第10話 覚悟


『今日からお嬢様の付き人を任されました。アレクーナ・ミリヴァイと言います』


『…カノカ・フィリップ・アスティーです。よろしくお願いします』


 ここは…また夢の中だろう。


 目の前にはお互い名乗っているアレクーナとカノカの姿がある。


 これは、初めて出会った時のものなのだろう。


 今回、オレは自分の意識を夢の中で持つことができている。


 ただ、オレの気持ちは揺れていた。


 戸惑いと、ソワソワ感。


 これは…とカノカを見てみれば、カノカの顔は少し赤らんでいるようだった。


 そこでオレは納得する。


 もともと、カノカはアレクーナに一目惚れしたのだと。


 だからシーナのことなど見向きもしなかったんだ。


『カノカ様とお呼びしてもいいですか?』


 カノカはアレクーナを見上げた。


『…ただの、カノカと。その丁寧語も必要ないわ』


『わかった。では、俺の事もアレクと呼んでくれ』


 カノカは笑って素直に頷いている。


 その笑みは凄く可愛かった。


 …ドークは言った。


 声も顔も体も全部オレは、カノカと同じだと。


 それなら、あんな風に竜に向かって笑えるだろうか?


 命が尽きる前までに、竜に好きだと、伝えられるだろうか?


「貴女は貴女よ」


「⁉︎ え?」


 隣から声が聞こえた。


 振り向けば幻影のような、体が透けているカノカがそこに立って、オレを見ていた。


「ど、どうして。だって、カノカはあそこで…」


 そう。カノカは楽しそうにアレクーナと外に出て街の巡回をしていた。


「あれは私の過去の夢。私は貴女の魂の中にいる意識。本来、貴女は記憶を持って生まれるはずだったの」


「…はずだった?」


「ドークと契約を結んだことで、この魂は2度と生まれ変われる事はなかった。でも、アレクが天界への扉へ入れてくれて、私は生まれ変われるチャンスをもらったの」


 真剣に話すカノカをオレはじっと見て聞いた。


 聞き逃さないように。


「鬼と契約を結んだ魂が天界へ来る事はないから、天界も困ってしまって。それでも私は…神へ生まれ変わる事を承諾してもらえたわ」


「…なぜだ。だって契約は…」


 悪しき者との契約。


 欲望に塗れた魂は、必ず地獄へ堕とされる。


「契約内容よ。人助けに自らの命を差し出した。それを評価して頂いたの。だけど、それを不満に思った者も当然いたのね」


 それはそうだろう。


 契約を交わしておいて生まれ変わりたいなんて図々しいにも程がある。


「私は神に仕えていた身。ドークによって身は汚されてしまったけれど」


「…え」


 待って。汚れた? 確かに襲われたとは聞いていたけど、未遂じゃないのかっ⁉︎


「…夢では刺激が強くて見せてあげられなかった。でも、ここでなら見られるわ」


 カノカの意識が夢の方を眺めて苦笑いする。


 アレクーナが身の安全にとカノカへ一つのお守りを渡した。


 カノカは凄く喜んで懐の内ポケットにそのお守りを入れて服の上から押さえてお礼を言っていた。


「…カノカは、兄貴の妹として生まれた事、どう思ってる?」


「ふふっ。良かったと思ってるわ。恋人になって結婚できたら一番幸せだったでしょうけど。でも兄妹って一生縁が切れないものよね。それは素敵な事でしょう? 無条件に愛してもらえるわ」


 確かにウザイくらいの愛情は毎日のように浴びている。


「だから、あの人を救ってくれた事は感謝してるのよ。その手段が、ドークとの契約を結ぶことだとしても。けどね、貴女はドークと知り合って間もないわ」


 所詮は生まれ変わり。


 オレはカノカじゃない。


 カノカはそう言った。


「封印することに戸惑う必要もない。ドークと貴女は親しい関係でもない」


 悲しげに夢の方を眺めた。


 夢の中のカノカが、お守りを崖から落としてしまい、取りに行こうとしている。


 それを引き止めたのはアレクーナで、アレクーナが取りに行ってやるからドークとここで待つようにと言っていた。


「…あのお守りを私が落とさなければ」


 後悔のようにポツリと呟いた時。


 夢のカノカが悲鳴をあげる。


 服は破られ、身体はドークによって押し倒されて泥まみれ。


 オレは口を両手で押さえた。


 涙が、浮かんで来る。


 アレクーナにもその悲鳴は届いていたはず。


 だが、崖の中腹にいるアレクーナにはなす術もない。


 カノカは何度も何度もアレクーナを呼んでいた。


 自分のことではないのに、心が痛い。


 叩かれた頰も、掴まれた腕も、無理やり犯された場所が、凄く凄く痛かった。


「…ごめんね。貴女の魂が完全な記憶を取り戻すためには、これは避けて通れないの。本当にごめんなさい」


「大、丈夫。それに…カノカの方が、もっと痛かったんだろ」


 これは記憶だ。


 生身の方が絶対にこれ以上の痛みがあったはずだ。


「…ありがとう…。貴女が、私の生まれ変わりでよかった」


「カノカみたいにおしとやかではないけどな」


「それは貴女のせいじゃないわ」


 ふふっとカノカは笑った。


 確かに教育に関しても必ず兄貴が口うるさく側に居た気がする。


「…覚悟は決まったかしら」


「? 何の…」


 ああ、そう言えば…竜が言っていた。


 カノカの記憶を全て受け入れる。


 その覚悟だ。


「記憶を、受け入れたらカノカの意識は…」


「私はもともと貴女の魂の一部。魂の中に戻るだけよ。貴女は神に仕えることになる」


「…オレは、乙女でないといけないのか」


「その必要はないわ。もうあれから随分長い時が経ってる。1人の人を愛し貫き通す愛。それは神にとって喜ばしいことでしょう」


「…そっか」


 じゃあ竜と付き合っても問題ないということだ。


「もう一度言うわ。貴女は貴女よ」


「…オレはオレ」


「そう、私は前世の記憶。前世に捉われる必要はないわ。…覚悟は、決まったかしら」


 問われてオレはカノカを見た。


 カノカの記憶を全て受け入れる。


 そうすれば、オレはドークを封印して生きていられる。


 竜とも、アイスを食べにどこだっていける。


 夢の中のカノカは、恋をして笑ったり泣いたり、怒ったり。その表情がコロコロと変わる。


 可愛い、と思った。


「ふふっ、貴女も女の子よ。可愛くなれるわ。そうね、まずは外見から、髪を伸ばして、スカートをはいて。それから口調は『私』に変えて見るだけで、十分」


「…む、無理」


「貴女は私によく似てるわ。しっかり者だけど本当は誰よりも臆病。死ぬのも本当は怖いはずよ」


「…、後悔はしてないから」


 カノカは俯いたオレの顔を覗き込みながら言った。


「後悔はしてないわ、私も。でも、やっぱり死んじゃうんですもの、怖かったわ」


「…記憶が、消えて行くことも…?」


「当然でしょう。今まで生きてきた証が一つずつ消えて行くんだから。だから、貴女にはドークに負けて欲しくないの。生きていてほしい。私の記憶を全部あげるから」


 ふと思った。


 記憶は奪われたはずなのに、カノカは自分の記憶を持っている。


 どうして?


「私の魂はドークの手を離れ、天界への道を通ったの。その時に記憶は戻ってきたわ」


 地獄へ堕ちればそのまま記憶は戻らなかったとカノカが教えてくれた。


「…オレ、竜の傍に居たい」


「シーナは大変よ? あの人は何を考えてるのかわからない人だった」


 大変と言いつつもその顔は微笑して居た。


 まるで弟を見ているような顔で。


 同じ神に仕えた人間として、教育も受けて居たんだろう。


「シーナは、カノカのこと…」


「知ってるわ。でも、知らないフリをしたの。私、実はとっても悪いのよ」


 ウインクをして微笑んだ。


「好きって言ったら関係は…」


「何も変わらなかったと思うわ。私は誰とも結婚しなかっただろうし。シーナに伝えてあげて。貴方の事は出会ったあの日から忘れたことはなかったって」


 子供の時のことを思い出しているんだろう。


 オレは頷いた。


「…記憶を、オレにください」


「やり方は簡単。夢の中の私に触れて。頭の中に流れ込んで来るものをしっかり見て。何があっても離してはダメ。チャンスは一度きりよ」


 オレは夢のカノカに手を伸ばす。


 そっと、触れる。


 いろんな感情が流れ込んできた。


 好き、戸惑い、悲しみ、痛み、喜び、怒り。


 その後で、映像が一気に流れ込んで来る。


 言われた通り、どんなに体が痛くてもカノカに触れていた。


 ひたすら映像を見て、時には涙も流す。


 最期には息ができないくらいに苦しかった。


 それでもカノカの全部を見終わると、不思議な気持ちになる。


 体が軽い。凄く。


 自分に欠けていたものがやっと全部揃った感じだった。


「よく頑張ったわね。大丈夫、これで貴女はドークに抗う力を手に入れたわ。さぁ、目を覚ます時が来たわ」


「…でも…カノカ…オレ」


 カノカはオレを見て微笑んだ。


「貴女はもう大丈夫。私の代わりに、生きて」


 スッと、意識が浮上して行くのがわかる。


 戻るんだ。


 竜の所へ。


「シーナとアレクによろしくね」


 バイバイと手を振られて、カノカはスッと消えていった。

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