Sleeping Beauty
第2幕 第1話 Sleeping Beauty
「先日、ご連絡差し上げた
リチャードです。
こちらはジョナサン。
私の友人で、今回の企画に
参加してくれる画家です。」
二人はさっそく養護施設を訪れていた。画家であるジョナサンは創作活動に入るとなかなか外に出ない。こうやってどこかを誰かと共に訪問するというのは新鮮だった。
対して、友人で企業家のリチャードはこういうことには慣れ切っているらしく、ここの職員に手早く話をつけた。
中年の男性職員が見学に同行することになった。
彼に案内されるまま、二人は施設内を見て回った。施設の中はきれいにされており、施設で暮らす子供たちが描いた絵が飾られていた。それらを眺めながら、ジョナサンは子供の自由な発想と表現に感服していた。
「ああ、少し老朽化が
進んでいるんですね。」
リチャードがヒビの入った壁面を指で撫でながらつぶやいた。男性職員も困った顔をしてそれに応えた。補強工事に手が回らないほど、ここの運営はひっ迫しているらしかった。そのことは、職員の顔色からもうかがい知ることができた。
施設内をある程度、見て回り、ジョナサンは考えに深く沈んでいた。いったい、どう絵を描けばよいのか皆目見当が付かなかった。
いままでジョナサンは様々な絵を描いてきた。実在の人物も描いた。風景画も描いた。社会を風刺した絵も描いた。空想の世界の絵も描いた。しかしそれらの経験からどれほど知識を引っ張り出してきても、今回のコンセプトに合う絵の方向性は思い浮かばなかった。
いま自分が持っている名前だけで人を集めたのでは意味がない。自分の描きたい絵を展示し、販売したのでは、それはただの個展だ。それこそ、自分が最も嫌う偽善というやつだ。ジョナサンは悩んだ。
「すこし、休憩にしよう。」
そんなジョナサンの心の動きを敏感に察知して、リチャードがそう提案した。それを聞くと、男性職員は子供たちが身体を動かす中庭へと二人を案内した。
中庭にはある程度の簡単な遊具もあった。ブランコを漕ぐ子供、滑り台で遊ぶ子供、花壇の花の絵を描く子供など、中庭は賑わっていた。そんな大勢の子供たちを若い女性職員がたった一人で面倒を見ていた。二人はその職員に軽く会釈すると、庭の隅のベンチに腰を下ろした。ジョナサンは空を仰いで、体内に溜まった空気を吐き出した。そして、新しいきれいな空気を身体の中に満たす。
「どうだい。難しそうかい?」
リチャードがスーツのポケットからキャラメルを取り出しながら言った。包みを開け、四角い塊を口の中に放り込む。そしてジョナサンにも包みを差し出した。ジョナサンは一言礼を言うと、彼の差し出した包みを受け取った。リチャードと同じようにして、キャラメルを口の中に放り込んだ。
「難しいね。
いままで好き勝手に
描いてきたからね。
投げ出すつもりはないが、
描き始めるには、なにかが、
ぼくの中に、なにかが必要だ。」
リチャードはキャラメルを噛みながらジョナサンの話を聞いていた。
リチャードには、芸術というものがあまり深くはわからなかった。それがどのようにして生まれているものなのかなど、知る由もなかった。だが、そんな彼にも、ただ見たものを見たままに描いているだけではないということは感じられた。そんな簡単なものではないということはリチャードも承知している。だからこそ、なんとも言えなかった。それでもリチャードはそんなジョナサンを見て嬉しく思った。それほどまでに、ジョナサンが真剣に今回の企画に取り組んでくれるのだということを感じた。
「絵を描く。それは衝動なんだ。
人がなにかを美しいと思う心の動き、
感動、そこに理論的な定義や、
こじつけの理由なんか必要ない。
ただ、衝動。
どうしようもなく描きたいと
感じるもの、身体を動かす衝動。
ただ、それだけが必要だ。
それを、ここに
探さなければならない。」
ジョナサンの目は真剣だった。ジョナサンの言っていることは、リチャードにはわからない。二人のタイプ、思考はまるで反対だった。そのことは長い付き合いであるリチャードはすでに理解していた。自分が、しっかりとした理論が無いと動けないように、ジョナサンにはしっかりとした衝動が無いと動けないのだと、そう解釈した。
じっとここに座っていても、自分の探し求めるものは無いとジョナサンは思った。両膝に手を着くと、ベンチから立ち上がる。それに合わせて、リチャードも立ち上がった。
そのまま、ジョナサンは動かなくなった。目すらも動かさなかった。一点を見つめているようだった。
「どうしたんだい?」
リチャードが彼の顔を覗き込みながら訊いた。
「いや、ちょっと気になってね。」
ジョナサンの視線の先には窓ガラスがあった。その透明な壁の向こう側には小さな部屋が広がっている。
その閉鎖的な白い空間の中に置かれたベッドに、眠り姫のような少女が横たわっていた。金色の長い髪が、白いまくらに映えた。
ジョナサンは無意識に、その少女に近付いていった。
→第2話へ続く
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