」


 沙生が私に近付いてくる。

 その姿は5年前と変わらず綺麗だった。


「知り合いの結婚式で。昨日、日本に帰ってきたんだ。沙生はどうしてここに?」


「あ、えっと。友達と待ち合わせしてて」


「ああ、そうなんだ」


 その友達ってもしかして、と喉まで出かかって抑える。

 お互い聞きたいことや、話したいことは沢山あるはずなのに言葉が出てこない。


「沙生、5年前は突然居なくなったりしてごめんなさい。色々あって、全部に自信がなくなってそれで…」


 上手く言葉が出てこない。

 沙生は何も言わずにただ私を見つめている。


「5年前、沙生が好きだって言ってくれた時、ちゃんと私も好きって言えばよかったって後悔してた。

 でも、あの時の私は感情に名前を付けるのが怖かった。名前をつけた途端、陳腐で脆くすぐに壊れてしまう気がしたから。でも違った。感情の名前とか、関係の名前とか本当はどうでもよかったんだ。」


「ただ、私は沙生が好きなだけだった」


 5年ぶりに会えた好きな人の前で私は泣いている。


 もし再会できた時は爽やかにとか、色々想像していたのにこれじゃ台無しだ。


「私も秋のことずっと好きだったよ」


 その言葉に私は救われる。

 沙生を思い出して寝た夜。

 その数えきれない日々に意味が与えられていく。


「5年間、ずっと沙生の事だけ好きだった。その気持ちは今でも変わってない。今度は絶対に居なくなったりしないから沙生のそばにいたい」


 自分の思いの丈を語る。

 沙生には届いているだろうか。

 窓から差し込む光が、帰りのフライトには間に合わないと告げていた。


 この場に沙生を呼び出したのは恐らく愛だ。

 私がこのホテルに泊まっていることを知っているのも、何時に空港に向かうのか知っているのは彼女しかいなかった。

 なぜそんな事をするのだろう。

 私と沙生をここで引き合わせるなんて何を考えているのだろうか。

 思考が休まらない。



「ありがとう。

 秋の気持ちを聞けて良かった。

 でもごめんなさい、秋とは居られない。

 私、付き合ってる人がいるの。」



 この時やっと私は理解した。

 成瀬愛という女が、私と沙生をどうして引き合わせたのかということを。












 絶対に届かない願い。


  貴方も私と同じであってほしい。



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この感情に名前をあげましょう 香月 詠凪 @SORA111

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