第11話 告白
ふと目が覚めたら、そこはいつも寝ている父さんと母さんが使っていた部屋のキングサイズのベッドの上だった。
天井もいつもの見慣れたもの。
ただ、違ったのは…。隣で寝息を立てて寝ている人がいるということ。
手を繋がれている。
どうしたんだっけ、オレ。
兄貴の退院祝いをして、奏希の写真撮影会が始まって。
竜と外に出たはずだ。
そこでようやく思い出した。
急に目の前が真っ暗になったんだ。
「…た、つ。竜」
掠れた声をなんとか押し出すと、熟睡していた竜がガバッと顔をあげてこっちを見る。
「愛華‼︎ よかった…、目が覚めたんだな」
「…大袈裟」
「大袈裟なもんか。もう3日は眠ってたんだぞ!」
3日…⁉︎
ぎょっとして身体を起こそうとして、違和感を感じた。
上半身は動くのに、下半身に力が入らない。
眉間にしわを寄せ、布団を退けて足を見る。
「愛華? どうかしたか」
「…あ、足が……動かない」
慌てた様子で、足に竜が触れる。
触れた感覚はする。
ただ、力が入らないのだ。
「感覚はあるんだな?」
「ある…」
竜はオレの足先に回り、足の親指の方へ口を寄せる。
「ちょっ…」
そのまま親指、人差し指、中指…と唇を順に付けられて、反対も同じことをされた。
された方はたまったものではない。
感覚があるだけに、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
「感覚があるならまだ間に合うはず。動かしてみろ」
「え?」
よくわからないが、また力を入れて見た。
今度は少し動く。
ただ、立ち上がるにはなかなか厳しいものがあった。
「朝、昼、晩に少しずつ生気送るから」
生気⁉︎
ちょっと待て。 生気って…。
「い、いい! そんなことしなくてもっ」
「何いってるんだ、感覚がある今なら治してやれるんだぞ!」
「生気送られちゃ嫌なんだ! 送りすぎて死んだりしたらオレはお前を許せない!」
オレの言葉にピタリと竜が手を止めてこっちを見た。
な、なんだ?
「お前…」
「な、なんだよ…」
近づいて来る竜から逃げるように身をよじれば、その上に乗られて動けない。
「どうして生気を送りすぎたら死ぬって知ってるんだ」
「あ…」
「愛華?」
「…か、カノカに、会った。話して来たんだ。いろんなこと。…シーナとは初めて会ったあの日から忘れたことはないってさ」
竜があっけに捉われている。
初めての表情に、オレは苦笑いした。
「カノカ、シーナが自分に好意を寄せてるって知ってたんだって」
竜はもう言葉を失って、そのまま布団に転がった。
子供の頃に出会って、同じ力を持つカノカに恋をしたシーナは、学習後に一度、力のコントロールができるかを確かめる為に家に返された。
それきり大人になるまでカノカの家にシーナはいなかった。
大人になって、カノカの家の護衛を探していると聞いて名乗りを上げ、カノカの家に入ったのだと、竜から説明を受けた。
「…まさかバレてたなんてなー」
ため息をついて、少しだけ照れを隠しているようにも見える。
…それに少しムカついた。
もうカノカはいないし、そんな照れなんて必要ない。
「…竜はオレのどこが好きなんだ」
「? 突然だな、どうした?」
そう聞かれてふいっと横を向いた。
モヤモヤする。
たかが前世のことを話しているだけなのに。
イライラする。
「…まさか、嫉妬?」
言い当てられてパッと竜を見て言う。
「するかよ!」
「…ほぉ? そうやってムキになるってことは焼きもち焼いてくれてんのか。嬉しいなぁ」
「だから!してない!」
睨んで抵抗はして見たものの、竜はニヤニヤしたままだ。
「愛華の全部が好きだ」
「…それ答えになってない」
ムッとして言い返せば。
「ツンツンしてるところも、素っ気ない態度の中にちょっとだけ気を使ってるところとか。猫みたいだよな、愛華って」
「……にゃー」
冗談で鳴いてみた。
部屋に沈黙が訪れる。
恥ずかしくなって布団に潜り込んだらその布団を奪われてしまう。
「俺さ、猫大好きなんだよな。カノカは神への忠誠とかアレクに依存とかで犬っぽいところもあったけど。愛華は…完全に猫派だな」
「な、なんだよそれ」
「…可愛いってこと」
ぎゅっと抱きしめられて、ドキドキする。
はじめてだ。
異性に抱きしめられてこんなにドキドキするなんて。
竜に聞こえていないことをとにかく祈った。
「カノカと愛華は確かに姿も声も同じだが、どちらか選べって言われたらオレは迷わずお前を選ぶ。好きだ、愛華」
「……あの、さ。オレ…ドークを封印してみようと思うんだ」
居た堪れずに話題を変えれば、竜が身を起こしてオレをみた。
「カノカの記憶を受け入れる覚悟ができたのか?」
覚悟も何も。
もう記憶はちゃんと自分の中にある。
今なら、封印できる。
忘れてしまう前に、一刻も早く。
「…もう、記憶は戻ったんだ。全部、何もかも、知ってる」
「え?」
「カノカが汚れたこともドークがどうやって死んだのかも、アレクーナに初めてあった日に一目惚れしたことも。…妖の封印の仕方も、神への祈りの仕方も、全部…覚えてる」
竜が驚いた表情でこちらをみていた。
左の手の甲の紋様は、そろそろ最大限まで大きくなる頃だ。
それが大きくなった時、ドークはオレの魂を奪いにやってくる。
…怖い。
でも、みんな何かしらの恐怖を抱えて生きている。
だから、オレも。
抗おうと思うんだ。
「竜、オレ、生きていたい。カノカの分まで」
「…ああ! 生きよう!」
また強く抱きしめられてオレは苦笑いした。
次の日の朝、オレは竜に抱きかかえられて家のリビングにおりた。
そこには兄貴が珍しくスーツ姿で立っていた。
「はよ、兄貴」
何でもないような挨拶をすれば、兄貴がぎょっとしてみてくる。
「愛⁉︎ いつ…いつ起きたんだ⁉︎」
「き、昨日の夜? カノカからアレクによろしくって言付けだったから言っとく」
さらりと言うと硬直する兄貴だ。
「…は? ちょっと待ってくれ。カノカ?」
「…そ、夢の中で」
リビングのイスにおろしてもらって、座位を保てなかった為に横になった。
兄貴がそれをみて、竜を呼ぶ。
「状況は?」
「…目が覚めてから下半身に力が入らない状態だ。それで、俺の生気を少し送り込んだ。今は少し動かせるようにはなっているけど、進行のスピードが早い」
「…そうか」
聞こえてるぜ、お二人さん。
そんなに小声で話さなくても。
「愛、今日昼からオフもらってるから」
「? だから何だよ」
スーツ姿の兄貴を見上げれば。
兄貴は真剣な顔をして言う。
「…カノカの記憶をもらったんだろう?カノカに会ったということは」
お察しが早いことで。
オレは黙り込んだ。
「記憶が戻ってなくても今日、お前を連れて行くことにしてたんだ」
「…どこに?」
「始まりの場所だ」
どくん、と心臓が鼓動する。
身体が緊張していた。
始まりの場所…それは、ドークが鬼になった原因があるあの崖のことだろう。
「カノカが襲われ、アレクーナは救えず、ドークはカノカの悲鳴で聞きつけた人間に殺害された。…あの場所は、今も存在するんだ」
何も言えなかった。
あの場所に、ドークは居る。
だって、あの場所でカノカは契約を交わしたんだ。
ドーク自身も、あそこに捉われて居るに違いない。
「…ドークを、封印するんだ。まだ動ける間に」
「!」
兄貴は少し悲しそうな顔をした。
かつては親友だった男を、封印しろと言わなければならない心境は、オレには計り知れない重みがあるだろう。
妹であるオレを救いたい気持ちと、ドークをできれば救いたい気持ちが交差しているのが見えた。
でも、鬼になってしまった以上は、生まれ変わることもできない。
カノカの記憶がそう告げている。
「…ドークを助けることはできないんだよな?」
竜にオレは聞いた。
竜は静かに頷く。
「鬼になってしまった以上、人間に還ることはできない。封印しか術はない」
兄貴も頷いた。
「ドークは俺の人生にも愛の人生にも関係のない妖だから。躊躇う必要はない」
そう、だけど。
兄貴の悲しむ顔は見たくなかった。
両親が死んで、オレを育てる為に自分を犠牲にしてきた兄貴にこれ以上の悲しみは与えたくない。
「…兄貴は、いいのか」
「ん?」
「アレクとドークは親友だったんだろ」
兄貴は肩をすくめて苦笑いする。
「ドークは過ちを犯した。…今だってアレクーナの感情は、憎しみも混ざっている。自分が浅はかな行動を取らなければあんな事にならなかったと責める自分もいる。だから、決着をつけに行くんだ」
「…決着…」
「ドークはまだカノカに未練を残してる。愛をカノカだと思っているのかもしれない」
確かにはじめてあった日にカノカと比べられた。
願いを聞き届けて欲しければ、男言葉ではなく通常の女言葉でお願いしろと。
そうだ。
無理やり言わされたのだ。
あれだけはどうしても許せそうにない。
一発ブン殴って…。
「愛華? どうかしたのか」
「あ、な、何でもねぇ」
ドークに女言葉を言わされたなんて言ったら、兄貴も竜も、義姉さんだって聞きたいと言いかねない。
絶対言うもんか。
カノカには可愛くなりたいと思ったことを見抜かれたけど、そもそもカノカはオレの魂の一部なんだ。
見抜かれて当然である。
可愛くはなりたいが、それは…竜の前だけで十分だ。
「愛、昼に出かけるからそれまでに封印の仕方を思い出しておけよ」
兄貴はそう言って玄関に向かう。
後ろから義姉さんも見送りに行った。
封印。
してもいいのだろうか。
左手の甲を眺めてふと思う。
カノカの記憶が正しければ、カノカの封印は…時空へ閉じ込められる程度のものじゃない。
時空へ飛ばされ、永遠の眠りにつく。
だからカノカはあまり封印を好まなかった。悪さをしないと約束させて妖と信頼関係を築く。
そうすることで無駄な血を流さなくて済むように仕向けていたのだ。
カノカはオレと違って頭がいい。
「…竜」
「何だ?」
竜をじっと見つめた。
竜もオレを見つめる。
何の迷いもない真っ直ぐな視線に、オレの少しの戸惑いが薄れていく。
「…間違って、ないんだよな。封印、すること」
「当然だ。言っただろ、この世に存在してはいけない類のものだって」
そういえば。
オレは、はは、と苦笑いする。
「…どうした?」
聞かれて、ぎゅっと手を握った。
封印することへの罪悪感。
それからこのままだと死しかない恐怖に、押しつぶされそうだった。
「…抱きしめて、くれないか」
呟いた言葉に、竜は何も言わずにオレを抱きしめてくれた。
その暖かさに癒されながら。
目を閉じる。
両親を殺してしまった罪悪感と兄貴を失いたくないと鬼と契約し、その代償への恐怖感。
その逃れられない感情から、救って欲しくて。
「…竜。——…好き」
抱きしめられた腕にすがりつくように頰を寄せて、オレは。
人生はじめての告白を囁いていた。
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