枯れ時
秋に手を取られたまま、あれよあれよと連れてこられたのはカラオケだった。合コンの日のことを思い出す、後悔と羞恥が波寄せて来そうで身震いする。
「カラオケ来るのあの合コン以来かも」
「私も」
「前はよく一人でカラオケ行ってたんだけどな」
「えっ!一人で!?」
「うん、一人で」
私にはとても理解できないことだった。そもそも、カラオケ自体が苦痛なのにそれにわざわざ一人で行くなんて…考えただけで気分が重くなる。
「なんだか、凄いね」
「そう?結構普通だと思うけど」
普通なのか、うーん、やっぱり他人の価値観は共感しにくい。
ドリンクバーでココアを入れ部屋へ向かう。秋はメロンソーダと烏龍茶のダブル持ちをしていたので私がドアを開けた。
部屋に入るなり秋はマイクなど諸々のセッティング?的なことをし始めた。なんだか怖くなってきた、想像以上にガチっぽい。
「なんか歌える曲ある?」
いきなり話しかけられたので、飲んでいたココアが驚いた。
「ない」
「じゃあ、知ってる曲は?」
「…国歌」
「それ本気で言ってる?」
「ごめんなさい」
結構本気だったのだけど、秋にはふざけていると思われたらしい、地味に傷付く。
「まあいいや、有名な曲ならサビくらい分かるでしょ」
「うん」
どうやら歌を好きになるというより、強制的に歌わさせられるシステムらしい。そんなこと聞いていないぞ、人前で歌うくらいなら一人カラオケの方がまだマシだ。
「はい」
マイクを渡される。小学生の頃教科書に載っていた有名な曲が流れ始める。これは忘れもしない忌まわしき大好きな曲だ。なんでこのチョイスなんだろうねえ、嫌でも歌えなくなったあの日のことを思い出してしまう。今でもこの曲が流れると喉元がうっとなる。そんなことを何も知らない秋はいい選曲だと思っている。
「世界に一つだけの花、これなら歌えるでしょ」
「う、ん」
「沙生はサビのところではいって、他の所も歌えそうならよろしく!」
イントロが終わり秋が歌い始める。合唱の時とは違う声質だか相変わらず綺麗な声だ。この曲でなければうっとり聞き惚れてしまいそうなくらい。あぁ、この曲でなければ良かったのに。
分かってる、秋は何も悪くない。私のトラウマも何も知らないから、でも心がザワつく。私はまだまだ子供だった。自分で決めた殻に閉じこもって、一人で喚いているようなこども。だけど、いつか誰かが手を差し伸べてくれるのをずっと、どこかで期待していた。そして今、その手が差し伸べられている。この手を拒絶したらきっと私は変われない。歌だけじゃなくて全てにおいて、そんな気がした。
あぁそうだ、秋は何も知らなくていい、私のトラウマも、なにも。私に対して遠慮とか先入観のないまっさらな状況、それが心地いい。だから、私はあなたの知らないところで変わる。秋と一緒にいると自分が変わりたいと思う。それが良いことか悪いことかは分からない。でも、秋と一緒にいる時の自分は好きだ。
だから、変わるよ、わたし。
秋の声と私の声が重なる。私が入った途端土砂崩れした崖のように歌が崩れた。それでも私は歌い続ける。必死に画面だけをみた、とてもじゃないが秋の顔は見られなかったからだ。
曲が終わり一息つく、緊張した。ちゃんと歌えていだろうか。音程は気にしないとして。必死すぎてそこら辺の記憶が飛んでしまっていた。まだ心臓はどきどきしている。
「歌えるじゃん」
「へ?」
マイクを持った秋がずいっと近寄ってきた。
「音程もそこまで酷くなかったし、練習というか、沢山歌えば絶対上手くなるよ」
「ありがとう?」
「沙生が自分のこと音痴とか言うからもっと凄いと思ってたけど、全然平気だったから調子狂ったわ」
「なにそれ、褒めてんのか貶してんのかどっちよ」
「褒めてるほめてる」
「なら、いい。でも、次は秋一人で歌って」
「えー、一緒に歌おうよ」
「秋の歌聞きたいの」
もう歌うの疲れたし、人前で歌った自分を甘やかしてやりたかった。
「いいけど、その後沙生も一人で歌ってね」
「ちょっとスパルタ過ぎない?」
「違うちがう!えぇっと、あの、」
「?」
秋が珍しくどもっている、何か言い難いことでも言おうとしているのだろうか。少し身構える。
「沙生の声が、すき、なの」
好きという単語にどきりとする。
「声?」
「いや!変な意味じゃなくて、さっき一緒に歌って、沙生の声好きだなあって思って、ちゃんと聴きたくて、だからスパルタとかじゃない」
「私、音痴だけどいいの?」
「沙生は音痴じゃないよ、もっと歌いこめば音取れるようになるし、そんなの関係なく沙生の声が好きなの」
必死に話す秋が面白くて、それがなんだかとても愛おしく思え笑ってしまった。心が緊張から解かれ、温かいものに包まれる。
こんなこと言われたら歌を好きになるしかないじゃないか。これは一人カラオケも必須だなと思った。
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