第12話 封印


 昼。兄貴が帰ってきてすぐに、オレは竜によって着替えさせられた。


 義姉さんに手伝ってもらう予定だったのに、奏希が泣いてしまってそれどころではなくなったからだ。


 1人で着替えると言い張ったが、立てないオレに着替えは無理だった。


 それに、朝と比べて息苦しさもある。


 記憶はなくなるたびに竜に引き戻されるけれど、息苦しさだけはどうやっても取れなかった。


「愛華、平気か?」


「大、丈夫…」


 オレには目的がある。


 ドークにもう一度会って、殴ると言う目的が。


 死んでなんかいられない。


「急ごう」


 兄貴の手には車椅子があって、オレは首をかしげた。


 どこから持ってきたんだろう…。


 そう思っていれば、兄貴が撮影の小道具に置いてあったものを拝借してきたという。


 勿論許可はとってあるという事。


 オレはその車椅子に乗って、竜に押されながら、段々と記憶の片隅にある景色と似ているのを感じ取っていた。


 知ってる。


 やがて兄貴たちが足を止める。


 目の前に広がるのは、断崖絶壁。


 そう、だ。この場所で…。


 どくん、と強く心臓が脈打ち、身体中が痛くなる。


「っ…」


「愛華!」


 手を伸ばされて、その手を止める。


 痛みを我慢し力を振り絞って、立ち上がった。


 後戻りはもうできない。


 オレは決めたんだ。カノカの分まで生きる。


 そして生きて竜と一緒にいろんな場所へ行きたい。


 そのためなら、何だってできそうな気がした。


 息が苦しい。


 気を抜くと立っていられそうもない。


 記憶もどんどん薄れていく。


 でも、封印の仕方だけは、カノカが内側から守ってくれているのかしっかり覚えていられた。


 でも、それもいつまで保つかわからない。


 ゆっくり深呼吸をしていると、腰に手が回る。


 横を見れば、左右に兄貴と竜が立っていて、身体を支えてくれていた。


 大丈夫。


 そう聞こえた気がした。


 身体はここで何があったか覚えているようで緊張はしていたけれど。


「俺達が支えてやる」


「愛華、俺の力もかす。大丈夫、絶対上手くいく」


「…さんきゅ」


 オレは空を見上げた。


 晴天とはこのことを言うのだろうと思うほど、空は雲ひとつない青空だった。


 ドークに汚されながら。


 カノカもこの空を見ていた。


 神に許しを求めて、アレクーナに助けを求めながら、痛みに涙して。


 あの日も、こんな晴天だった。


 目を閉じる。


 もう2度と、悲劇が起きないように。


 両手を胸元に組んで、神に願った。


 封印をする前に行われる、独特な儀式の一つ。


 ドークに纏っている強大な邪気を、神の力を借りて、抑え込む事が目的。


 邪気が抑え込まれる事で、鬼は自らの力を半減以下、もしくは0に近くする事ができるという。


 ——幸、喜、福、笑 神の元 地上に撒いて華が咲く 我が身、神の子となりて、今…この時を願う


 心の中で唱え、右手をスッと空に伸ばした。


 そこへ、暖かさを感じる。


 あったかい…。


 父さんと母さんに包まれているようなそんな感覚だった。


 すごく、安心する。


 右手を下ろして、目を開けた。


「ひとまずは成功だな。神力が宿った」


 竜の言葉に頷いた。


 これからだ。


 ぎゅっと手を 手を握りしめて息を吸う。


「ドーク!」


 一気に吐き出すように名を呼ぶ。


 しばらくして空に黒い靄が現れ、息苦しさに胸を押さえる。


「よぉ…役者は揃ってるってところか」


 楽しげに靄の中から出てきたドークを、オレは立っていられずその場にしゃがみこむ。


 二人がオレを車椅子に乗せてくれた。


「大分弱ってきたなぁ、カノカ。…お前らの力のせいで記憶はあるみたいだが」


「そう簡単には愛を死なせられないんでな。ドーク、お前はたくさんの人間を殺した。もうやめないか」


「は? 冗談だろ。俺は人間に願いを叶えてやっただけだぜ。ちゃんと人間に選択肢は与えてやったはずだ、なぁ、カノカ」


 オレを見るドークはとても楽しげだった。


 確かに、オレは契約をするときに自分がどうなるのかを知っていた。


 オレは何も言えない。


「ドーク、そのカノカを殺したのはお前なんだ。いい加減気づけよ。愛していたなら憎しみに染まる必要はなかったはずだ」


「カノカはいる。ここに、あいつの魂の中に」


 感じるのだろう。


 カノカを愛しているからこそ、オレの魂の中にカノカがいることを。


「魂は一つ。カノカの生まれ変わりに何の罪もなかったはずだ」


「その生まれ変わらせた原因はお前にあるんだよ、アレクーナ!」


 怒りでドークの纏っている邪気が強くなった。


 その邪気が、兄貴に向かっていく。


「! ダメ‼︎」


 オレは叫んでその邪気の方へ手を伸ばした。


 もう誰も傷ついて欲しくない。


 憎しみからは憎しみしか生まれない。


 誰かがそう言っていた。


 パンッと小さな音がして、邪気が消えていく。


 その瞬間、身体が一気に重くなった。


「その力は…。そうか、カノカ。完全体になったか」


「お、れは…カノカ、じゃない」


 今のが神力だとすれば、そんなに使えないと思った。


 身体が保ちそうにない。


「愛華…」


「大丈夫…。ドーク、オレは確かにカノカに会った。カノカから全ての記憶を受け継いだ。でも、オレはカノカじゃない。ここにいるのはアレクでもシーナでもない。…ドーク、お前だけが昔に囚われていることに、どうして気付かない」


 オレは訴えるようにドークに言う。


 できればこのまま、封印をせずに解決したかった。


 兄貴の心の傷やドークに残っている憎しみだけを消したかった。


「変わらないな、その妖を改心させたがる癖。だが、俺には効かないぜ」


「ドーク…」


「俺はこれからも人間に選択肢を与え続けるんだ。そして永遠に鬼として生き続けてやるよ」


 それの何が楽しいのか。


 さっぱりわからない。


 理解できそうになかった。…理解したくもないけど。


「愛、ドークはもう邪気に良心を呑み込まれてしまった。もう…無駄だ」


 兄貴が何かを悟るようにオレに言ってきた。


 兄貴の中で『決着』がついたのだろう。


「…わかった」


 オレは頷いて、竜の手を借りた。


 車椅子から立ち上がって、一人でドークの傍に寄る。


 ドークは動かない兄貴達を確認してニヤリと笑い、地上へ足をついた。


 オレの胸の前に手をかざされる。


「楽にしてやるよ」


「…神の名の下に! 悪しき気よ、立ち去れ‼︎」


 ドークの手をオレは握った。


「何っ⁉︎」


 また、弾ける音がする。


 オレの身体からはその瞬間に力が抜けていった。


 それでも倒れなかったのは、竜が後ろから支えてくれたお陰だった。


 邪気を失ったドークはオレ達から少し距離をとり、こちらを睨んでいる。


「カノカ…また俺を殺すのか」


「!」


 あの時の事を言っているんだろう。


 カノカの悲鳴で人を呼んでしまって、結果ドークは殺された。


「愛華」


 動揺するオレに竜が言う。


「これ終わったら、アイス食べに行こうか」


「……、いく」


 そうだ。


 そもそもドークが悪いんだ。


 カノカを襲ったりしなければ、汚されていなければ…殺されていなかったはず。


 それに、これから行うことは、殺すんじゃない。


 ホッとして肩の力が抜ける。


 竜はそんなオレに口付けをしてきた。


 口から、何かが入ってくる。


「…っ」


 生気だ。


 それも、結構な量の。


 死んじゃう! ダメ‼︎


 オレは必死で逃げるように竜の身体を押しもどす。


「何、しやがる!」


「何って、彼女に愛の口付け?」


「必要ない!」


 顔を真っ赤にしてオレは怒った。


 そして気づくのだ。身体が軽いことに。


「ほら、アイスが待ってるぞー」


 ううっ。


 気を取り直してドークの方へ向き直った。


「ドーク、オレはお前を殺すんじゃない」


「カノカ…」


 オレは肩幅に足を開いて立つと、両指を組んだ。


 目を閉じると小さく息を吸う。


「待て…」


 そんなドークの戸惑った声が聞こえてくる。


 待ちそうになるのを堪えて、目を閉じたまま心の奥の自分の力に呼びかけた。


 だんだんと胸の辺りが熱くなってくる。


「——闇扉。悪、非、憎悪に纏し悪に救いの道を開け」


「やめろ…」


「——闇扉。天より纏し幸福を、悪しき者へ! …ドークを、1000年の長い眠りに‼︎」


 ドークは低い悲鳴をあげながら、突然現れた扉に吸い込まれて行った。


 兄貴はその扉を見ながら目を細めている。


 その目は、やっぱり悲しげに揺らいでいた。


 オレの左手の甲からドークとの契約紋様が消える。


 記憶も、戻ってきた。


 それなのに…どうしてだろう。


 心は晴れない。


「愛、どうして永遠の眠りと言わなかった?」


 兄貴に聞かれてオレは肩をすくめる。


「ドークだって悪い奴じゃなかった。長い眠りの中で、いい夢を見た後に…また出会えたら」


 今度は封印ではなくて。


 分かり合えるといいなと心から思った。


 女言葉を強要された事に対しての怒りはまだある。


 だけど殴ったりしたら周りに知られる。


 だからやめた。


 1000年後、オレたちはどんなふうに出会ってどんな風に生きているんだろうか。


 そんなことはわからないけれど。


 みんなが幸せであればいいと思うんだ。

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