第2話 夢契約


『カノカ、好きだ』


『アレクーナ…』


 私も、貴方が大好き。


 でも…。


 アレクーナと一緒になる事はできない。


 私とアレクーナは主従関係。


 私は主、貴方は私に仕えている人間。


 それに、私の身体は…。


『もう耐えられない。俺の気持ちを知っていて欲しい』


『…でも、私は…』


『結ばれなくてもいい。知っていて欲しいだけなんだ。カノカ、俺は死ぬまで君を愛し続ける』


『死…? 死ぬって…?』


『…隣国との戦争に人手が足りないから行って来いとの仰せだ』


『まって…貴方は私に仕えてるんでしょうっ? ダメよ! 行ってはダメ‼︎』


 嫌な予感がする。


 あんな事があってまだ半年しか経っていないのに。


『カノカに仕える前に、俺はカノカの家に仕えてきてるんだ。旦那様のお言葉は絶対なんだよ』


『…お父様…。じゃあ、お父様に言って…!』


 アレクーナは左右に首を振って、私の頭を優しく撫でる。


『無駄だ』


『でもっ!』


 涙が頬を伝う。


 私には何もできないの?


 悔しい…。


 アレクーナが涙を指の腹でそっと拭ってくれた。その優しい仕草にもっと涙が溢れてくる。


 この温もりを失ってしまうかもしれない恐怖に胸が締め付けられる。


『泣くなよ。俺は簡単に死んだりしねぇよ』


『嫌よ。酷いわ、どうして何も言ってくれなかったの』


『……泣くから』


『え?』


 小さな声は自分の嗚咽で聞き取れなかった。


『お前が、泣くからだ。言っただろう。カノカが好きだって。好きな奴を泣かせると分かってて言えるかよ』


 バツの悪そうな顔でそういうアレクーナを私は眺めていた。


 涙も止まった。


『…じゃあ、何で、今なの』


『突然消えて欲しかったか?』


『そうじゃないわ』


『出発は明後日だからな。自分の気持ちの整理もしておこうと思って。死ぬつもりはないが』


 何も言えない。


 もうすぐアレクーナまでいなくなってしまう。


『私の面倒は誰が見るのよ』


『それは旦那様に聞いてくれ』


『…私の護衛は?』


『…カノカ』


 言い聞かせるように呼ばれて、ぎゅっと手を握りしめた。


『だって…』


『…カノカ、俺に2日だけでいいからお前の時間をくれないか。今日と明日だけだ、俺の恋人になって欲しい』


『……』


 私は無言でこくりと頷いた。


 アレクーナの胸の中で、ただ頭を撫でられ続けていると、頭上から突然呼ばれる。


 見上げると真剣な顔で私を見ている顔があった。


『何?』


『…ここ半年、不可解な死亡者が頻発して出ているだろ?』


『…鬼が、どうとか言ってる?』


『そうだ。…お前は何があっても契約するな。いいな、絶対だ』


 鬼なんて居るはずがないと私は肩をすくめた。


 それにうちは神に仕える家系であやかし退治をしている。


 もし本当に鬼が出るなら、封印をすればいい。


『うちが妖退治の家系だって知ってるでしょ。今まで化け物は見たことあるけど、鬼なんか見たこと一度も無いわよ』


『カノカ』


 だって本当のことだものと唇を尖らせた。


『ドークなんだよ』


『…え? 何それ。待ってよ…だって、ドークは…』


 半年前に殺されて、ちゃんと供養したって…。


『人間ができる供養なんかたかが知れてる。お前を襲い、町人に殺されてドークの魂は怒りに満ちた。その魂は邪鬼を引きつけ、ドークは鬼になったんだ』


『そんな事って…。でも、それがどうしてドークだってわかるの?』


『…会ったからな、一度。ドークと契約した者には全員共通点があった。それを聞き出したんだ』


 共通点…?


『ドークと契約を結んだ者は手の甲に、ある印をつけられる。それは死んでも体に残るんだ。…カノカ、何があっても契約しないでくれ』


『…ドークが私の前に出てこれるわけが無いわ。私は、妖退治の家系の中でも力が強い。アレクーナが私に仕えてるのも私の身を守る為なんだもの。くるはず無いわ、封印されに現れるなら話は別だけど』


 ニコリと笑って大丈夫と伝える。


 アレクーナはこれ以上私に言っても聞かないと思ったのか、抱きしめたままで何も言わなかった。




 2日後、アレクーナは戦地に出かけて行った。


『カノカ、愛してる』


 その短い手紙を私の枕元に置いて。


 私は毎日毎日祈った。


 アレクーナが無事である事を。


 でも。


『アレクーナが負傷して意識が無い。もう助からないだろう』


 そう、お父様に聞かされた。


 どうして?


 どうしてそんなに平然としていられるの?


 涙が溢れた。


『…お父様の、せいよ』


『カノカ?』


『お父様が! アレクーナを戦地に行かせるから…っ』


 身体を震わせながら、私は訴える。


『お父様が全部私の大事な物を奪うから! もう嫌よ、嫌…っ』


『カノカ? お前…』


 お父様が私の肩に手を置いた。


 その手を振り払って、家を飛び出す。


 アレクーナが言っていた。


 契約を交わした者は願いと引き換えに魂を奪われると。


 それでもよかった。


 アレクーナのいない世界なんて、私には考えられなかったから。


 町外れまで走って、私は、自分がドークに襲われた場所までやってきた。


 立ち止まって、叫ぶ。


『ドーク‼︎』


 辺りはシンと静まり返っている。


『ドーク‼︎ 居るんでしょう⁉︎ 出てきて!』


『…よぉ、カノカ』


 その声は、確かにドークだった。


 でも、人では無い。


 体に纏う邪気がそれを示していた。そばにいるだけでも、圧迫感がある。


『…あなたが、鬼になったって聞いたわ』


『あぁ、その通りだ』


 ニッと笑ってドークは私に答えた。


『…お願いがあるの』


『それは、俺と契約をしたいって事か? 知ってるんだろう、契約を結んだ者の最期を』


『…それでも…いい。私は、アレクに生きてて欲しいの』


『…またあいつかよ。…いいぜ。その代わり、あいつと二度と会えると思うな。あいつが助かっても、お前は会えない。それでもよければ、契約してやるよ』


『いいわ。アレクが生きてくれたら、それでいい』


 私は迷わなかった。


 ドークは私の左手を持ち、そこに何かを描く。


 甲が、熱い。


『契約成立だ。せいぜい残りの人生を楽しむんだな、カノカ。お前の魂は俺が地獄に送ってやるよ』


『…相変わらず、性格が悪いのね。…でも、私…』


 ドークをまっすぐ見て微笑んだ。


『なんだよ』


『ドークにあんな事されて今も怖いけど、でも…ドークと出会えた事やドークと過ごした日々は宝物よ。…知ってる? 私一度はドークの事カッコいいって思ったんだからね』


『……おせーよ』


『ふふっ。いいのよ、伝えたかっただけなんだから』


 自分の左手の甲には、契約者の印がはっきりと現れている。


 不思議と怖くはなかった。


『ドークのおかげね』


『何がだ』


『アレクが助かるのは、あなたのおかげだってこと』


 ふふっと笑って口元を覆う。


 ドークは複雑そうな顔をして私を見て、ため息をついた。


『お前、鬼に何感謝してんだよ』


『あら。だってドークは鬼の前に私の友人でしょう。友人に殺されるなら大歓迎よ』


『ずっと思ってたんだけど』


『なぁに』


『カノカって妖退治似合わねぇよな』


 その言葉に私自身も考えた。


 退治するというよりは説得をして帰ってもらう方が私の場合は多い。


 何かがあれば妖に助けてもらったりとかも…。


 あれ? 妖退治にあってはならぬ事柄かも。


『…私も、そう思う…』


『何だそれ。それでも巫女かよ』


『巫女じゃない。力が強いだけだもの』


 ドークに『一緒だろ』と突っ込まれてお互いに笑った。



 隣国との戦争はこちら側の勝利で終わり、国同士は平和協定を結んだ。


 互いの戦士、多くを失いこれからは共存をして国の発展に努めるという。


 ドークと契約を結んで半年。


 私の体はほぼ動かない。


 家族はみな、その原因を知っている。


 どうする事も出来ないというのも。


『カノカ、なんてバカな事を』


『お父様ほどバカじゃないわ』


 口だけは達者で、苦笑いをする。


『そんなにあの男が好きなのか』


『…好き…。そう、愛してる。だから、生きてもらうの。ちゃんと本来あるべき寿命を全うするまで、アレクーナは生きていなきゃダメなのよ』


 私の魂をドークに捧げてもいい。


 アレクは私が守る。


 心にそう誓った。




 やがて、呼吸が浅くなる。


 ドークの言う通り、アレクにはもう会えないんだろう。最期は未練なく死ねる為にと記憶も消されると聞いた。


 それでもいいと答えたのは私だ。


 こんな時でも、笑っていられるのはどうしてなんだろう。


 お父様が何度も私を呼んでいる声が聞こえてくる。


『アレクーナが帰ってきたぞ! カノカ!』


 もう、瞼が開かない。


 アレクーナとは誰だっただろう。


 走ってやってくる音と。


 その声と。


 頭に乗ったその手。


 ふと、思い出して涙が浮かぶ。


 苦しい。


 でも、アレクは生きて。


 私の分まで、生きて。


 次の世界では、争いのない…平和な世で過ごしたい。


 あなたと、共に。

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