第5話 恋人


「まーなーか、はよぉ。今日も可愛いぜ」


 オレは今日もため息をつく。


 墓参りに行ったあの日から時は流れ、オレは平和に暮らしていた。


 兄貴の言う通り、あの部屋には邪気も無く、グッスリ眠れる。


 だから忘れていたのだ。


 自分がカノカという女の生まれ変わりである事を。


「竜、毎日言っててよく飽きないよな」


「なんだかんだ言っても愛華は反応返してくれるからな〜。それに…」


「…な、何だよ」


 顔を覗き込まれて、オレは身体を後ろの方へ少し引いた。


「今までなかった反応も最近見せてくれるだろ」


「…? どんな顔だよ」


「例えば、こんな感じ」


 鞄を持っていない方の左手の甲に軽く口付けをされる。


 その不意打ちに、オレは少し顔が熱くなるのを感じた。


「その顔、すっげぇ可愛い。独り占めしたくなる」


「なっ、何すんだよ!バカ!」


「なぁなぁ、本気で俺の彼女になって」


「無理」


「無理じゃねぇって。俺、愛華一筋なんだぜー」


「じゃあ嫌」


「じゃあって…約束する。俺はお前を一人にさせないし、捨てたりもしない。何があっても傍で愛華を守る自信もある!」


 竜の自信に満ちたセリフに、オレは竜を見上げる。


 オレは、鬼という訳のわからない生物に狙われてるんだぜ。


 守れるわけがないだろう。


 むしろ、命の危険だってあり得るんだ。


「…やめたほうがいい。こんな女」


「まな、か?」


「…やめとけ。オレは、誰にも助けを求められないから」


 多分、この先何があっても。


 これから先は一人で解決しなければならない。


 兄貴に言えば躊躇無く助けにくるだろう。


 でも、兄貴は一家の大黒柱だ。


 家族を守る責任だってある。


「助けてって言えばいいじゃん」


「簡単に言えるものじゃないだろ」


「そうか? 案外簡単だと思うぜ。…決まり、愛華は今日から俺の彼女なー」


「はぁ? 聞いてた?嫌だって言っただろ!」


 竜はにっと笑って言う。


「お前に拒否権はねぇよ」


 こ、こいつ…。


 オレの手を持って、早速恋人つなぎをされて周りの視線が痛かった。


 穴があれば入りたい気分だ。


「オレは彼氏だって認めてないからな!」


「大丈夫だって」


「何が⁉︎」


 よくわからない。


 何が大丈夫なのか。


 でも…、手を繋がれた場所はとても暖かかった。


「俺が必ず助けてやる」


「無理だって言ってんだろ」


「愛情をなめんなよ〜? お前が俺の傍にいる限りは絶対無敵にしてやるよ」


 絶対無敵?


 なんだそれ。


 ばっかじゃねぇの。


 そうは思ってはいるのに、自然と笑みが浮かんでくる。


「竜って本当に学校の1、2位を争う秀才か?」


「一応はそう言われてるが」


「バカだなぁ、ホント。お前って、バカだ」


 悲しくなるほどに。


 その優しさが、辛かった。




 竜と無理やり付き合うことになって3ヶ月。


 オレは担任に呼び出されていた。


 内容を聞いて、愕然と立ちすくむ。


「秋田、早く行きなさい!」


 足が、動かない。


 先生がタクシーを拾って、オレを車内に押し込んだ。


 黙り込んでいるオレの代わりに先生が行き先を伝えると、タクシーは進み出した。


 その間、頭の中には疑問だらけ。


 なんで?


 どうして?


 ぎゅっと目を閉じる。


 やがてタクシーが止まって、ドアが開いた。


「あ、お金…」


「あぁ、大丈夫ですよ。うちは学校側に請求する形ですから」


 頭を下げて、出ると。


 目の前の看板には、堂塚総合病院の文字。


 足がすくむ。


 でも、行かないと。


 オレは走って病院内の受付まで行くと。


「救急で、運ばれてきた秋田里夢の妹ですが」


 と名乗った。


 看護婦さんがやってきて、案内をしてくれる。


 案内先にいたのは、義姉さんと奏希。


 義姉さんがオレを見つけて、泣き出しそうな顔をした。


「義姉さん、兄貴は」


「…」


 無言で首を振る。


 話を聞けば、兄貴の仕事先であるスタジオのセットの金具が外れて下敷きになったとかで、頭を強く打ったらしい。


 義姉さんが耐えられずに奏希を抱きしめたまま泣き崩れる。


 それが何を意味するのか、嫌でも判る。


 しばらくして部屋のドアが開いて、兄貴が横たわるストレッチャーが目に入った。


 顔には白い布がかけられ、胸の上には手が組まれていた。


 オレはその瞬間、父さんと母さんの最後の光景を思い出した。


 …家族が、いない。


 もう、いない…。


 霊安室に運ばれて行く兄貴を見ながら、その場から動けなかった。


 義姉さんと奏希がいなくなっても、足が石のように重くて。


 その場に10分くらい佇んでいれば、左の手の甲と胸が痛み出す。


 見れば、手の甲は黒いものがまとわりついていた。


「…兄貴、ダメだ」


 オレはポツリと呟いた。


 霊安室に足を運んで、義姉さんを少し廊下のベンチに座らせる。


「義姉さん、大丈夫。オレが、兄貴を死なせない」


「なに、いって、るの。もう、遅いの…っ」


「…大丈夫。ここにいてくれ」


 奏希の頭を撫でると、一人で霊安室に入った。


 兄貴の顔から布を取り払う。


「…兄貴。…ごめんな」


 オレはこれから禁忌を犯す。


 それを兄貴は絶対許さない。


 でも、兄貴がいないとダメなんだ。もう、失いたくない。


 スゥ、と息を吸った。



 左の手の甲に意識を集中した。

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