第7話 理由
あれから、オレは逃げるように1人で病院に向かった。
兄貴には竜と別れたと報告して。
兄貴はかなり怒ったし、義姉さんも残念そうに理由を聞いてきたけど、オレは『ウザいから』で押し通した。
これ以上は誰とも深く関わるつもりはないからという事も伝えて家路に着く。
「お前なー自分から関係を断ち切ることはないんだぜ。どうせ忘れるんだ、楽しめよ」
頭上からの強大な邪気はオレに話しかけてきた。
人の形を取らないそれは、それでも確実にオレに話しかけている。
「断る」
短めに返事をすれば、邪気は面白く無さげに消えて行った。
いつ死ぬかわからない人間に想いを残されても困る。何もかも忘れてしまうんだ。
早めに終わらせた方が、傷が浅くて済むというもの。
早足になっていた足を止めて、俯く。
何もなくなる。
命も、体も、心も、記憶さえも。
左手の甲から包帯を解けば、汗ばんだ手が現れる。
最初は10円玉くらいの大きさだった紋様は、今は500円玉くらいの大きさになっていた。
治るどころか、大きくなる。
自分がやった事に後悔はない。
「少し早い寿命が来ただけだ、愛華」
ボソッと呟いて包帯をカバンに直し、足を前に出す。
いつか歩けなくなる。
その時には兄貴にもオレがしたことがわかるだろう。
生きているうちに、やる事はたくさんあった。
怖がっている暇はない。
一ヶ月後。兄貴は病院を退院した。
その日の夜、オレは微かに自分の足に違和感を覚える。
膝から力が抜け落ちるような感覚。
危うく階段から落ちそうになって慌てて手すりにしがみついた。
あっぶね…。
心臓がドキドキと鼓動していた。
「愛? どうかしたか?」
「な、何でもない。ちょっと踏み外しそうになっただけ」
「気をつけろよー? 女の子が顔に怪我したらいけないからな」
「男も女も関係ねぇだろ。モデルが怪我する方がよっぽどマズイんじゃないか」
言われて言い返せば、兄貴は何も言えなかったらしい。
その代わりオレににんまり笑っていう。
「今日の退院祝いに1人客を呼んだんだ。いいか、逃げるなよ」
客?
オレは首をかしげた。
マネージャーでも呼んだんだろうか。
でも逃げるなって?
退院祝いに作ったちらし寿司と、澄まし汁を用意して机に並べていると、玄関のチャイムがなった。
玄関を開けて、きょとんとする。
「あぁ、来たな、竜。上がれよ」
後ろから兄貴の声がして振り向いた。
竜。
オレはモヤモヤを感じ取る。
「お邪魔します。愛華、久しぶり」
久しぶりと言われて、振り向き、眉間に皺を寄せた。
確かに久しぶりな気はする。
だけど、オレはその時自分の中の記憶が欠けていることに気がついた。
この顔、この声、この香り。
知ってると体が言っている。
思い出せない。
「…どうぞ」
周りにバレないように、オレはそっと玄関の端に寄って道を開ける。
兄貴は修羅場にならなかったとホッとしたような感じだったが、修羅場も何も何があったか思い出せないのだ。
契約を交わしたことへの実感が生まれる。
兄貴の後を竜は歩きながら話をしているのを玄関で眺め、ぎゅっと手を握った。
怖い。
忘れていくことが、すごく。
でも、契約をかわさなければ兄貴はここに生きて存在していないんだ。
ふっと手の力を抜いた。
「ん? 愛〜、行くぞ」
兄貴に呼ばれて、玄関を閉める。
二人の元へと歩き出そうとしたところで、片膝から力が抜けた。
「っ」
慌てて下駄箱の上に寄りかかって、苦笑いする。
当然不審に思った2人が駆け寄り、支えてくれた。
「…どうした? 愛」
兄貴がオレを見て聞いてきた。
何でもない、そういうつもりだったのに。
「…愛華の手…。まだ治ってないのか? あれからもう一カ月以上経つのに」
ハッとして左手を後ろに隠した。
その手を取ったのは、兄貴の方だ。
「離せっ…」
男と女の力の差を感じた。
「左手、一カ月以上前…、忽然と消えている邪気…。…愛」
「…っ、はな、し、て」
その掴まれた手に巻かれている包帯に手をかけられて、オレは兄貴の足を思い切り踏みつけた。
兄貴は痛みで手を離した。
チャンス!と思って逃げようとしたところで、後ろからガシッと拘束される。
「⁉︎」
「竜、よくやった。そのまま押さえてろ」
兄貴がオレの左手の包帯を解いて行く。
外し終えて、兄貴が目を見開いたのを見逃さなかった。
ふいっとそっぽを向く。
「…愛。 どうして」
聞かれてオレは黙った。
「愛‼︎」
「あーあ、バレたな」
その声に、邪気に、誰もが振り向いた。
「…ドーク、貴様! 俺の妹に何を‼︎」
「兄貴、違う!…違うんだ」
オレは俯いた。
何も言えなくなったオレの代わりに、ドークが説明を始める。
「健気だよなぁ。兄貴が死んだと言われて俺を呼び出したんだから。元々はお前のせいだろ、アレク。あの時も、今回もお前のせいでカノカは同じ事を俺に求めて契約したんだからなぁ」
「俺が、死んだ…?」
「…そう、だよ。兄貴は一度確かに死んだんだ。義姉さんと奏希を置いて、オレを1人にして。…ドークに、助けてもらったんだよ」
苦笑いで、諦めるようにオレは理由を話した。
肩を持っていた竜の手に力がこもる。
「そういう事。ま、せいぜい残された時間を楽しむ事だな、アレク」
笑いながらドークは消えて行った。
後に残されたオレたちの間には沈黙が広がる。
「…愛華、俺とまた付き合ってくれないか」
「また…?」
沈黙を破ったのは竜の何を考えてるのかわからない言葉だった。
それに…。
「竜、お前、ドークが見えてたのか?」
オレが思っていた事を兄貴が代弁する。
ドークは普通の人には見えないはずだ。仮に見えるとしてもそれは契約を交わすものにしか見えない。
「見えますよ? あれはこの世に存在してはならないものだ」
その語尾の強い言葉に、ゾッとする。
「…もしかして、お前…。シーナ?」
兄貴の口から初めて聞かされた名前。
竜はニッと笑った。
シーナとは誰なのかと首をかしげるオレに、兄貴は教えてくれた。
アレクーナの他に、カノカの家には護衛として数人の男たちが屋敷を守っていた。妖退治の神の家系ともあれば、護衛者もそれなりの力を持っている。シーナはその護衛者の中でも群を抜いて優秀だった。
シーナの家系はカノカの親戚にあたり、稀にシーナのような力の強い者が生まれてくる。その場合、カノカの家がその才能を引き伸ばすという役割もあった。
アレクーナとシーナは意気投合して親友のような関わりを持っていたが、カノカとはほぼ顔を合わせる護衛の1人で認識はしていなかった。
シーナもまた戦争に駆り出されて命を落とし、その存在はカノカに特別な印象を残さなかったのだ。
と。
「な、なんか、ごめん」
申し訳なくてつい謝ってしまう。
竜は肩をすくめた。
「あの頃も今も、俺はお前が好きなんだ。お前は昔、アレクーナが好きだったんだろう。だから身を引いた。だけど…愛華はもうカノカじゃない」
どきっとする。
でも、オレは。
「むり」
特別な人は作らない。
消えていくんだ。作っても作っても。
オレの中から一つずつゆっくり。
「愛、竜とよりを戻すんだ。竜なら…お前を救ってくれる」
「…どうやってだよ。消えていくんだ、覚えても覚えても、何もかも消えていく! 何をしても、無駄な…っ」
オレの嘆きは途中で竜の口によって塞がれた。
その瞬間、記憶が…。
『ま〜な〜か、今日デートしようぜ』
『しない。行かない、うざい』
戻ってくる。
『愛華、今日も可愛いぜっ、って事でアイス食いに行こうぜ』
『って事でってなんだよ、意味わかんないんだけど。…でも、行ってもやってもいい』
『マジ⁉︎ じゃあ行こう、今すぐ行こう!』
『学校だろうが!』
あぁ、そうだ。
オレは…こいつを傷つけたくなくて。
傷つきたくなくて。
逃げたんだ。
『別れてくれ』
兄貴の前で長い間口づけをされ、気がつけば竜は壁に飛んでいた。
「おーまーえーなー」
拳を握りしめて仁王立ちの兄貴を見れば、その状況はすぐにわかった。
殴られたんだろう、思い切り。
オレの方は顔を赤く染め、口を手で塞いでいた。
「ご、ごめんって」
「俺の目の前で愛に手を出すとはいい度胸してるよなぁ、竜」
殴り足りないのか指を鳴らしている。
それを止めたのは義姉さんだった。
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