2章 言葉が色付く季節に

ゆっくりと



 大学には名ばかりの文化祭がある。やる気のある学生達は夏休み中に準備をしているが、殆どの学生は文化祭に興味がない。

 恐らく、大学の文化祭を一番楽しみにしているのは、受験を控えた高校生達だろう。

 そして夏休みが明け、少し経った現在、文化祭に興味がない私は絶望の中にいた。


 話は三十分前に遡る。

 チャイムが鳴り、教室にベンが入ってきた。秋とのお喋りを止める。

 今日もまた、いつもと同じ様にペアワーク中心の英語の授業が始まると思っていた。

 しかし、私の平凡な考えはベンには通じなかったらしい。ベンは言い放った、何でもないように。

「文化祭は、このクラスで出し物をやります」

 …は?

 ブンカサイ?ダシモノ?

 一瞬、意味が分からなかった。

 私の大学では、模擬店や出し物は一部の学部を除いて自由参加だったはずだ。

 しかし、ベンは続ける。

「毎年、ボクが持ったクラスは文化祭で出し物をすることにしています」

 絶望だった。

 出し物をやるという事は、つまり文化祭の二日間学校を休めないのだ。文化祭に参加しない予定だった私は、文化祭前日準備日、文化祭二日間、文化祭後片付け一日、合計四連休のはすだった。

 それがベンの一言で消え、私は絶望するしかなかった。

「皆さんには申し訳ないのですが、当日まであと二週間しかありません。昼休みや放課後残れる方は残って練習をお願いします」

「先生ー、出し物て何やるんですか?」

 後ろの男子生徒がだるそうに質問した。

「おぉ!いけませんね、それをすっかり忘れていました。ボクの出し物は毎年、合唱をやっています」

 嬉しそうにベンが言う。それと対比するようにクラスは葬式みたいな空気になる。

 合唱を大学生になってもやるなんて思ってもみなかった。正直面倒くさい、クラスがこんな空気になることが理解できる。

「合唱は英語で歌います。これから配る日本語の歌詞を英和して下さい、これが今日の課題です。最後に前から一人一行ずつ英和したものを発表して貰います。そして、今日皆さんに英和してもらったものを、本番で歌います」

 なるほど、英語レベルの低い私達にやらせるには確かに丁度いい内容だ。意味や意図が明確に分かることは嫌いじゃない。でも、秋みたいな英語の出来る人は、これをどう思うのだろう。

 そう思い、横の秋を見ると寝ていた。この子は本当に…と思う。

 でも、あの日以来、秋のイメージはちょっと変わった。

 出会って最初の頃は、自由で取り留めの無さそうな子だなあ、と思っていた。しかし、あの日を境にして、自由で取り留めの無さそうなイメージに、優しくて面倒見がいい秋が追加された。

 あれから少し経った今でも、あの日の事を思い出すと申し訳なくなる。

 眠っている秋を見つめる。顔に掛かった髪が無性に可愛く思えて弄りたくなった。

 最近、秋と会わない時に、彼女の事を考える時間が多くなった気がする。秋は今何してるんだろうとか、いい匂いだったな、とか、色々。

 なんだか、秋の事が好きみたいじゃないか。

 いやいや、ないない、と否定する。

 きっと、久々に気の合う友達ができて浮かれているだけだ。それに、家まで泊まって、介抱してもらった罪悪感も有る。様々な要因が重なって、秋の事を考えざる得ない状況にあるのだ、うん、それだけ。

 これ以上考えても無限ループな気がして、考えるのをやめた。

 歌詞の印刷された紙が回ってくる。

 もう少し、寝顔を見ていたい気がした。でも、そろそろ起こさないといけない雰囲気だ。

 そっと彼女の髪に触れ、頬を撫でる。

「あき、起きて」

 秋がゆっくりと目を開く。その目が私を捉えた瞬間、私の心臓は今までにない動きをした。

 胸が痛い、なのに心地いい、初めて感じる 不思議な感覚だった。

「ん、もう終わった?」

 秋は眠そうに顔を上げる。心臓はまだうるさい。

「まだ、これを英訳する課題が出たとこ、授業の最後に答え合わせだって」

 合唱のことには話すと長くなりそうなので後回しだ。

「ふーん」

 プリントを数秒見つめ、秋はまた突っ伏してしまった。

「こらこら、ちょっと」

「あと、三十分は寝れるね」

 三十分後とかもう授業終わってるし。それに、秋は大丈夫でも、私が不味いんだけど。

 仕方ない、さっさと自分が当たりそうな所を終わらせて、秋の寝顔を見よう。そう思うと何故かやる気が湧いてきた。



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