季節外れの言葉たち



 曇天の夜だというのに街は、晴れの日のように明るい。

 そして、周りを見渡すと多くの若い男女が腕を絡ませて幸せそうに見つめあっている。

 今日、この街には恋人たちが溢れかえっていた。

 理由は明白だ。

 12月24日

 これを聞けば誰だって、今日がどんな日か分かるだろう。

 そう、つまり今日はクリスマスイブ。

 日本中の人たちを少し特別な気分にさせる特別な日だ。本来この日は、12月25日のキリストの誕生日を祝う前日だったはずだ。でも、不思議なことに、この国では12月24日がメインとなっている。

 よく考えるとおかしな事だけど、今ではこれが普通になっていた。

 たとえ間違って根付いてしまったものでも、それが大衆に受け入れられたら普通になってしまう。

 なんか、へんなの。

 そんなふうに思って息を吐き出す。

 溜息のように吐かれたそれは白く、雪を連想させた。

 勿論、雪なんて降っていないのだけれど。

 ちょっと楽しくなってもう一度息を吐いてみる。さっきよりも、白が濃くなっていた。

 街は暖色に包まれているのに、私だけ寒色のベールを掛けられているように感じる。

 要するに、とても寒かった。

 私はこの寒空の下、三十分ほどずっと自販機の前に立っている。

 相変わらずの遅刻魔。

 待ち合わせの相手は、栗色頭の女の子。

 自由で、美人で、優しい。

 特別な日に会う価値が十分にある人だ。

 でも、ちょっと遅すぎる。

 これからは、紹介文に遅刻魔も付け足しておこう。

「ねぇ、君一人?」

 ずっと下を向いていたので気が付かなかったが、顔を上げると目の前に男が二人立っていた。

 ちょっと、まずい予感がした。

 そして、大体こういう予感はよく当たる。

「ずっと一人で立ってから気になってさ、どうしたの待ち合わせ?」

 いかにもチャラそうな金髪男が体を寄せてくる。

 なるべく目を合わせないように無視を貫く。

「ん?あれ、もしかして俺ら会ったことある?」

 金髪男の顔が更に近づく。

 男からは嗅いだこともないような甘ったるい香水の匂いがした。

 全然すきな香りじゃない。

 私が好きなのは秋からするような優しい洗剤の匂いなの。

「あっ!思い出した。前に合コンで会ったよね?」

 ん?合コン...?

 身に覚えがあり、じっと金髪男の顔を見る。

 あの日は凄く酔っていたから、記憶があまり無かった。

 誰だっけ?

「覚えてない?俺だよおれ、古谷」

「えっと、ごめんなさい」

「やっぱり覚えてないかぁ。あの後、いつの間にか二人帰ってたから驚いたよ」

「なに?まじで知り合いなの?」

 金髪男の友人が私達をみて面白そうにしている。

「ねぇ、こんな所で再会できるとか運命感じない?」

 え、運命?

 全然、感じない。

 正直、合コンの時の記憶は全て忘れてしまいたい。確実にあの日は私の黒歴史だ。

「ごめんなさい、人を待っているので」

「彼氏とか?」

 諦めが悪い金髪男はグイグイと距離を詰めてくる。本当に勘弁して欲しい。

 こんな日にまでナンパなんかして。どれだけ女に飢えているのだろう。ちょっと怖い。

 何も言わないでいると金髪男に手を握られた。

「手めちゃくちゃ冷たいじゃん。どっか食べに行こうよ」

「え、いや、ちょっと」

 抵抗するが金髪男の力は強い。

 焦る。

 ずっと静かだったバッグの中のスマートフォンが突然唸り始めた。

 冷えきって固くなった手でそれを取り出す。

「もしもし、沙生?ごめん遅くなった。今どこにいる?」

「駅前の、自販機の、まえ」

 声が微かに震える。

 電話の向こうから息を飲む音が聞こえた。

「...!そこ、絶対動かないで」

 電話が繋がったまま秋の声だけが消えた。

「なに?結局くるの?」

「はい、だから離してください」

 強く握られた手を見つめ必死に訴える。

 それでも金髪男は全く手を離そうとしない。

 ちょっと、ちょっと、痛いんだけど。

 だんだん恐怖心よりも苛立ちが勝ってきた。

 本気で抵抗しようと思ったその時、金髪男と沙生の手の間にもう一つの手が現れた。

「ちょっと、何してんの?」

 その手は触れたら壊れてしまいそうなほど細く白かった。

 手の持ち主は息を切らし、顔が紅色に染っていた。

「秋、遅いよ」

「本当にごめん」

 秋は反省したように下を向いていた。

 金髪男は秋の登場に一瞬怯み手を離した。

「ねえ、せっかくだし女の子二人なら俺らと一緒に遊ばない?」

「すみません、そういうの要らないんで」

 はっきりとした拒絶。

 秋はそのまま沙生の手を引いて物凄い速さでその場を立ち去った。


 近くのコンビニに入り二人はやっと安心したように一息ついた。

「助けてくれてありがとう。でも、なんでこんなに遅かったの?」

「ちょっと、用事があって。本当にごめん。こんなことになるなら絶対遅刻なんてしなかったのに」

 萎れる秋を見て、そういえば今日はクリスマスイブだったのだと思い出す。

 特別な日、だから特別に許してあげよう。

「もういいよ、とりあえず予定より大分遅れちゃったから急ごう」

 実は今日、里美と奈穂そして沙生でクリスマスパーティーをやろうとなっていたのだ。

 その話をしている時に秋も居合わせて、奈穂が秋を誘った。

 最初は秋も遠慮したが、里美が人数が多い方が楽しいと珍しく押していて、秋も根負けして参加することになったのだ。

 会場は里美の家。

 企画者は奈穂だった。里美が彼氏と別れたらしく、それを慰める会も兼ねているらしい。実に彼女らしい発想だ。

 私もクリスマスの予定は残念ながら空いていて、誘われた時に二つ返事をした。

 唯一の彼氏持ちの奈穂は、彼氏が24日アルバイトで会えないため25日に会うと言っていた。

 そういう訳で、異色の四人でクリスマスパーティを開催することになった。

「なんか買ってく?」

「先に奈穂と里美が料理とか作っててくれるらしいから、お菓子とかお酒買っていこう」

 そのままコンビニで買い物を済ませ里美の家に向かった。

 里美の家には何度か遊びに行った事があったため道順は覚えている。

「ねぇ、さっきの金髪男のこと覚えてる?」

「さっきのって、ナンパ男?」

「そう、合コンの時にいた古谷さんだっけ?らしいよ」

「へぇ、全然覚えてないなあ」

 そうだよね、と秋が覚えていないことになぜか少し安心した。


 里美の家に着くと、もうテーブルには豪華な料理が並べられていた。

 それは某有名店のチキン、某有名ピザ屋のピザ、既製品のケーキ、スーパーで売っている詰め合わせ惣菜などなど。

「ねぇ、これって...」

 奈穂が慌てて釈明を始めた

「いや、あのね、作ったんだよ!

 ちゃんと...。でもね、わたしたち料理の才能が無かったみたいなの」

 里美が後を続ける

「絶対失敗しないとか嘘ね。あれは、あのサイトが悪いのよ」

 そんな二人をみて秋が笑っている。

 まあ、私としては手作りでも既製品でも、美味しければどちらでもいいと思うんだけど。なぜか二人は手作りじゃ無いことを恥じているようだ。

 里美はぶつぶつ料理サイトの悪口を言っている。

 秋は買ってきたお酒を奈穂に渡していた。

 奈穂と秋が二人で話しているところを初めて見た気がする。なんだか変な感じだ。

 でも、仲のいい子が自分の友達とも仲良くなるのはなんだか嬉しかった。

 自分が受け入れられているような気持ちになる。悪くない。

 既製品で埋め尽くされたテーブルを四人で囲みクリスマスパーティが始まった。

 コンビニで買ったお酒で乾杯をすると、隣にいた里美がすごい勢いで缶を空にした。

 顔が真っ赤だ。こんなこと今まで一度もしなかったのにどうしたのだろう。

 クリスマスのせい?

 それとも、彼氏と別れたから?

 多分、わたしのせいでは無いはずだ。

 この間のことは既に解決していたし、里美が珍しく一日学校を休んだ次の日から関係は修復し始めていたはずだから。

 深く考えても良く分からないので、とりあえず里美が飲みすぎないように見張っておく事にしよう。

 まだ、ほのかに温かいフライドチキンを1ピース取る。油で唇が潤うのが分かる。久しぶりに食べたチキンはとても美味しい。

 秋も同じものを食べていた。

 ピザを食べながら奈穂が秋に話しかけた

「船見さんて凄い美人で怖かったけど、話すと優しいし、面白いよね」

 ピザのチーズをビヨーンと伸ばしながら奈穂は秋に笑いかけた。

 秋はちょっと照れくさそうになんか言っていたが聞き取れなかった。

 秋と奈穂は気が合うのかもしれない。二人はあまり人見知りしない性格だから直ぐに打ち解けていた。

 そういえばと思い出し里美を見ると、食べ物に手をつけずにお酒を飲み続けている。

 そんなに酔いたいのだろうか?

「里美、なんか食べたら?」

「あ、うん」

 大丈夫かなと心配になる。

 そして、その心配は的中する。

 どうやら今日はそんな日らしい。


 二時間ほど話し、食べ続けた私たちは、締めのケーキへと取り掛かっていた。

 秋と奈穂は完全に打ち解け、前から友達だったんじゃないかと思うほど距離が縮まっている。

 そして、里美は潰れた。

 あれだけ飲んだらなぁ、うん、潰れるな。

 里美の前には空き缶が転がっていた。

 彼女の顔はゆでダコみたいに真っ赤で、目がとろんとしていて少し色っぽく見えた。

「どうしよう、完璧に潰れてる」

「だよね...困ったなあ」

 さすがに酔っ払い一人残して帰ってしまうのは出来ない。

 結局、奈穂が里美の家に泊まることになった。四人で寝るには里美の部屋は狭すぎるからだ。

 奈穂が一旦家に帰ってお風呂と荷物を持ってくるまで私と秋が留守番することになった。

 とりあえず、奈穂が帰ってくるまでにテーブルのゴミたちを片付けなければ。

 せっせと残骸たちをゴミ袋に入れていく。

 二人で散らかった部屋を片付け、奈穂の帰りを待つだけとなった。

「お疲れ」

「お疲れ、ちょっと電話入ってたから掛け直してきていい?」

 秋がそう言いベランダに向かった。

 こんな時間に、こんな日に誰からだろう?

 でも、聞かなかった。

 部屋には私と里美の二人っきりになった。

 時折、里美が苦しそうな声を漏らした。

 なんだか放っておけなくなり、背中や頭を摩ってみた。

「おぉい、大丈夫かぁー?」

 里美がこっちを見た。

 目が合う。

 私の知っている里美のはずなのに、なんだか違う人のような気がした。

「ふなみ...さん」

 え?

 聞き間違いだったのだろうか。

 船見さんと里美が言った気がした。

 なんで?

「里美?」

「行かないで、すき、なの。ごめんなさいごめんなさい」

 凄く、聞いてはいけないことをきいてしまった気がする。

 これは、不味い。

 里美はまた苦しそうに喘ぎ、静かになった。次第に穏やかな寝息まで聞こえてきた。

 聞かなかったことにしよう。

 そう思うのに、なぜか胸がすごく傷んだ。


 しばらくして奈穂が戻ってきたので、私たちは帰ることにした。

 二人で夜道を歩くのは何度目だろうか。

 これから何回歩けるのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

「ねぇ、沙生」

 ずっと無言だった空気を埋めるように秋が話しかけてきた。

「なあに?」

「これ、プレゼント」

 秋の手には小さな箱があり、沙生に向かって突き出されている。

 私にか?

 なぜ?

「ありがとう?なんで?」

「ほら、クリスマスだから」

 あぁ、そうか。クリスマスはプレゼントを渡すんだったっけ。家族からプレゼントを最後に貰ったのが中学生までで、それ以来、誰からも貰ってないしあげても無かった。

 そこら辺の常識的なものが私からは抜けていたから、このサプライズには素直に驚いた。

「ごめん、私なにも用意してない」

「いいの、いいの。そういうつもりじゃないから」

 私が沙生にあげたかったのと言った。

 開けてみてと言うので、綺麗にラッピングされた包装をとり、小さな箱を大切に開く。

 そこには可愛い星のデザインをしたピアスが収まっていた。

「かわいい」

「沙生にピッタリだって思ったんだ」

「凄く嬉しい。どうしよう、私も何かお礼したいな。欲しい物ある?何でもいいよ!」

 ドキドキした。初めてのピアス。まだ開けてないけど、早く開けたくなった。

 秋ってセンスいい。

 箱の中で、今日は見えない星がピカピカと光っている。とても素敵なプレゼントだ。

 秋が考えるようにうーんと言った。

「本当になんでもいいの?」

「あ、百万円頂戴とかは勘弁ね」

「じゃあキスして」

「へ?」

 完全に予想外だった。そう来るとは思わなかった。驚きすぎて、言葉が見つからない。

「嫌だったらいいよ、しなくて」

 少し傷ついたように秋が笑う。

「嫌では...ない」

「よかった」

「でも、なんで?」

 秋はそれ聞く?とでも言うように少し困った顔をした。

「したいから、じゃだめ?」

 キスをしたいからする。それはキスをする理由で当然のことだ。

 ただ、友達同士でキスを求めあったりするのだろうか。

 そして、私は秋とキスするのが全然嫌じゃない。

 これって普通なのか?

「分かった、いいよ」

「本当に?」

「うん」

 秋が目を瞑る。

 私の方が背が低いので背伸びをすることになった。

 自分からするってこんなに緊張するんだ。

 心臓がうるさい。

 唇がずれないように少し目を開けて位置を確認する。

 その時、秋と目が合った。

 瞬間、心臓からドロっとしたものが体全体に送られ、有り得ないほどの幸福に包まれた気がした。

 あぁ、まただ。

 前にもこんな感覚になったことがある。

 それも秋といた時だった。

 これは何なのだろう。

 どこかくすぐったくて、暖かくて、苦しくて、この感情の名前は何なのだろう。

 唇が触れ合う。

 そのままゆっくりとキスをし、酔いしれる。

 前のような一瞬のものではなく、今度はちゃんとしたキスだった。

 甘く、切ない気分になる。

 それと同時に、里美の言葉が過ぎる。

 あの言葉の意味は、きっと、多分そういう事なのだろう。

 私は開けていた目をそっと閉じた。



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