第3話 動揺
「はっ……はぁ、はぁ…っ」
目を開ければそこは天井。
オレは自分の胸を押さえた。
ドキドキと動悸がすごい。
あたりをゆっくり見回して、ここが保健室のベッドの上だと把握した。
一体自分はどうしたのかと考えて、思い出す。
耳鳴りの後に強い眩暈を感じて倒れたのだと。
起き上がれば、丁度カーテンが開いて先生と目が合った。
「お、起きたか。昼休憩中に起きなければ病院に連れて行こうと思ってたんだが、大丈夫そうだな」
「昼…休憩?」
「あぁ。…秋田」
「はい?」
呼ばれ、先生を見ていると。
「学生は勉強が仕事だからな。家の事も大事だろうけど無理はするな。多分疲労だろう」
「…はい、ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をしてベッドから降りると、制服を整えた。
時計を見れば、昼休憩も終わりに近い。
竜がここまで運んでくれたのだろうと思えば、顔を出さないといけない。
鞄がないところから見れば、教室に持って行ってくれたか、竜が持っているかのどちらかしか思えなかった。
自分のクラスの隣が竜のクラス。
そっと覗いてみれば、すぐに竜と視線があって、鞄を手にオレに近づく。
「やっと起きたんだな」
「…心配かけて悪かった」
鞄を受け取って感謝を述べ、教室に戻る。
なんとなく、左手の甲が痛い気がする。
見ても何もない。
…あの夢のせいだろうか。
それにしても長い夢だった。
オレは自分の左手の甲を摩る。早く忘れてしまいたい。
平常を取り戻す為に。
それくらい、オレはあの夢に動揺している。
さっきまで眠っていたはずなのにまた睡魔が襲ってくる。
マズイと思って左右に首を振った。
午後の最初の授業は確か数学だ。
「秋田さん体調大丈夫?」
教科書を準備していると、保健委員の
多分体調不良で保健室で休んでいることはクラス全員が知っているんだろう。
「大丈夫。心配かけてごめん、ただの疲れ」
「よかった、無理しないでね」
横原さんは本当に安心した表情で自分の席に戻っていった。
声をかけられたことで目も覚めた。
よし、帰ったら掃除にご飯作って、明日の弁当の用意もしなきゃな。
やることはたくさんある。寝ている暇はない。
手の甲は少し違和感を感じるけれど痛みは無くなった。
朝から変な夢の連発にぐっすり寝た感じがしない。それでも、休む事は考えていなかった。
放課後、オレは図書館に行って参考書を読み漁る。参考書と言っても見ているのは高校3年のもので、それなりに知識もついている。
読み終えると図書館を出て、スーパーに向かう。
今日のメシはなんにしようかと考えていると、目に付いたタイムセールの文字。
卵が、肉が、安い。
これは買うしかないと、人の間を割って一つずつゲットした。
「今日はカレーだから、玉ねぎと人参とジャガイモを買って…」
1人でつぶやいていると、また左手の甲が痛くなって、買い物カゴを落としかける。
床に置いて、左手を摩った。
何なんだ、一体。
痛みはすぐに落ち着いて、オレはまた買い物を続ける。
何かの病気だろうか。
一回病院へ行った方がいいかとも思ったけれど、オレは病院が大嫌いだ。
もう少し様子を見よう。
買い物をすませるとスーパーを出て家に帰った。
「…っ」
掃除をしていると、ピリッとした痛みを胸に覚えて身体が固まる。
リビングで奏希を寝かせる為に身体を揺らしていた義姉さんがそんなオレに声をかけてきた。
「愛華ちゃん顔色悪いから休んだら?」
「…大丈夫」
「カレーなら私も作れるわよー。ね?」
「…でも、奏希が…」
「平気平気。もう寝ちゃったし布団に寝かせるわ。顔色悪いまま里夢くんに会うつもり? 嫌でしょ、グダグダ言われるの」
その言葉に兄貴の顔を思い浮かべる。
そして想像できる言葉の数々に苦笑した。
「じゃあ…少し休んでくる」
「少しと言わず、姉さんに任せなさい。これでも料理はできる方なのよ」
オレは義姉さんに料理を任せ、掃除を終わらせると自室で横になった。
しんどい。
胸が痛い。
あぁ、この感覚はあの時と似ている。
父さんと母さんが死んだ、あの時に。
兄貴が16歳の高校生になって半年が経ったあの日。
オレは9歳の誕生日を迎えた。
その日は朝から土砂降りで、父さんと母さんが仕事に行くことに不満を持ったオレが駄々をこねた。
行かないで。行くなら僕も一緒に行く!
小学3年のオレをなだめる為に、今日は早めに帰ってくるからと父さん達は言ったんだ。
指切りをして約束した、その日の夜。
警察と病院から電話があった。
兄貴がオレを連れてタクシーで病院へ駆け込んだ時には、もう2人の顔には白い布がかけられていた。
父さんも母さんもほぼ即死だったという。
当時のオレは自分を責めた。
動かない2人の身体を無言で揺さぶり、冷たくなった身体に生きていない事を悟った。
兄貴はそんなオレを抱きしめて『大丈夫だ』と言ったんだ。
オレが早く帰ってきてなんか言ったからだろうか。
事故はトラックが雨でスリップして対向していた父さんの車を巻き込んだということらしいけど。
オレがあの日に駄々をこねなければ事故は起きなかったかもしれない。
そう思えば思うほど、胸の痛みは増していく。
兄貴はオレを責めているだろうか?
わがままなんか言わなきゃよかった。
父さんと母さんが死んで、兄貴は高校を中退して仕事に就いた。
全てはオレを育てるために。
オレが、兄貴の人生を狂わせたんだ。
「愛〜? 入るぞ」
いつの間にか帰ってきた兄貴が部屋に入ってくる。
「体調悪いんだって? 大丈夫か?」
頭を撫でられれば、もっと胸の痛みが強くなった。
「…病院行くか?」
「…いかない」
「愛が病院嫌いなのは知ってるけど、もしもの事が…」
「行かない!」
叫ぶように言って、布団の下に隠れる。
「愛?」
「…兄貴、聞いていい?」
布団の中で、オレは今まで口に出せなかったことを静かに言った。
「オレのせいで父さんと母さんが死んで…兄貴はどう思ってた?」
兄貴は一つため息をついた。
「あのなぁ。あれはお前のせいじゃないだろ。雨でトラックがスリップして親父達の乗ってる車とぶつかっただけだ。そんな事気にしてたのか? バカだなぁ」
「…オレが、早く帰ってきてって言ったから…」
「違う。親父達の車は速度制限守ってたんだ。守らなかったのはトラックの方」
「でも…、オレがいるから、高校にも行けなかったじゃないか」
「行けなかったんじゃなくて行かなかった。行こうと思えば行けたんだ。叔父さんも叔母さんも俺たちを引き取るって言ってくれてたしな。それを断ったのは俺だ」
布団からオレは顔を出す。
初耳だ。
そんな話、聞いた事ない。
目でそれが伝わったのか、兄貴は肩をすくめる。
「親父は一級建築士、お袋はデザイナーでそこそこ名前も知れ渡ってるし、半分は俺たちに入った遺産目的だったんだろうけど。学校は大学まで行かせるって言ってたからなぁ」
「何で、断ったんだ」
「決まってるだろ。この家を出るなんて考えられなかったし、お前親父達が死んでから笑わなくなった。叔父さんの所に行ったとして、打ち解けるはずもない」
ごもっともな意見に黙る。
「お前一人くらい立派に美人で可愛〜く育て上げる自信もあったから、断った」
「…美人で可愛くは余計だろ」
話を聞いて、いつの間にか胸の痛みが和らいでいるのに気づく。
あんなに痛くて苦しかったのに。
「愛、明日オフだから墓参りでも行こうか、みんなで」
「……いく」
オレの返事に、兄貴は満足そうに微笑み、頭を撫でてきた。
それからカレーのいい匂いに誘われて兄貴とキッチンへ向かうと、奏希がちょうど目を覚まして大泣き。
「里夢くん! 奏ちゃんお願い」
「はいはい」
兄貴が奏希を抱き上げて揺すると、安心したのかすぐ眠ってしまった。
「里夢くんって本当に上手よね」
「そうか? 愛生まれた時から抱っこしてたからかもなぁ」
ニヤニヤとオレを見るな。
仕返しだというように皿に大量に米を盛り付けてカレールーも大量にかける。
「ま、愛華ちゃん…」
「なぁに、義姉さん」
「…それ、里夢くんの…」
「…兄貴、のこさねぇよなぁ? 義姉さんの美味いカレーだもんなぁ?」
その後、兄貴は皿に盛ったカレーを全部食べきってしばらく動けなかった。
食器を片付けて風呂の準備をすませる。
「義姉さん、風呂入ったから奏希寝てる間に入ってきて」
「でも…」
「こういう時じゃないとゆっくりできないだろ」
兄貴も無言でこくりこくりと頷いている。
もし奏希が起きたら面倒は見るつもりらしい。
義姉さんが風呂に行ってしまった後、オレはまた左手の甲が痛くて、持っていた食器を落としてしまった。
シンクの中で、ガラスが割れる。
よ、よかった、床じゃなくて…。
でも奏希が大きな音に泣き出してしまって、兄貴に迷惑をかけてしまった。
「ご、ごめん!」
兄貴が奏希を抱き上げてゆらゆらと揺れていると、奏希は泣き止んでくれた。
それにホッとしつつ、痛む左手を右手で覆った。
「愛は怪我してないか?」
「う、うん…大丈夫…」
ピリピリとした痛みに、顔を歪める。
その表情に気づいたのか、起きた奏希を絨毯の上に転がし、近づいてくる。
「な、何だよ…」
「左手を見せろ」
左手を掴まれて、パッと右手を退けられる。
当然、怪我もない。
なのに、兄貴はその左手をじっと睨むように見ていた。
「…兄貴?」
「愛、最近身近で変な事が起きていないか?」
変なこと?
それは、部活の勧誘が毎日多いとか、最近よく男子にちらちら見られているとかではなくて?
そう聞くと。
「愛は予想以上に美人になったからなぁ」
しみじみと言われる。
「でもそういうことではなくて…例えば、友人が突然倒れたとか、変な夢を見るとか」
「…夢…」
「…見てるんだな?」
でも、それが何だって言うんだ。
それに見たのは今日が始めてである。
「そのまま左手を動かすなよ」
そう言えば、その手の甲に兄貴が唇を寄せた。
「あ、兄貴?」
手の甲に唇が触れる。
その瞬間、ピリピリとした痛みが嘘のように消えていった。
どういう事だ?
どうして…。
動揺を隠しきれないオレに、兄貴はいう。
「早く恋人作れ」
と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます