枯れる声




 私は歌うのが苦手だ。

 小学生の頃は歌うことが好きだった。でも、音楽の授業で大好きな曲を歌うことになり、私は嬉しくて大きな声で歌った。普段はあまり大きな声で歌わない私は、変に思われていないか内心どきどきしていた。

 曲が終わり、隣の男の子がニヤニヤしながら悪魔の言葉を大声で叫んだ。

「お前、すげー音痴だな」

 彼はクラスのリーダー的存在だった。周りの人達がわぁっと笑い出し、私はその瞬間羞恥に襲われた。

 あの日から私は人前で歌っていない。




「皆さん、声が小さいですね」

 放課後、早速ベンの合唱指導が始まった。参加人数は、クラスの3分の2程度だろうか。

 皆まじめだなあ、なんて呑気に思う。いや、真面目な訳ではないな、授業の最後に言ったベンの言葉を思い出す。

「沙生、これ帰っちゃ駄目なの?」

 秋は面倒くさそうに、歌詞の書いてある紙を振り回した。

「んー、単位欲しいなら帰らない方がいいと思うよ」

「どういうこと?」

 秋は寝ていたから聞いていなかったのだろう。

「あのね、」

 授業の最後に、ベンがなんて言っていたか伝えようとしたら、肩をポンと叩かれた。

「ボクの単位はテストだけでは取れないということです」

 振り向くとベンが満面の笑みでこちらを見下ろしていた。秋はぽかんとしている。

「船見さん、貴方は授業中よく寝ていますね」

「はい」

「ハハッ、正直で良いですね。ボクの成績評価基準はテスト3割、授業貢献度、態度で7割です。言っている事分かりますよね?」

「なるほど、死ぬ気で参加させていただきます」

「期待していますよ」

 ベンは再びにっこり笑い、別の生徒に話しかけに行った。

「ってことらしーよ」

「前の先生はテスト100%だったから、舐めてた」

 私はテスト100%の方がきついが、秋は違うらしい。

「仕方ない、真面目にやるか」

 そう言った秋のプリントはくしゃくしゃで、とてもじゃないけど歌詞が見えなさそうだ。

「それでは、もう一度歌ってみましょう」

 いつの間にか、前に戻ったベンが指示を出してた。同時にCDカセットではなく、スマホからワイヤレスで繋がったスピーカーから伴奏が流れ出す。

 あぁ、憂鬱だ。

「ごめん歌詞見えないから、沙生の見せて」

 そうだろうなあ、と思い秋に自分のプリントを近づける。少し動けば秋の肩とぶつかりそうだ。なんだか少し緊張する。

 秋の方が私より背が高いため、少し猫背になって私のプリントを見る形になった。そうすると顔も必然的に近くなるわけで、うん。案の定目が合う。私が先に目を逸らすのだろうと思っていたが、予想外に秋が先に逸した。

 意外だった。いつもは大体目が合うと私が逸らすか、秋が先にニッコリ笑うかの二択だった気がする。そんなこんな考えている内に前奏が終わり、歌わなければいけない所になっていた。勿論、私は口パクなのだけれど。

 口をパクパクさせていると、秋の歌声が隣から聴こえた。綺麗な英語の発音と、それにずるいくらいにマッチした歌声。秋って本当にチートキャラだ。


「先程よりも良かったですね、明後日は昼休みに練習を行いますので、今日来ていない人には来るように伝えておいて下さい」

 ベンはスピーカーをサッと鞄にしまいsee you と言い残し去っていった。なんともキザな去り方だ。

「沙生歌ってた?」

 ギクリとする。合唱が終わったと思い、完全に緩んでいた私に秋は容赦なかった。

「歌って、ない、ね」

「なんで?」

「歌うの、苦手だから」

「そうなの?」

「そうなの」

 先生に怒られる小学生みたいだ。別に秋に対して悪いことをしたわけじゃないのに、責められた気分になる。

 秋を見るとうーん、と何かを悩んでいた。

「カラオケ行かない?」

「いやいや、なぜそうなった」

 私、歌うの苦手って言ったよね?聞いていなかったのだろうか。

「いや、歌うの苦手でもカラオケ好きって人いるから」

 そんな人居るのか?歌うの苦手でカラオケ好きって、矛盾しすぎてて笑う。

「その人は相当変わっているね」

「ははっ、変わってるか、確かにそうかも」

「え?」

「あたしだよ、その人」

 彼女はたまに良く分からない事を言う。だって

「嘘っぽい、秋歌上手いじゃん」

「あれ?あたしの歌聴いたことあるっけ?」

「さっき、隣で歌ってたじゃん」

「あー、確かに」

「なんで歌上手いのに苦手なの?」

 私も、あんなに歌が上手ければ苦手になんてならなかっただろうに。なのに、秋は苦手だと言う。無性に論破してやりたくなった。

「合唱の歌って人に合わせなきゃいけないから苦手なの」

 白旗を挙げた。そもそも、秋と私で話の論点がズレていたのだ。秋は私が合唱を苦手と言っているのだと思っている。それは違う。私は歌う事自体が苦手なのだ。こんなに分かり易い会話に思えても、今まで培ってきたものの違いが浮き彫りになり苦笑してしまう。言葉を濁しても良いことはない。わかり易く、相手に伝えようとする気持ちが大切なのだ。

「私、音痴なの。だからカラオケも好きじゃない」

 正直、あの日以来、私の中のNGワードトップスリーに入る言葉を自ら口にするのはしんどかった。

「音痴だから歌わないの?」

「うん」

「それって誰が決めたの?」

 誰が決めたって、あの男の子?

 違う、多分

「私が決めた」

「沙生はさ、歌うのすき?」

 ずっと歌を苦手だと思って生きてきた。だから、歌を好きとか嫌いの対象に捉えたことはなかった。

「分からない」

「じゃあさ、好きになってみない?」

 秋が私の手を握る。熱血教師みたいだ、手まで熱い。

「えぇ…なんでそこまでするの?」

「あたしも苦手な事とか沢山あるけど、そういうのって、苦手な事のどこか一つでも好きになると楽になれる気がするんだ」

「うーん」

 好きになるって、どこを好きになれば良いのだろう。考えるだけでも面倒くさそう。

「それに、沙生の歌声聴いてみたいし」

 たったその一言だった。

 私の価値観というか世界観的な何かが変わった気がした。何というか、ずっと突っかかっていた枷が外れたみたいな。

 私ってこんなに単純だったけと思う。まぁ、いいか、自分でも理解できないくらいの事が私の中で起こっているのだろう。それに従ってみるのも悪くない。だから、おどけた調子で言う。

「好きになってみますか、歌」

「そうこなくっちゃ」

 秋は、私の手をより強く握った。


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