12話 抱え込まないで

 小橋綾子こばしあやこさんは20台半ばのお姉さんだ。この土地に引っ越してから6年目の知り合いだ。綾子さんと初めて会ったとき、彼女が大学生で、ぼくが中学生だった。綾子さんは決まった時間に帰られないが、たまに会えるとうれしかった。そして、ぼくには兄がいても姉はいない。男の兄弟とは違った優しさを感じた。ぼくも高校生になると忙しくなった。だから、綾子さんと会える頻度が減った。けれども、休日や長期休みに会いに行っている。いつ会っても綾子さんは、穏やかで思いやりがあり、ぼくのお姉さんのような人だ。


「綾子さん、お久しぶりです。受験疲れたぁ……!」


 子どものように軽く叫んだ。予復習を中心にやっているけれど、根を詰めてやっているわけじゃない。精神的な影響が大きかった。


「受験勉強、お疲れ様ね」

「それで綾子さん、話聞いてください」

「ゆきちゃんの悩みなら、いつでも歓迎するよ」


 ぼくは誘導されるがまま、事務社の縁側えんがわに座った。本殿を斜めから見る格好だ。本殿と事務社の裏からは、夕景色が見える。見慣れた景色に、ほっとする。


「受験の悩み? それとも恋の悩みかな?」


 ぼくは「いいえ」と答えた。


「もし綾子さんが、別の人間になったら、どうしますか……?」


 静かな口調で話した。一瞬、綾子さんの顔からさっと血の気が引いたように見えた。


 綾子さんは右腕で、胸の下を抱えるようにして考えている。手に持っていたほうきは社務所の壁に掛けてあった。


「状況を確認するかな。戻れる方法を模索するけど、めんどうだな」


 綾子さんは苦笑いを見せた。その戻り方が、わからないんです。


 綾子さんはぼくの顔色を窺い、尋ねる。


「ひょっとして、ゆきちゃんは" 自分探し "をしているの?」


 一瞬風が吹き、境内の木々が、静かに揺れた。


「少し違う……けれど、その通りだと思います」


 綾子さんは頷いてから、言葉を付け加えた。


「話してくれてありがとうね。けどゆきちゃん、腹に抱え込まないでね」


 雲の合間から夕日が射す。その淡い光が、綾子さんの表情を照らす。綾子さんが一層、柔和で慈悲深い人に見えた。

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