第9話 「夏休みのはじまりの日に」(前編)

 1学期最後の日――、

 その日は普通の高校と同じく、護星高校もやはり終業式だった。


「あっちー……」


 茹だるような暑さの中、校庭に整列させられた生徒のひとりである周がつぶやく。


 終業式なんぞ体育館でやりやがれと思うのだが、あいにく護星高校の生徒数は体育館に入りきるほど少なくはない。尤も、体育館に入ったところで、蒸し風呂のような暑さが待っているだけだろうが。


 山の中なら少しは涼しいのだろうか、などと学校の裏にそびえる山々を見ながら思う。


『これにて終業式を終了します』


 進行役を務めていた先生が告げる。もちろん、周は先生の話などまったく覚えていないが。


 ようやく炎天下の終業式から解放されたのはいいが、解散の指示が出ない。出ないままその先生と入れ替わりに壇上に上がったのは、護星高校生徒会執行部会長兼治安維持部隊隊長、竜胆寺菜々ちゃんだった。


『えー……』


 と言いかけて、その言葉が途切れる。マイクが菜々ちゃんの背よりも高い位置にあったからだ。おかげでうまく声を拾えていないようで、ボリュームもやや小さい。菜々ちゃんは爪先立ちしたり首を伸ばしたりしていたが、ついに諦めてスタンドを低くした。


『えー、生徒会から夏休みの生活についての注意です――』


 菜々ちゃんが話し出す。

 壇上の菜々ちゃんは、周の目には立派な生徒会長に見えた。先生の話は欠片も聞いていなかったのに、菜々ちゃんの言葉には何となく耳を傾けてしまう。


『夏休みだからといって羽目を外し過ぎないように。夜11時以降の外出は条例で禁止されています。生徒会のほうでも繁華街等を中心に見回りをする予定です』


 そのほかにも簡潔な注意がいくつか出て、菜々ちゃんの話は終わった。そして、終業式も終了。生徒はようやく教室へ戻ることを許された。


 だらだらと昇降口へ向かっていると岡本哲平の背中を見かけたので合流する。


「菜々ちゃん会長、やけに夜の徘徊に拘ってなかったか?」

「そりゃ今にはじまったことじゃねーやね。夜の見回りなら普段からやってるって話だ」

「あ、そうなんだ」


 だったら、平素から力を入れている領域なのだろう。夜の徘徊、プチ家出は非行のはじまりといったところだろうか。


「何でも怪人が出るって話だ」

「怪人? なんだ、そりゃ?」

「さぁ? 噂。あくまでも噂だーね」


 言い出した岡本も詳細は知らないらしい。本当に中身のない噂どまりの話なのだろう。


「新手の都市伝説かよ」

「かもしらんね。……ま、どっちにしろ真っ当な夜遊びしてる俺らには怪人も生徒会も関係ねーわな」


 それが結論。


 教室へ戻るとあまりありがたくない通知表が待ち構えていて、それを受け取って1学期最後の日は終了となった。担任が何やら話をしていたようだが、もちろん、周は聞いていなかった。





 放課後は岡本や天根小次郎らとともにどこかへ遊びにいこうかと考えていたが、それぞれに用事があって思ったほど人数が集まらず、結局、夏休み最初の予定を立てただけに終わった。


 靴を履き替えて昇降口を出ると、我らが生徒会長、竜胆寺菜々ちゃんが校門付近で下校する生徒に声かけをしていた。


「菜々ちゃん、さよならー」

「はーい。また2学期にねー」


「会長、今度の試合、見にきてくれよな」

「まーかせて。ちゃんと応援に行くわよ」


「菜々ちゃん、台風が近づいているときに海に行っちゃダメよ。波にさらわれるから」

「心配ありがと。気をつけるわ」


「大人用のプールとかも危険だぞ。足が立たないんだから」

「身の程を知ってるから大丈夫よ」


 変なのが混じっているような気がしないでもない。

 何にせよ菜々ちゃんが皆から愛されていて、菜々ちゃんも生徒のことを心配しているのは間違いないようだ。


 周も少なからず面識があるので、ひと声かけて帰ることにした。


「夜の見回りもいいけど、逆に自分が補導されるなよ」

「ちょっと待ちなさいっ」


 捕まった。


「いい度胸ね、鷹尾。あたしに向かって暗にちびっ子って言ってるわけね」

「何で俺だけっ。つーか、言ってねぇっ」


 口元に好戦的な笑みを浮かべて菜々ちゃんが近づいてくる。周りからは「あーあ、やっちゃった」「バカだな」などと同情混じりの突き放した声が聞こえてきた。


「え? いや、ちょ……」


 迫りくる菜々ちゃんにびびりまくるも、周りは誰も助けてくれそうにない。


 ついに菜々ちゃんが目の前にきた。口の端を不敵に吊り上げ、腕を組んだ構造で睨んでくる。ただ、残念なことに背が低いので、周の胸くらいの高さから見上げるかたちになっているが。


「どうされるのがお望み?」

「い、いや、特に希望は……」


 というか、希望していない。


「そう。つまり、お任せってことね?」

「あんたは板前さんかっ。料理人かっ」


 とか言いつつ、どんなコースがあるのかちょっと気になる周。それを口に出したら、身をもって体験させられるような気がするが。


「あ、そうだ」


 ところが、菜々ちゃんが不意に何かを思い出したようで、ころっと表情を変え、ぽん、と手を打った。


「前から鷹尾に聞こうと思ってたのよ」

「何ですか?」

「鷹尾ンちにさ、メイドさんいなかった?」

「わーっ」


 慌てて菜々ちゃんの口を掌で塞ぐ。なんか苦しそうにもがいているような気もするが、そんなことは後回しだ。そして、同時に周囲を索敵。メイドさん云々を聞かれていると非常に不味い。幸いにして、それは聞かれていなかったようだが、周の行動にぎょっとしているのが数人。それはこれで不味いような気がする。


 と、そのとき横から手が伸びてきた。


「……おい」


 菜々ちゃんの口を塞いでいる腕を掴まれ――


「お前、何やってんの?」

「ッ!?」


 一瞬にして後ろ手に腕を捻り上げられた。肩に激痛が走り、身動きが取れなくなる。


「そいつに手を出すなら、俺が潰すぜ?」

「違っ。ご、誤解だってっ。痛てててて――」

「ん? なんだ、鷹尾か」


 そう言った相手は九条だった。


 九条が手を離し、ようやく周は拘束から解放された。


 この生徒会の雑用だという先輩は、自由人気質でどこにでもいそうな一介の男子生徒だが、時折見えない刃物を隠し持っているような鋭い雰囲気を垣間見せることがあり、多くの生徒から恐れられているらしい。


(あー、マジで腕折られるかと思った……)


 しかし、そうらしいとしか知らなかった周は、今、それを思い知らされた気がした。声もぞっとするほど冷たく、感情というものがなかった。


「悪かったな。鷹尾だって気づかなかったんだ」


 今はもう完全に普段通りの彼だ。


「あ、いえ……」

「うちの会長、こんなんでもちょくちょく狙われるからな。そんなバカのひとりかと思ってな」


 そう語る九条の横では、菜々ちゃんがない胸を精一杯反らしてエラソーに踏ん反り返っていた。


「でも、いったい誰に狙われるんですか?」

「ん? まぁ、なんだ、クラブ間の諍いに度々割って入ってるからな、そのときに張り倒した連中の逆恨みだと思っておいてくれ」

「……」


 それは根本的にやり方に問題があるのではなかろうか。


「さて……」


 と言いながら、九条はちらりと横を見た。周も同じようにそちらに目をやる。そこでは菜々ちゃんが気配を殺して、忍び足で逃げ出そうとしていた。


「帰りましょうか、会長」


 九条の手が伸び、菜々ちゃんの襟首を掴んだ。


「離せ、九条っ。あたしは校内の見回りに行くの。現場主義なのっ」

「それは俺も同じだ。だけど、たまには事務仕事もやってもらわんと困る」


 菜々ちゃんを逃がすまいと手繰り寄せる。そうしてから再び周へと向き直った。


「迷惑かけたな。また今度何か奢るよ」

「えっと……」


 それはいいのだが、この調子だと何かのとばっちりで病院送りになっても、そのベッドの横で今と同じ台詞を吐かれそうな気がしてきた。要するに何があってもジュース1本で終わらされそうなのだ。


「事務なんか都築に任せておけばいいでしょ。あたしは現場がいいのっ」

「諦めろ、ちびっ子」

「ちびっ子言うなっ」


 菜々ちゃんの襟首を掴んだまま引きずっていく九条。扱いが非常にぞんざいだ。九条の中で菜々ちゃんがどれほどのウェイトを占めているのか、さっぱりわからない。


 遠ざかっていくふたりの姿と声を、周は黙って見送る。


「……」


 相変わらず菜々ちゃんがらみになると、周の意思とは無関係にはじまって無関係に収束するようだ。

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