第6話 本契約
ズキリと痛む手に耐えるために、右手で左腕を掴む。
「ッ。…ドーク…! お願いだ、出てきてくれ、ドーク‼︎」
呼べば、胸に痛みが走る。
「ッ、痛…っ」
身を丸めるように立っていれば。
頭上に強大な邪気を感じた。
上を見ると、人の形をした男がこっちを見て笑っていた。
「ようやく、呼んだな」
その低い声に一瞬身体が震える。
こいつは、危険だ。逃げろと本能が言っていた。
でも、逃げるわけには行かない。
「…ドーク。…お前なら、お前ならオレの望みを叶えてくれるんだろう⁉︎」
夢の通りなら、こいつにかけるしかない。
兄貴はこれからも子供を養って行かないといけないし、奥さんを幸せにしないといけない。
死んでいる暇なんかないのだ。
ドークはニッと笑った。
「お前の望みは何だ」
「…兄貴を、助けてくれ。頼む…、これから何があっても安全で、天寿を全うするまで生きててほしいんだ!」
「…やはりお前は変わっていない。その顔も声も体も。その心でさえ。だが、俺はそんなお前が好きだよ、カノカ。…覚えているか、契約をすればどうなるのか」
オレは頷いた。
契約成立後、徐々にその体力は衰え、呼吸もできなくなる。
未練を残さないようにと、記憶も奪われる。
それでもよかった。
兄貴が助かるなら。
スッとドークの前に左手の甲を差し出した。
「…物分かりが早いな」
「早くしろ」
キッと睨んで催促すれば、ドークがその左手をとった。
楽しげにその手を眺め、オレに言う。
「『お願い、ドーク。早くして』って言うんだ」
「はぁ? ふ、ふざけるな!」
反抗すれば、左手をパッと離された。
「その口調だけが気に入らない。いいのか?流石にこいつの死後硬直が始まれば助けられないぜ。今はまだ大丈夫だけどな」
「…ッ、覚えてろよ!」
再度左手を差し出して。
「お、お願い、ドーク…、早く、して」
小さな声で渋々言えば、ドークはすぐにオレの左手に触れ、そこに唇を寄せた。
黒い邪気が、手の甲に入り込んで行く。夢では手で何かを描いていただけだったのに…?
やがてそこには、紋様が現れた。
「契約成立だ。今にアレクは目を覚ます。俺のことは言うなよ。…知っているとは思うが、すぐに死ぬわけじゃない。残りの人生を楽しむことだな」
そう言って、ドークはさっさとどこかに消えていってしまった。
オレは霊安室から出て、廊下に待機していた二人に笑ってみせる。
義姉さんが霊安室に入った直後に、兄貴が目を覚ましたようで。
オレは何も言わずにその場を離れた。
この手を一刻も早く隠さなければならない。
バレないように。
後ろではバタバタと騒いでいる医者と看護師の足音と声が聞こえる。
心臓と呼吸が止まった人間が起き上がったのだ。
それはちょっとしたミステリーだろう。
オレは病院を出てから義姉さんに学校に戻ると連絡を入れて、そのまま学校に戻った。
心配そうに送り出した担任が、校門の前で待っていた。
兄貴は無事助かったと伝えるとホッとした表情をされる。
いっていなかったけど、兄貴はあれでも一応ファッション雑誌のモデル業をしているため、ファンは多い。
この学校でもオレがそのモデルの妹だと言うことは知れ渡っている。
モデル業の名前は『愛夢』。オレの名前と兄貴の名前を合わせたものだ。
「…そう言えばマネージャーさんきてなかったな。どうしたんだろう」
疑問に思うことはあるが、兄貴が助かったことには変わりはない。
後悔はしない。
左手の甲を見ながら、そう誓った。
「まーなーか、今日さ、映画観ない? 俺の家で」
「行かない、観ない、うざい!」
兄貴が助かって一週間。
未だに兄貴は入院して病院で検査を受けている。
相変わらず、竜はしつこくてオレにべったりだった。
「なー、愛華。その左手の怪我まだ治らないのか?」
思わぬことを聞かれてしまって思わず黙る。
そして無意識に左手を隠していた。
「愛華?」
「何でもねぇよ。もうすこしで治る」
ふいっとそっぽを向いて、オレは竜に言った。
「兄貴の見舞いに行くからついてくんなよ」
「行く行く。その帰りに美味いアイス売ってるとこあるんだけど、行かね?」
全く人の話を聞かない竜にため息をつきながらもアイスの一言には体が反応する。
ダメだダメだ。餌付けされてはいけない。
今のところ体力も衰えてないし、苦しさも感じない。
契約が成立してから体に異変を感じるようになるまで、どれくらいかかるのだろうか。
契約をしたこと自体、忘れてしまうのだろうか。
不安はいつもそこにあった。
契約を交わしたことに後悔はしてない。
でも、自分の中で何かが変わることを知っていても何もできない不安は付きまとっていた。
カノカも、こうだったんだろうか。
「愛華のお兄さんって優しいよな。男の俺から見てもかっこいい」
「…そうか?」
竜と兄貴が最初に会ったのは3日前。荷物を届けに行くからデートは無理と断った時だ。
兄貴はその時初めて、オレに彼氏ができたことを知った。
そして、すごくめんどくさい事に2人は性格が合ってしまった。
今では公認のカップル…と言う事になってしまっている。
「里夢さんにも言われたんだけどさ、俺もモデルなろうかな」
「…そんな簡単になれる仕事じゃねぇだろ。それに…今回の兄貴の怪我だってセットが倒れてきたって言ったじゃねぇか」
「…あれ? もしかして心配してくれてんの?」
そんなわけ無いと言いたかった。
だけど、もうあんな想いをするのは嫌で、口は開けたものの何も言えなくて俯く。
「大丈夫、俺は死んだりしない」
頭の上に手を置かれて、ポンポンと撫でられた。そんなの、わからない。
どこに死んだりしないという保証があるのか。
それに。
オレは確実にいなくなる。
オレと関わり、人生を無駄にして欲しくなかった。
「…なぁ」
「ん? 何だ」
オレは顔を上げていう。
「…別れてくれ」
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