第12話 『ソクラテスの時代が終わろうとしてるんだ』

午後3時。

T急Z谷線で三元茶屋に出てから、T急田園都市線でシブ谷駅に着いた。

シブ谷駅地下は、今日も人でごった返していた。


とりあえず、昨日見た映像に従ってスクランブル交差点の方にでも行ってみよう。

俺はビニール傘を握り締め、威勢よく歩き出した。


シブ谷の地下は、複雑過ぎる構造をしている。

様々な工事が同時進行で行われているようで、来る度に通路が変更になったりしている。

最近はあまりシブ谷駅を使ってなかったから、とりあえず標識に従ってハチ公改札方面に向かった。

多くの人は慣れているみたいで、迷う事なく進んでいく。

ちっ、面倒だ…。

でも、”いつまでもフレッシュ”っていい言葉だと思うんだよね。

そんな初々しい俺はとりあえず、人の流れに乗ることにした。


その時、俺の進行方向の人の流れとは逆の流れに紛れて、ちょっと見た事のある男の人とすれ違った。

えっと…誰だっけな…?

どっかで見たことあると思うんだよなぁ~。

ええええええっと……。


手に持ったエレキギターのハードケース、小柄でアゴ鬚を生やし、やや長いモジャモジャの髪。

そうそう。

確かかなり前、この近くの宮マス坂辺りにあるライブハウスでSorrys!を観た時にたまたま共演していたバンドのギタリストだ。

UKロックの強い影響が感じられるカッコイイバンドで、彼は当時その中でブルージーでタフなリフを弾きこなしていた。

今は確か、それとは別のキャッチーな感じのバンドをやってるんじゃなかったかな…。

ライブ後に舞台裏で哲平と話していたら、彼が通りがかって挨拶だけした事があったはずだ。


そうだ。


その時のSorrys!の客は俺を入れて4人しかいなかった!

あのライブは特に熱かったなっ!

と、そこまで思い出した時、一瞬だけ彼と目が合った。


「キャっ!」


後方から女性の小さな悲鳴やら慌てるような声が聞こえた。

人の流れが、その声の方向に沿って崩れた。

振り返ると、地下道がいくつか交差している少しなだらかな窪地にサーっと水が流れ込んできた。

幾人もの駅員や警備の人が、その水の流れる方向に沿って通行人を誘導し始めた。

見る見るうちに水の流れは勢いを増し、数分のうちに俺がさっき歩までいていた場所がちょっとした川のようになった。

駅員の対応からすると、一時的に排水機能をオーバーしてしまったらしい。

各方面から、その窪みめがけて水が流れ込んできているようだ。

しかし幸いなことに、危険なほどの水量という事ではなさそうだった。

周りの人は「ゲリラ豪雨かな?」とか言いながら写真や動画を撮っていた。

居合わせた人々はその光景や、てんやわんやの状況を見て、ある意味不謹慎な高揚感に包まれている。

いや、一昔前だったら不謹慎じゃなかった気もするけどね。

ほら、小学校の時とか、台風とか雷とか、ああいう時って盛り上がるじゃん?

もう~シブ谷ピーポーはパリピなんだから仕方ないぜ~。

いかにも。俺もその高揚感に便乗した。


ふと気が付くと、さっきの小柄なギターケースの彼が俺の隣にいた。


「すごいねー。」


川が合流して渦を巻き始めている中心から目を離さずに、彼は言った。

そこに排水口があるせいか、水は大きな音を立てながら渦を巻いている。


(多分、俺に言ってるんだよな?)

(このまま黙ってるわけにもいかないよな?)

(っていうか向こうは俺のことを覚えてるのか?)


妙な緊張感のせいで後手に出てしまった俺は、最初の一言を探すのに手間取ったが、間もなくしてベストな返事を思いついた!


「うん。」


俺も渦の方を見ながら応えた。


……。

……。


妙な沈黙が続く。


通路に流れる水は、相変わらずすごい音を立てていている。

周囲の人々が騒ぐ中、俺たち二人だけが妙に沈黙しているような気さえしてきた。


あれ?俺の返事、なんかおかしかった?

え?普通だよね?


「バケモノ乃コって映画があってさ、シブ谷の話なんだけど、それにクジラが出てくんのね。なーんかそれ思い出しちゃったな。」


彼はそうポツリと言った。どうやら俺の不安は取り越し苦労だったようだ。


にしても、彼の言った”バケモノ”というワードに一瞬ハッとした。

その映画について、公開当時に哲平が話していたような気がする。


「あ、そうなんだ?俺はそれ見てないな。話題になってたよね。」


渦は勢いを増し、その中心を台風の目のようにポッカリと空洞にしていた。


「シブ谷がほんとそのまんま描かれてんだけどね、かなりリアルに。じゃあ実写みたいだから意味ないじゃんっていうとそれは違うんだよ。絵にした時にさ。絵って現実と違うからこっちから近づこうとするじゃん?その近づく時にね置換される心の中の要素みたいのがさ。心になるより前の状態に近いから、たぶん現実世界の分岐と似てくると思うんだよね。」


……。

……。


「え?」


俺はえ?と言ったが、もちろん内心は『うぅ~ん☆□○?』だった。

他人にいきなり「うぅ~ん?」といわない辺り、まだまだ俺は冷静である。


ただ……青年よ。今のやつ、何一つとして理解できなかったぞ。

あなたは急に何を言ってくれているのだ。


そんな俺のメダパニ状態は放置され、川はドンドン細くなり、渦は次第に小さく消えていこうとしていた。

不思議と、俺はその渦が消えていくところを最後まで見届けなければならないと思った。

そして、もうあまり観客もいなくなった渦に近づいていった。

ほんの数メートルまで近づいた時にはもう水の勢いは失せていて、渦はもう体を成していなかった。


……ふぅ。


『ソクラテスの時代が終わろうとしてるんだ』


また叉市の声が脳内再生された。


だけど、同時再生された映像は昨日とは全く違っていた。

クジラに鯉の特徴を合わせた魚みたいなものが体を曲げて泳いでいる。

それは、テレビとかで見た古代魚とか熱帯魚に似たものとも言えた。

ただ、ものすごく……ものすごーーーーく巨大だ…。

いや、魚の中で巨大って感じではなくて、たぶんちょっとした建物レベルで巨大だ。

規格外にでかい。


あまりの衝撃に俺は、我に返った。

横を振り向くと、さっきまで隣にいたギターケースの彼はいなくなっていた。

水も引いて、次第に人の流れも元通りになっていた。

俺は先ほどの脳内再生をもう一度冷静になって分析してみることにした。

あれを見れたという事は…。

ふむふむ……。

いかにも。

ってことは……。

……全く分からん!

俺は考えることをやめた。


そして、天を仰ぐように顔を上げ、つぶやいた。


「今日はもうスクランブル交差点には行かなくていいって事みたいだな。」


その時、柱巻き広告のニュースと時刻が目に入った。


”イラン 核協議最終合意を破棄。”


「……。うぅ~ん??」


バイトが始まるまで、まだ結構時間があった。

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