第4話 前世

 恋人を作る事と、今のこれが何の関係があるんだ。


 サッパリわからない。


「いいか、多分愛がある年齢になったらもっと痛みが出てくるはずだ。その治し方はただ一つ」


「…?」


「恋人に痛む患部を口付けてもらう事」


 いやいや、待ってくれ。


「兄貴は恋人じゃないじゃん」


「あぁ俺は特別」


「…意味わかんねー」


 兄貴は『今は分からなくてもいい』と寂しそうに言った。


 その顔が、ふと…誰かに似ている気がしたんだ。


 親父?


 いや、違う。


 もっと、もっと…昔。


 昔? 何だそれ。


 自分でツッコミを入れつつ、ため息をついた。


「とりあえず邪気は払ったから大丈夫だ。でもまた夢を見るようなら本気で彼氏作れよ」


「邪気? 彼氏は、…いらねぇもん」


 でもどうして自分はこんなに彼氏を作りたくないのかわからなかった。


 男に興味がない? それもある。


 男に頼れない? 頼りたくねぇし。


 好きな男はいないのか? いねぇよ…。


 自問自答していると、ふと竜の事が頭の隅によぎる。


 神谷竜也は確かに美形で、学校でも1、2位を争うかっこよさ。


 性格も優しくて頼りになると評判も上々。


 毎日のように口説いてくるから軽い男なイメージがオレの中ではついている。


「いらないじゃなくて、自分の身体を守るために作るんだ」


「守るって何だよ。オレは自分の身くらい自分で守るっての」


「守れないから言ってるんだろう」


 兄貴の言葉にオレは唇を尖らせたまま、シンクの中で割れた食器を片付けた。


 守ってみせるさ。


 自分の身体なんだから。


 義姉さんが風呂から出てきて、オレたち二人の空気が悪い事に気づく。


「また喧嘩?」


「あぁ、ちょっとな。奏希は起きたから絨毯の上だ」


「…また愛華ちゃんに余計な事言ってるんじゃないでしょうね」


 流石義姉さん!


 よくわかってる。


「愛華ちゃん自身の事は愛華ちゃん自身がよくわかってるんだから、余計な事言わないのよ、里夢くん」


 コクコクとオレも頷いた。


「…そういうわけにはいかないんだ。愛が見ているあの夢は…」


「夢?」


 義姉さんが首を傾げた。


「夢は夢だろ」


「普通の夢なら良かったんだが、普通の夢で終わらせられたく無い奴がいるらしくてな」


 ますます意味がわからない。


 終わらせたく無い奴がいる?


 何の事だよ…。


 義姉さんもよくわからないという表情をして肩をすくめた。


「里夢くんってたまに変な事言うよね」


「兄貴はもともと変だろ」


 義姉が何かを考えた後に『確かに』と肯定すると、奏希を抱き上げた。


「パパみたいに変人にならないでね〜、奏ちゃん」


「絵理香…。俺は変人じゃ無い」


 がっくりと肩を落とした兄貴を見ながら、


「兄貴も風呂入って〜。食器片付けるから」


 オレはそう言った。




 その日、オレはまた夢を見た。


 目の前には狼のような化け物がいる。でも、狼じゃ無い。


 目が三つあるんだ。どう見ても妖の類のもの。


『あなたは何が目的?』


 聞いた事のある声がする。


 カノカと呼ばれている女の声だ。


 妖は一声鳴いた。


『…そう、主人に会いたいの』


 え?


 今ので会話ができるのか?


『…でも残念だけど、貴方の主人はここにはもういないの。黄泉の国に行ったわ』


 妖はまた一声鳴いた。


『…いい子ね。黄泉の国の扉を開けてあげる。その邪気を置いていきなさい』


 カノカは指を組んで呪文を言うと、妖から黒く纏ったものを剥ぎ取り、空中に妖一匹が通れそうな穴を開けた。


 邪気が取れた妖はやっぱり狼のような格好をしていた。だけどその額にあった三つの目はもう無い。


 その穴にためらいもなく入っていってしまうと、カノカは指を解いた。


 穴が、消える。


『今日の仕事はおしまいよね、アレク』


『あぁ、終わりだ』


 後ろに控えていた男がそう言った。


 どうして今まで気がつかなかったんだろう。


 アレクーナの顔は、オレのよく知った人と生き写し。


 そして、カノカも。




 ふと目が覚めて、自分の部屋の天井を見る。


 …身体が、動かない。


 部屋の隅に、何かが見えた気がしたけど、顔も動かせられなかった。


「っ…」


 声を出そうとしても声が出ない。


 布団に縫い付けられているように、身体に何かが乗っている。


 首を絞められているようで、苦しかった。


 ぎゅっと目を閉じると、部屋のドアが勢いよく開いた。


「何をしている!」


 兄貴の声が聞こえた瞬間、その重みは消えていく。


 オレは激しく咳き込んで喉を押さえた。


「はぁ、はぁ…っゴホッ」


「愛、平気か」


「大丈夫…」


 天井を見れば、黒い霧状のものが見えた。


「兄貴、あれ…なに…」


「…見えるのか」


 兄貴が舌打ちをした気がした。


 見えるってことは、本来見えてはいけないものなのか?


「…あれが、お前の夢を夢で終わらせたくない奴の邪気だ」


「邪気…」


 そういえば夕方にも邪気がどうとか言ってたな。


「邪気が見えるという事はだいぶ影響を受けてきたか…」


「意味わかんないんだけど」


「…いいか。愛が見ている夢は、おそらく…前世の記憶だ」


 兄貴が天井を睨みながら説明してきた。


 前世?


 誰の…?


 そんなのわかりきっている。


 さっきの夢を思い出せば、答えは簡単だ。


「オレの…?」


「…そうだ」


「…兄貴は、いつから…」


「物心ついた時には記憶があった。お前が妖退治してる記憶や三人で遊びに出かけた事、お前が襲われた事、全てだ」


 オレは愕然とする。


「カノカが俺の妹として生まれた時は神を恨んだよ。でも、今は感謝してる。妹でいる限り、関係は終わらないからな」


 異常とまでの妹への執着心はここから来てるのだと理解する。


 そしてオレが彼氏を作らない理由もなんとなくわかった。


 …でもオレはブラコンじゃねぇ!


「は、早く彼氏、作る…」


「あぁ、そうしろよ」


 そうはいっても、なかなか彼氏なんか作れないものがあった。


 今まで断ってきたから最近は告白さえされない。


 いや…待て。 一人いた。


 でもなぁ…。


「さぁて、あの邪気だが…あれは俺にも消す事はできない」


「え? じゃああの黒いのあのままかよ⁉︎」


 ぎょっとして聞けば、兄貴は頷く。


「カノカの時は邪気を消滅させる力があった。奴はそれを狙って、あの邪気をここにワザと置いたんだ」


「どうして、そんな…」


「覚醒するのを待っているってところか」


「覚醒…?」


「カノカは17歳で死んだ。…あと1年でカノカと同じ歳になるお前を、あいつが見逃すはずがない」


 オレはぞっとする。


 まるで死神にでも付きまとわれている気分だ。


「覚醒、したら…」


「お前を身体ごと汚して自分と同じ鬼に変えるだろうな」


 鬼…?


 そんなおとぎ話じゃあるまいし。


 鬼なんかいるわけがない。


「鬼なんか…」


「当時もそう否定したな、でもいるんだ。人の願いを聞き入れ、その魂を奪う…」


 ふと一つの名前が浮かんだ。



「ドーク…?」


「‼︎ 愛、その名は言うな!」


「え?」


 突然、左手の甲が痛み始めた。


 左手を見れば、黒いものが手を締め付けている。


「ひっ、何だよ、これぇぇっ? 痛…っ」


 兄貴がオレの左手を掴んで再び左手の甲に唇を寄せた。


 邪気は兄貴の口に吸い込まれていくように見える。


 それと同時に痛みも無くなった。


「あ、兄貴…邪気が…身体に…」


「あぁ、見えるようになったからか。大丈夫だ、俺は体内で邪気を消す力を持ってるから」


 邪気を体内で消す?


 それって、危険な事じゃないのか?


 というか、兄貴は力持ってるって事だよな…。


「あいつの名前は口に出すな。邪気に飲み込まれるぞ」


「…飲み込まれたら、どうなるんだ」


「生き地獄さ。鬼になり永遠を彷徨う、あいつみたいに」


 絶対に口に出すなと兄貴はオレに約束させた。


 それから、この部屋にいる限り前世の夢や悪夢を見続けるだろうと、オレはかつて父さんと母さんが使っていた部屋に移動する事になった。


 父さんと母さんが死んでから、オレが避けていた部屋だ。


 部屋の前で中々入れずに立ち止まっていると、兄貴が言う。


「ここなら邪気を置かれない」


「…何で?」


「親父達が俺達を愛しているから、だな。鬼がこの部屋に一歩踏み入れるだけで、消滅する」


「消滅…? 父さんと母さんも、力があったって事?」


 兄貴は首を左右に振った。


「残留思念だ。死んでも尚、そこに在り続ける想いの塊。俺達は今も親父達に守られているって事だ」


 残留思念…?


 オレはそのドアに触れて目を閉じる。


 温かい何かを感じた気がした。


 これが、想い?


「今日からお前はこの部屋で寝るんだ。そう簡単には覚醒なんかさせねぇから安心しろ」


 何も言えなかった。


 ただ、兄貴の目がいつも以上に真剣で。


 懐かしいと思ったんだ。


 頷いて部屋に入れば、兄貴は義姉さんと奏希が寝ている自室に戻っていく。


 オレは安全な場所で寝られる。


 だけど…兄貴達は?


 そう思えば思うほど、不安で眠れそうになかった。



 朝になって何事もなく1日が始まる。


 今日は土曜日で、学校も休み。


 兄貴も仕事が休みだからと家族全員で父さん達の墓参りにやってきた。


 のだが…。


「兄貴」


「何だ?」


「…墓ってこんなに賑やかだったっけ」


 周りには人とは思えない幽霊らしい類のものや、犬や猫の幽霊もいたり。


 目の前をスゥーっと横切る何かが居たりと、あらゆる方向から声も聞こえる。


 耳を塞ぎたい。


「そうだなぁ。毎年こんなもんだろ」


「二人とも何言ってるのよ。私達しかいないじゃないの」


 義姉さんは当然見えない。


 奏希はもしかしたら見えてるんじゃないだろうか?


 キョロキョロと視線を動かしている。


「父さん達の墓はこっちだったな、行くぞ」


 墓にたどり着くと、まずは墓石の掃除をして古い花を退けて新しい花を添えた。


 線香に火をつけて焼香台におく。


 全員で手を合わせて目を閉じた。


 父さん、母さん、あの日からずっと心配かけてごめんなさい。


 オレは心の中で謝った。


「よし、行くか」


 兄貴の言葉で目を開けて立ち上がった。


 その時、微かに風に乗って何かの気配を感じる。


 後ろから、呼ばれているような。


 兄貴を見たけれど兄貴は気づいていないようだ。


 何なんだ?


 後ろを振り向くが、何もない。


「愛、行くぞ」


「あ、うん」


 オレは首をかしげながらも、この幽霊ばかりの墓から早く脱出するべく兄貴達とその場を去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る