第8話 意識

 兄貴の首根っこを掴んでリビングに連れていくその姿は、すごく逞しい。


「もう!邪魔してるのはあなたでしょ! 早くきて!」


 兄貴が死んだ時はあんなに泣いていたのに、その面影は影に隠れて見えない。


 苦笑いの中、オレの身体を抱きしめる腕があった。


「…離せよ、竜。オレはもう、誰とも付き合うつもりは…」


「…戻ったんだな、記憶」


 驚いて竜を見た。


 バレてないと思ったのに、どうして…。


「愛華が好きだ。何度だって言ってやる。忘れたら忘れた分だけ愛してるって囁いてやる。記憶も、戻してやる。だから、俺から逃げるな」


 気が動転して何も考えられなかった。


「死ぬんだぞ、オレは」


「死なない」


「なんだよそれ。契約は成立してるんだ」


 そんなものは、壊せばいい。


 竜はそう言った。


 壊す? どうやって…。


「あぁそうか。愛華はカノカの記憶の扉がまだ完全に開いてないんだな。だからわからないんだ」


 記憶の扉?


 というかそもそも前世の記憶とか普通は持ってねぇから。


「今日からまたお前は俺の彼女な」


「……彼女…って、はっ⁉︎ 聞いてたかっ、オレは誰ともっ」


「お前に拒否権はねぇよ。逃げる権利もな」


 くっ、こ、こいつ…。


 こうしてまたしても勝手に彼女にさせられて、オレは恋人繋ぎでリビングに行く羽目になった。


 そのままリビングについて、兄貴がまたも騒ぎ出すのを殴る義姉さん。


「よかったわ、竜也くんの所に戻ったのね」


 義姉さんは喜んでいる。


 兄貴は頭を殴られてソファーでいじけていた。


 でも付き合う事には異論はないらしく、何も言わない。


「竜、いいか。愛は俺の大事な大事なだいじーな妹なんだ! 絶対死なすなよ!」


「分かってますよ、お兄さん」


「お前に兄と呼ばれたくない…」


 なんかどっかの古いドラマの中で聞くようなセリフだ。


 そんな事言うならよりを戻すんだとか言わなきゃいいのに。


 バカだよなぁ、兄貴は。


 義姉さんが奏希をおんぶしたままで食事の用意をしている。


 オレも、とキッチンに行こうとすれば兄貴に止められる。


「足の自由が効かなくなって食器を割って大怪我してもいけないからな。 お前は座ってろ」


「でも…」


「絵理香に任せておけば大丈夫だ」


 義姉さんはうんうんと笑って頷いている。


 感謝しつつ椅子に座ろうとした時だ。


 また、ツキンと胸に痛みが走る。


「ッ…」


「愛華っ?」


 胸に手を当ててその場に蹲った。


 竜が慌ててソファーに運び、オレを寝かせた。


「どこが痛い?」


「…こ、こ」


 兄貴が慌てて手を伸ばしてくるのを、オレは払う。


 流石に兄妹だからっていっても許せる事じゃない!


 仕方がないと、兄貴は竜に言った。


「向こうの部屋で見てきてくれ」


「ちょっ…。それも無理!」


 自分で見るからと言ったが、嘘を付かれても困ると兄貴は首を振った。


 義姉さんに見てもらうと言ったけれど、その紋様は義姉さんには見えない特別なものだと言われてしまう。


 兄貴に見られるか竜に見られるか。


「…ど、どっちも嫌だ」


 抵抗するオレを抱き上げて、竜は隣の部屋に連れて行った。


「お、下ろせっ」


「あぁ、俺に命令する権利もねぇから」


 こ、こいつぅぅ。


 殴ってやりたい、今すぐ。


 やがて椅子に座らせられると、オレに断りもなく服のボタンを外して前を開く。


 竜が目を細めた。


 な、なんだろうと自分の胸を見れば、そこには左手の甲とは明らかに違う紋様が刻まれていた。


「これは…」


「言っておくけど、オレはドークとしか契約してないからな!」


 そんな2人も一度に契約を結んでも体が足りない。


 魂だって一つしかないんだから。


「違う。これは…」


 竜は一度リビングのドアを開けて兄貴を呼んだ。


 兄貴が早足で部屋に入ってくる。


 慌てて隠そうとした手を、竜が押さえた。


「竜っ、離せっ」


 兄貴がオレの胸の上にある紋様をじっと見て目を見開き、息を呑んだ。


「この紋様は…、カノカの…?」


「愛華の中のカノカの記憶は完全に戻ってない。でも、この紋様は…」


 2人でじっと人の胸を見ながら意見交換をしている。


 なんとも居心地が悪かった。


「何なんだよ、もう、離せ!」


「愛、この紋様はいつからある?」


 兄貴に聞かれて、その優しい表情に一瞬どきりとした。


 な、何で兄貴にときめいてんだよっ?


 狼狽えるオレは兄貴から視線を外した。


「…い、今、はじめて…」


 オレの態度の異変に気付いたのか、手を押さえていた竜がオレに言った。


「お前は秋田愛華で秋田里夢さんの妹。カノカの意識に呑まれるんじゃない」


「…? …カノカの意識? 何だ、それ」


 オレの胸の紋様を竜が指差した。


「それは、カノカの力の源の紋様。里夢さんにも勿論俺にも紋様はある。だが、元々記憶を持って生まれた俺達と、お前は違うんだ」


 意味がわからない。


 何が違うんだ。


「記憶を持って生まれた俺達は前世の自分の意識に捉われない。だけど愛、お前は記憶を持って生まれて来なかった。だから、紋様が現れたということは、記憶が戻る日も近いという事」


 それで? と説明する兄貴を見る。


 その顔をグイッと竜が向き直させた。


「記憶が戻る際、前世の…カノカの意識と同化してしまう可能性がある。その予兆も見えた」


「予兆?」


「…カノカが愛したのは、誰だ」


 竜に見つめられてどきっとする。


 なんか、悪いことをした気分だった。


「…アレクーナ…」


 ポツリと呟くように答えた。


「だからアレクーナの生まれ変わりである里夢さんに油断すればときめいたり、好きになったりし兼ねないと言っているんだ」


 じゃあ、どうすれば?


 この紋様を消すこともできない。


 不安げに竜を見ていれば。


「同化する前に自分が今誰が好きで、誰を愛したいのかはっきりさせるんだ」


「好き…って…、オレが? 」


「愛ならできる」


 ふと、兄貴の顔がアレクーナに見えた。


 顔立ちはそもそも一緒だ。


 声も、似てる。


 …本気でマズイんじゃないか、オレ。

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